十月十五日(木)甲子(舊九月三日 晴

 

仕上がりました。『歴史紀行五十五 中仙道を歩く(卅・後篇)』(草津宿~三條大橋)のワード版とパワポ版の兩方が出來上がり、中には、おまけに 《中仙道六十九次 思ひ出のアルバム》 を載せて、少しは懐かしさを醸し出しました。

二年九ヶ月をかけて歩いた、「中仙道を歩く」が終はり、そして今、最後の紀行を書き上げたことで、長かつたぼくの「中仙道」がやつと終着を迎へたといふことですね。これで解放といふか、肩の荷を下ろしたといふか、ほつといたしました。

そしていつものすべての方々にお送りしました。ワード版は二十三名の方、パワポ版は三十三名の方です。

ずつとつづけてみなさんにお送りしてきましたけれど、考へたらどれだけの方が讀んでくださつてゐたのでせうか。ちよつとは氣になります。もちろん、毎回感想を下さる方もをられます。が、きつと努力をなさつて讀んでくださつてゐるのだらうと思ひ、感謝したいです。

といふのは、ぼくの紀行は、それ自體は戯けてふざけたものですから、少しは旅の氣分を味はつていただけると思ふのですが、しばしば引用する歴史や古典の文章が、難しいといふことなんでせう。それだけ、ぼくたちの日常生活からかけ離れたものになつてゐるといふことの證左であると言つてもいいかもしれません。さびしいし、殘念なことであります。

それで、ぼくはあへて、多くを引用しました。ときには、『玉葉』や『明月記』の漢文(變體漢文)にもご登場願ひましたし、『平家物語』はじめ古典文學は數へたらきりがありません。が、わが祖國日本に生きた先人の思ひやその生の聲を感じ取るにはこれしかない、とぼくは斷言いたします。それで、あへて挑戰しました。

「祖とは國語である」、とどなたかが言ひましたが、その國語が今や根無し草といふか、その傳統から切り離されやうとしてゐます。ぼくらの祖國が今や失はれかけてゐるといつてもいいのです。これを、「國を憂ふ」と言はないで、何を憂へといふのでせうか。

ですから、傳統から切り離されて、人はこれからどんな歴史を築いていけるのでせうか。難しいのは、どちらを向いても難しいことばかりです。それならいつそ、およそ役に立たない我が祖國日本の歴史と古典に向き直ることも必要とされる時代がくるかも知れません。實は、そこに確實な未來を構築することのできる確かな傳統文化の基盤が見いだせる、ぼくはさう信じたい。

そして、それまで、無駄に見えるかも知れませんが、掘り下げて、這ひずり回つて、そのたしかな未來構築の地盤を探しあてたいと思ふのであります。

 

夕方、讀書用の眼鏡ができたので取りに行き、ついでに、四つ木のブックオフと岡島書店を訪ねました。これからは、しばらく亂讀したいと思つてゐます。

 

今日の寫眞・・平和橋通り、四つ木踏切に近づく京成電車。高架線化の工事がはじまつてゐるやうです。

 

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