二〇一五年十月(神無月)廿一日(水)庚午(舊九月九日・上弦 晴

 

今日から明日にかけて、いつものトラベル日本企畫の「初期中仙道を歩く」ツアーです。すでに中仙道を完歩してゐるので、つけたりなんですが、中仙道が開設されてわづか十數年で廃止になつてしまつた、舊道中の舊道なんです。岡谷で現在の中仙道から別れ、小野峠、小野宿、そして牛首峠を經て、再び中仙道の櫻澤に至る、全長約二十六キロの舊道を歩きます。

なぜ、十數年で廢止されてしまつたのかが、今回の最大の謎であり、疑問です。自らからだを運んで確かめたいと思つてゐます。

 

新宿集合出發で、途中パーキングエリアで休憩をとりながら、まづ下諏訪の食祭館に直行いたしました。ここは昨年の八月に中仙道を歩く(十八回)でも利用したところです。そのときは、和田峠を越えた次の日で、つらくて食べものが喉を通ることができませんでしたが、今回はたつぷりと食べることができました。

參加者は十五名、リーダーは、先月の「中仙道を歩く(三十)」と同樣、檜垣さんと山寺さんでした。少人數といふこともありましたが、走る道が狹いこともあつて、二十五人乘り小型バスの利用となりました。

さて、初日は、中仙道と伊那街道の分岐點からです。それで、その分岐に近い、懐かしい平福寺まで行き、準備體操の後に出發しました。

復習と、參考のために、『中仙道を歩く(十九・前編)』から引用します。

「次に現れたのは、道標です。『右中山道 左いなみち』 と刻まれてゐます。寛政三年(一七九一年)に 百萬遍供養塔をかねて建てられた道標です。『いなみち』とあるのは、伊那街道のことで、もとの 中仙道だつた街道なんです。 小野宿と牛首峠を經て、 現在の中仙道の櫻澤に通じてゐました。大久保長安が 木曾の森林開発と輸送路として開いたといふことですが、長安没後、一六一四年以降は、鹽尻峠を越す道が正式な街道とされたのださうです。」

その道標を道路を隔てて確認しつつ、一行は中仙道を左折し、街路の歩道を直進しはじめました。「製糸のまち岡谷のシンボル」といふ舊岡谷市役所廳舎と、つづいて現れた新廳舎の前を通り、照光寺、十五社神社の角を右折して、伊那辰野方面に向かいました。

すると、眞上にかかつた長野自動車道の巨大な橋の下をくぐり、枝分かれした、右手の脇道に入りました。ゆるやかな坂道で、視界がだんだんと開け、うしろにはくぐつてきた長野自動車道の巨大な橋の全貌が明らかになつてきました。實に大膽といふか、考へやうによつては無茶な作りやうだなと思はざるを得ませんでしたね。

つづいて、「深沢駅(みさわうまや)の碑」といふ石碑が現れ、中央本線が舊本線と別れて鹽嶺山地に突入する鹽嶺トンネルを越えたところでトイレ休憩。ますます景色がよくなつていきます。

さらに、街道を彩る馬頭觀世音や庚申塔や道祖神などの「石造物群」にも出會ひ、伊那街道との分かれ道には一里塚が殘されてをりました。これは、江戸からは五十七里めにあたる三澤の一里塚です。ここから坂の傾斜がきつくなりはじめました。

なほ、家屋が點在する曲がりくねつた道を上つて行くと、つつじの名所といはれる鶴峯公園をかすめ、さらに急坂をのぼると、家竝みが途切れて、落葉松林の山道に突入しました。

みなさんの息づかいも激しくなつたやうで、どなたかが、息を吸ふよりも吐くことを意識して呼吸しましようと言つてゐました。急坂が途切れた向かひに、下諏訪の萬治の石佛似の大きな岩がありました。その前方は開けて眺めがよかつたのですが、九十度右に折れた山道の先は、さらなる心臓破りもかくやあらんと思はせる坂道でした。ところどころ、水がしみ出し、足を取られさうになりながら、齒を食いしばりながらの登坂でした。

山道にさしかかつてから、およそ五十分かかつて、どうやら峠の鞍部に到達することができました。そこが、小野峠でした。が、それは今たどつてきた三澤地區の方々の名稱であつて、小野宿側からは三澤峠と呼ばれてゐるのださうです。

みなさんほつとなされましたが、リーダーが、さらに、この急坂を上ると、「三郡の辻」がありますから見てきませう、と鞍部右手の山を指して促すのでありました。どうも大切な場所らしいので、怠つてゐるわけにはいかず、弱腰に鞭を打つて上りました。

説明が記された柱には、「筑摩、伊那、諏訪の三郡の接する峯で、三郡の辻と言われ、各郡の浅間社が祀られている。」とあり、石で作られた小さな三つの祠が、それぞれ背を向けて、自分の郡のはうに向いて建つてゐました。小野峠は標高一〇七五メートルですが、三郡の辻はそれより十數メートルは高いのではないでせうか。

再び鞍部の峠にもどり、みなさんと思ひ思ひに記念寫眞を撮りました。あとは下り坂です。すぐに舗装された廣い道路に出會ひ、道なりに下りました。ゆるやかな坂道で、途中には、「楡沢山の割り石」といふのがあり、小さなゴルフ場が現れ、しだれ栗森林公園の管理事務所でトイレ休憩をとりました。

この、しだれ栗(シダレグリ)、盆栽のやうな形をした栗の木で、とても珍しいのださうですが、それが山一面に自生してゐる樣は、たしかに壯觀でした。また、紅葉が美しい池の畔にやつてきました。みな歡聲をあげて寫眞を撮つてゐました。水面に映つた景色は絶品でしたね。

ところが、山寺さんが、足もとの大きな岩を指して、これを見忘れるなと言ひたげに、これは、沓掛石で、日本武尊が休んだ岩だといふのです。よく見ると、水を湛へた足跡のやうな窪みがあるではありませんか。一應聞いておきました。はい。

それにしても美しい紅葉です。ただ眞つ赤であるより、よほど見榮えがありました。

もう、だいぶ下つてきましたが、こんどは、一里塚でした。楡沢の一里塚と言ひ、五十八番目に當たります。それも、二つの塚が殘つてゐるのです。珍しいだけではなぬ、なんとなく恥ずかしげにひつそりと存在してゐる姿に心打たれるおもひがいたしました。いい一里塚です。

道路が、どうしてなのか、きつと狹いからでせうが、そこから上り下りが別々に別れ、ぼくたちは、左の下り道をたどりました。すると、その上り下りに別れた道の間に溜池が現れたのです。靜かに淀んでゐました。

さらに進むと、みなさんが林のなかに入つて行かれ、何やら話してゐます。水が湧き出てゐるやうなので、近づくと、「色白水」といふ名水のやうなので、ぼくはすぐに用意したラムちやんカップを出して飲みました。色が白くなつてもなくてもいいのですが、飲んだあとで説明を讀んだら、「その昔、この水で顔を洗うと、色白美人になると言われてきました。」とあつて、みなずつこけてしまひました。

ふとあたりを見回すと、そこは赤松の密集する山で、ところどころに、「茸山に付入山禁止」とあります。手入れがなされてゐるのでせう。そばを歩いてゐるだけでも氣分がよかつたです。でも、そんな氣分もわづかで斷ち切られ、小野宿に到着したのでありました。

が、今日はゴールの中央本線小野驛に直行しました。到着は午後四時三〇分。一九九九〇歩でした。

宿泊は、「中仙道を歩く」で最初の宿泊場所となつた、上諏訪温泉のRAKO華之井ホテルでした。ぼくがお誘ひした森さん以外はみな「中仙道を歩く」で顔なじみでした。その森さんと渡辺さんと同室で、夜、遅くまで歴史談義に花を咲かせました。 

 

今日の寫眞・・峠への難關。小野峠にて。名無しの溜池の紅葉。シダレグリ自生地。そして、夕食の乾杯。



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