十月十七日(土)丙寅(舊九月五日 曇天時々小雨

 

昨晩、依賴された「ひげ説法」第四段を書き終へたので、今日は引きつづき、『中仙道を歩く(一)』(日本橋~板橋)の書式を正しました。文章を丹念に讀み直したので、字句の訂正などを行ひました。さう、大きな訂正は、漢字をすべて正字(舊字)に直したことです。

これ以後の號も順次手直ししていくことにしました。でも、内容的に訂正加筆をしはじめたら限(き)りがないのでやめておかうと思ひます。

また、『歴史紀行』の一册目から九冊目までのワード版を求められてゐるので、このはうも手がけなければならないのですが、意外に難しくて困つてゐます。で、これも課題にしておきたいと思ひます。

 

さて、『北國街道を往く(二)』(加賀街道編)も仕上げなければなりません。それで、二日目に訪ねた雨晴海岸に大伴家持の歌碑がありましたので、ちよいと調べてみることにしました。

「もし家持卿がいまさずば、萬葉集二十卷は編輯されることなく、殘ることもなかつたかも知れぬ。これを思へば、正に家持卿は國史上勳功第一等の偉人にして、民族の永劫に恩惠を與へた高德の人である」。これは、例の義仲寺に墓のあつた、保田與重郎の言葉です(『保田與重郎文庫21 萬葉集名歌選釋』新学舎)。

まあなんと大袈裟な、と思はれるかも知れませんが、確かに家持さんの業績は計り知れないものがあります。なにしろ、『萬葉集』にはたくさんの歌をのこしてゐます。全四五三六首中、四七三首ですから、一割以上ですよ!

この際ですから、その人物と歌についても、もう少し調べてみることにしました。それには、先日、神保町の八木書店の二階廉價本コーナーでみつけた、三〇〇圓の山本健吉著『日本詩人選5 大伴家持』が役立ちさうです。

それと、實は、去年の春、古書市で、『中納言家持卿集』(群書類從本)を入手してゐて、これも役立ちさうです。くづし字ですが讀めないことはありません。が、どうしても分からない漢字が出てきて、そこでとまつてしまふのです。

仕方なく、「群書類從」の第十四輯を出してきたら、そこにそつくり収録されてゐるではありませんか。それがまた小さなといふより細かい字で、新しくした眼鏡でどうにか讀み取ることができるくらいの印刷です。すぐにコピーをしてきて、役立てました。すると、わづかのうちに漢字にも慣れてきて、まあ、すらすらとまではいかないにしても、味はひながら讀み進むことができました。

勉強にも必然性が必要なんですね。そのときに手元に材料があるかないかは決定的です。この機會を逃したら、今度いつ家持さんとお會ひできるか分かりません。

 

今日の讀書・・『中納言家持卿集』を少しづつ。なんだか分かりやすい歌ばかりです。『古今和歌集』のやうに技巧を凝らすまでにはいたつてゐないからでせうか。全部讀めたら讀んでみたいです。

 

今日の寫眞・・今日の切り抜きと、『中納言家持卿集』の冒頭。

 



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