正月二日(水)舊十一月廿七日(己亥 快晴、寒風

 

今日も寒風吹きすさぶなか、《東京散歩》 に出かけてまゐりました。 

今日のコースも、すでに歩き回つてゐるところなので、新鮮味には缺けるであらうことはわかつてゐたのですが、その通り、じつに地味な散歩に終りました。

 

まづは、〈コース番號28〉のコース名と内容─「ミュージアムめぐり 向島・押上ミニ博物館 本所吾妻橋駅~東あずま駅 墨田区は区が指定したユニークなミニ博物館がある。人形、羽子板、屏風、染物、金物など、博物館を兼ねている店舗をめぐる。店舗により開館日が違うので注意しよう。〔所要〕5時間」。 

今回は、「墨田区は区が指定したユニークなミニ博物館」めぐりといふことですが、正月休みのただなかですので、お休みであることはがつてん承知の助! ただ歩き回れればいいはづでした。

 

都營地下鐵淺草線の本所吾妻橋驛は、學生時代に乘り降りしてゐた懐かしい驛です。その改札口を、一一時五分にスタートし、ガイドブックの地圖に描かれたコースを正確にたどりはじめました。それはもう、阿彌陀くじどころではありません。正確にどのやうに歩いたか、今日のコースは説明できませんので、通過した所どころを紹介するしかありません。 

 

すると、豫感があたりまして、ぼくが結婚式をあげた東駒形敎會に出くはしてしまひました。今から何年前になるのでせうか、一九七三年五月に、結婚式のためにだけ、その四月から通ひはじめた關學神學部の授業を缺席して驅けつけたのでした。 

準備はすべて妻と友人たちがすすめてゐてくれて、ぼくはただ着替へて式に出るだけの、借りてきたネコといふのはこのやうなことを言ふのだらうあなと思ひながら、結婚式と手作りの披露宴の席に着いたのでありました。有り難い妻であり友人たちです。その氣持は今もまつたく變つてをりません。 

それとともに、敎會の前にしばしたたずみ、感慨にとらはれて、結婚式からの日々が走馬燈のやうに腦裏をかけめぐりました。西宮から淸水、濵岡から横濱、そして南伊豆へと、仕事場所をかへながら、それでもぼくは、嫌なことは避け、好きなことのできる人生を歩みつづけました。それは、そのまま妻を苦しめることになつたことは言ふまでもなく、・・・いや、反省はしてゐますが、反省してもとりかへしのつかない年月だつたことを重く受けとめ、ただただ妻に感謝と謝罪の日々を送るしかないことに、今さらながら氣がつきました。 

 

まだ歩きはじめたばかりだといふのに、胸がいつぱいになつてしまひ、あとはただガイドブックの地圖上の赤線をたどるのみ。業平一丁目から北上し、業平橋驛、いや十一年まえのガイドブックですからまだ東京スカイツリー驛などといふ我が國の傳統文化をバカにしたやうな名前はついてゐないのがいいのですが、その業平橋驛を越えたあたりから、網の目のやうな路地に入り込みました。

 

屏風博物館、江戸木目込人形博物館、羽子板資料館、藍染博物館、江戸小紋博物館、合金鋳物博物館。それぞれ見學できたらそれはそれは面白いだらうなと思ひつつも、素通りしただけでもまるまる四時間半要したのですから、一日ですむはづがありません。興味あるところを、ピンポイントで見學するしかないと思ひます。 

どのやうに歩いたかを記す余裕はありませんでしたが、東武鐵道龜戸線の東あずま驛には午後三時三〇分到着。正味、一五六二〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・・東駒形敎會と平川橋付近からみたスカイツリー。それと、小さな博物館、二店舗。