正月七日(月)舊十二月二日(甲辰) 晴
今日はがんばりました。朝食後、新年初の齒科通院から歸つてきてからは、母がデイサービスに行き、妻も自分の用事があるやうで、ぼくはぼくで讀書に専念できました。
『河内本 源氏物語〈桐壺〉』 しかし、しぶといです。もう慣れてきてもいいはづなのに、獨特な變體假名につまづいてばかりゐます。思つたやうには進みません。
だからといふわけで、 『葛飾北齋』 を開いたら、この作者の小島政次郎のおぢいさん、生まれが明治二十七年、本書が刊行されたのが昭和三十九年(一九六四年)、七十歳の時。實に若々しい文體で、讀んでゐてわくわくしてきました。生まれは下谷です。ちやきちやきの江戸つ子といつたところでせう。
ぼくは北齋の傳記を今まで讀んだことがないので、どこまでが眞實なのかわかりませんが、感心したのは、北齋が連れ合ひのお砂に出會ふ場面です。
灯の入り頃に、時太郎(北齋)は千住に飛び込んでいた。
千住大橋の上は、人と人との背が擦れ合うほどの混雑を窮めていた。
これで江戸へはいれたかと思うと、ホッとした。・・・
飛ぶように歩いている間中、何か嬉しさにワクワクしたいたが、江戸の灯を見たとたんに、何がそんなに嬉しかったのかと振り返って見た。
「こんな時に、鳥追いがいればいいのに─」 ・・・
彼の待っている鳥追いは来ないで、不思議な娘が近づいて来た。
安物の派手な装(なり)をして、帯は男のような三尺を一ㇳ重腰に巻いているだけで、前髪をバラりと額に垂らして、あとはうしろへ背中の辺まで洗い髪のように投げていた。
どう見ても、だらしのない恰好をしているのだが、その中に一種頽廃的な美しさが匂っていた。頽廃と若さとの相入れない二つのものが不思議な調和をしているのだ。いや、調和かどうか分らない。若さが新鮮さを出してゐた。年は十五六だろうが、乳房も、三尺を一ㇳ重巻いている腰の線も、生き生きとした曲線を描いていた。
いいの悪いのと云っている余裕はない、群衆をすべて消して、この少女の姿ばかりが彼の視野を占領した。
「フーム」
そしてまた、この二人のやり取りが面白い。當時の繪の世界についても敎へられつつ、546頁、厚さ2・5センチの文庫本、すでに一〇〇頁を越えました。