二〇一九年正月(睦月)一日(火)舊十一月廿六日(戊戌・元旦) 

 

新年を迎へました。といつても、我が家ではいつもとかはらない生活のいとなみです。ただ、朝食が日ごろのパン食にかはつて、美味しいお雑煮でした。 

とぼくはともに亥年。そこで一首うかびました。 

 

「 いのししかまためくりくるお正月めてたくもありめてたくもなし 」 

 

あれ、ちよいと一休さんかぶれしてゐるもので似かよつてゐますが、ぼくの愚作に間違ひありません。 

還暦を迎へてから、日本の歴史と文學を讀みはじめてはや一回り。感慨深いものがありますが、まあ、あたふたしないで今年も猪突猛進といきたいと思ひます。 

 

それでも元日くらゐのんびりと、モモタとココを抱いて、『一休骸骨』 を讀みました。變體假名は讀めましたが、内容はちんぷんかんぷん。それでも、ときたまいい歌がありました。 

 

世の中はまとろまて見る夢のうち みてやおとろく人のはかなさ 

はしめなくおはりもなきにわか心 うまれしすると思ふへからす 

まかすれはおもひもたらぬ心かな をさへて世をはすつへかりけり 

 

内容を紹介した文を見かけましたのでそのまま紹介します。 

「元日の朝、竹竿の先に髑髏をつけて 『ご用心、ご用心』 と言って歩いた風狂の禅僧一休。この一休の作になるという、奇抜この上なく、身も引き締まる思いの警世の書。踊る骸骨、抱き合う骸骨、さまざまな姿態の骸骨がくりひろげる絵巻」 

 

別冊の中の、富士正晴+柳田聖山の 「脱線・骸骨談義」 がまた面白くて讀んでしまひました。