二月一日~廿八日 「日記抄」

 

今月も生きながらへて、廿三日には七十二歳の誕生日を迎へることができました。いつかは天皇誕生日になるのだと思つてゐたぼくの誕生日でしたが、それが早かつたのかおそかつたのか。母に誕生日を迎へたことを傳へたら、九十五歳の母から 「長生きしたね」 と言はれてしまひ、複雑な氣持ちでした。  

 

一日(金) 月の初日から古本市めぐり、神田と高圓寺の東京古書會館を訪ねました。出會つた和本は、貝原益軒の 『五常訓』(五册) と 『法忍律師歌詠』 でした。 

今日から、《變體假名(和本・複製・影印)で讀む日本古典文學》 の基本に立ち返り、『源氏物語』 と同時代の 『和泉式部日記』 を讀むことにしました。テキストは何册かありますが、(群書類從特別重要典籍集)の和本を選びました。群書類從版は、四系統に大別される傳本のなかでも、評價の高い他の三種にたいして、「読みやすい流布本」ださうです。 

三日(日) 《東山會》 第十一回歴史探訪の原案、『春の上州路散策』 が賛同を得る。 

四日(月) 散歩がてら、柏で例のタンタン麺をいただいき、南柏驛前で開催中の 《フィールズ南柏 古本市》 を訪ねた。和本は見つからず。 

飯島和一さんの 『黄金旅風』 讀了。人間、どう生きるべきかを敎へられるとともに、歴史の裏側を垣間見せてくれました。考へたら、すでに讀んでしまつたけれど、順番としては、本書のあとで 『出星前夜』 を讀めばよかつたと思ひました。 

五日(火) 今日から開催の 《三省堂書店池袋本店古本まつり》 に行つてきましたが、いい本が見つからず、そればかりか、途中で疲れて早く歸つて横になりたくなりました。 

六日(水) 妻がカツネコの方々とともに、ノラネコを捕獲しに行き、豫定より一匹多い七匹を捕まへてきた。 

七日(木) 妻が、カツネコの協力者とともに、捕獲した七匹を動物病院へつれて行き、術後、午後に引き取りに行つてもとの場所に放つ。 

八日(金) 神田の古書會館を訪ね、夕方まで古書店街をぶら歩き。晝食は、小諸そばのかき揚げそば。夕食は、アルカザールで和風ステーキを完食! 

今日求めた和本はみな二〇〇圓から三〇〇圓のものばかり。『小袖そが』、『正信念佛之偈』、『善惡種蒔鏡和讃』、それと法然の 『選擇本願念佛集』 の訓下し文の和本等。 

九日(土) 群書類從特別重要典籍集の 『和泉式部日記』 讀了。とくに、變體假名を正しく讀むことを意識して讀み通す。つづいて、同じ群書類從特別重要典籍集の 『紫式部日記』 を讀みはじめる。 

十日(日) 今日は、高圓寺の古書會館と池袋のデパートで開催中の古本市を再訪。 

 

十一日(月) 今日、ココがはじめて鳴いた! 二年半前の、二〇一六年六月廿八日に捕獲したノラの子猫ココ。まさか飼ふなどと思つてもみなかつたけれど、モモタとなかよく元氣に育つてゐる。ところが、ココの聲を一度も聞いたことがなかつたのに、今日はじめて鳴いたのです。抱いてあげたぼくの顔を見ながら、「ミヤア」と。それも二度。いやあ、びつくりを通り越してうれしいやら感動してしまつて、涙がでるやうでした。 

十二日(火) 『和本・複製・影印書目録 著作・刊行順』 を整理して、讀書計畫が進むやうに工夫した。 

十四日(木) 今日は、妻とともに龜戸天神とすみだ北齋美術館を訪ねてきました。妻の案で、押上驛から歩いて龜戸天神まで行きました。肝心の梅はまだつぼみが開かず、ただ冬至梅だけがはなやかに咲いてゐました。船橋屋で、ぼくはおしるこ、妻は豆かん。北齋美術館は、入場はしてみたものの、少し疲れてゐたこともあつてか、面白く感じませんでした。 

十六日(土) ひと月前、インフルエンザで缺席せざるをえなかつた、學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 に出席してきました。講義に出るのは一年ぶりです。講義は、すでに 〈夕顔〉 の卷の半分ほどのところまで進んでゐました。夕顔が死んで、それをどのやうに受けとめたらよいのか、光源氏の對應が興味深い場面です。すでに息もなく、冷たくなつてゐたのに、夕顔を抱きしめてあげる、源氏の思ひに感動しました。死の穢れこそ最大限に忌むべきその死體に觸れる勇氣、十七歳の源氏だからこそできたのかも知れません。 

十七日(日) 先日北松戸の萬葉書房で百圓で求めた、「女流日記文学講座 第三巻 和泉式部日記・紫式部日記」(勉誠社) の中の論文、「女流日記文学における『紫式部日記』の位置」 と 「『紫式部日記』と源氏物語」 を讀む。 

敎へられたのは、『紫式部日記』、とくにその「敦成親王誕生に関する記述は、・・道長が、一族の栄ある皇子誕生の顛末を仮名日記として残すことを意図し、文才ある紫式部にその執筆を命じたのではあるまいか」、といふところと、「源氏物語の草子地は物語の語り手および筆記者が顔を出して物語の筋を中断して自由な発言をする。・・この源氏物語の方法が紫式部日記にとり込まれ、書簡体という仮構を設定して、紫式部は言いたいことを言っている」と述べて、『紫式部日記』の「消息文」の特徴を説明してゐるところです。 

十八日(月) とてもよい天氣だつたので、散歩をかねて、荻窪驛の周邊の古本屋をめぐり歩いて來ました。ブックオフをふくめると驛近くに四店舗あり、けつこういい本が揃つてゐるのです。それぞれ數册づつ文庫本を求めただけですが、樂しみが増えました。 

廿日(水) 今日、妻はカツネコの方々と、驛前の赤札堂周邊のノラネコ捕獲作戰で大忙し。出たり入つたり、みなさんには我が家で休憩していただいたりして、夕方までに結局七匹のノラネコを確保。明日、動物病院に運んで手術を受けさせることになつてゐる。 

『紫式部日記 上』 を讀了。 

 

廿一日(木) 南伊豆のさんちやんから宅急便がとどきました。滿開の河津櫻が一枝、ミカン各種とフキノトウ(これでフキミソを作る)、それに誕生日がまじかな一閃くんからのお便りでした。一閃くんは十四歳になり、今日あたり關西へ修学旅行中のやうです。毛倉野の我が家ではじめて會つたときは、おしめにくるまれた赤子でした。 

廿二日(金) 神田の東京古書會館へ行つてきました。幸ひ、和本が多く、しかもみな安い。その中から選んだのは、八種、十二册。『集義和書』 の冒頭の二卷、『駿臺雜話』 が 仁・義・禮・智の四册。他は端本など一册づつ。 

廿三日(土) 今日はぼくの誕生日。七十二歳になりました。來年には天皇誕生日となつてゐることでせう。ちなみに、妻は雅子さんと同じ誕生日。母に傳へたら、「長生きしたね」 と言はれましたが、ぼくが十歳のころ、三十歳まで生きられないと醫師から告げられた母にとつては、やはりうれしいにちがひありません。 

今日も學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 に出席。講義は、すでに 〈夕顔〉 の卷のクライマックスで、夕顔の亡骸の處理に奔走する場面。同い年の乳兄弟・惟光の助言を受けてどうにか自宅へ歸つてきたはいいけれど、といふところまで。 

歸路、高圓寺の古書會館に急ぎました。うれしかつたのは、森銑三さんの絶筆となつた、『昌平黌勤皇譜』 を見つけたことです。昭和六十年三月の日付のある、著者の「お別れの言葉」まで記されてゐて、このやうな本が出てゐたことに驚く。また、夢枕獏さんの、『大江戸恐龍伝』 全五册を發見。 

歸宅すると、友人から電話が入り、一昨日、小田垣先生が亡くなられたとの知らせを受ける。神學科で敎へをうけ、ぼくと妻の結婚式の司式をしてくださつた先生であります。 

廿四(日) 先日から讀み繼いできた、吉村昭著 『法師蝉』 と、高村薫著 『地を這う虫』 といふ短編集を讀了。『地を這う虫』 は、刑事をやめたあとも、その後得た職場で刑事魂を發揮する物語であり、『法師蝉』 は、「定年退職後、朝起きて、今日はなにをしてすごそうか、と思案する日が多い、人生の秋を迎へた男たちの心象」を描いてゐるはなしでした。が、そもそも何をしていいかわからないといふ生き方そのものがぼくには理解できません。 

ドナルド・キーンさん死去。また、本日「投開票された沖縄県民投票では、辺野古埋め立てによる新基地計画について『反対』が72・15%に達した」。 

廿五日(月) 近藤富枝著 『紫式部の恋 「源氏物語」誕生の謎を解く』 讀了。紫式部の人生の歩みと 『源氏物語』 の内容とを照らし合はせながらの解きあかしには感心した。 

廿六日(火) 久しぶりに禮服を着て、小田垣雅也先生の葬儀に列席してきました。吉祥寺驛から井の頭線久我山驛下車數分の久我山敎會で、午後一時から、司式は井上大衛先生、説敎は旭川から來られた広谷和文牧師。簡素で、あたたかく、先生を見送るにふさはしいとてもいい式でした。奥樣と娘さんの朋子さんがぼくのことを覺えてくださつてゐたのには恐縮してしまひました。歸りは、佐竹先生と川島先生を驛までご一緒しました。尊敬する先生方にお會ひできたのもうれしかつた。 

廿八日(木) 終日、『紫式部日記 下』 と 近藤富枝著 『服装から見た源氏物語』 を讀み進む。また、《源氏物語をよむ》 の豫習としては、河内本で八頁讀む。 

 

二月一日~廿八日 「讀書の旅」

 

二月四日 飯島和一著 『黄金旅風』 (小学館文庫) 

二月六日 黒川博行著 『煙霞』 (文春文庫) 

二月九日 和泉式部著 『和泉式部日記』 (群書類從特別重要典籍集) 

二月十日 中野好夫著 『主人公のいない自伝 ある城下市での回想』 (筑摩書房) 

二月十三日 森詠著 『用心棒始末 剣客相談人10』 (二見時代小説文庫) 

二月十六日 森詠著 『疾れ、影法師 剣客相談人11』 (二見時代小説文庫) 

二月十七日 中野幸一著 「女流日記文学における『紫式部日記』の位置」 女流日記文学講座 第三巻 和泉式部日記・紫式部日記 勉誠社) 

二月十七日 鬼束隆昭著 「『紫式部日記』と源氏物語」 (同) 

二月十七日 森詠著 『必殺迷宮剣 剣客相談人12』 (二見時代小説文庫) 

二月廿日 紫式部著 『紫式部日記 上』 群書類從特別重要典籍集) 

二月廿日 森詠著 『賞金首始末 剣客相談人13』 (二見時代小説文庫) 

二月廿二日 殿山泰司著 「浪曲調老残役太郎節」 (『話の特集』一九八〇年十月号所収) 

二月廿四日 吉村昭著 『法師蝉』 (新潮文庫) 

二月廿四日 高村薫著 『地を這う虫』 (文春文庫) 

二月廿五日 近藤富枝著 『紫式部の恋 「源氏物語」誕生の謎を解く』 (河出文庫) 

二月廿五日 小田垣雅也著 「『全き人』と『完全な人』」 (説教集「イエスは主なり」13 水海道教会) 再讀