正月九日(水)舊十二月四日(丙午 晴

 

寢しな起きしなに讀んでゐた、『説教かるかや 上』(註) が讀み終りました。 

しかし、昨晩から頭痛がして、『源氏物語』 のはうはどうにか〈夕顔〉に入りましたが、ほとんど讀み進めませんでした。 

 

註・・・「苅萱(かるかや)」 説経節の曲名。中世末期ころ成立した古説経の一つで,上中下の3巻から成る。善光寺の如来堂の脇に祭られている親子地蔵の由来を語る本地物の形式をとる。中世的な宗教性が濃く,俗生活に背を向けた苅萱道心(筑前松浦党の総領、加藤左衛門尉繁氏)が,家族の執拗な追跡を逃れて高野山にこもり,かたくなに道心を貫いた一生を描いている。この話は最初,高野山の蓮華谷や往生院谷にあった萱堂(かやんどう)に住まう高野聖の間で醸成されたもので,のちに旅を生活の場とする説経師の手に渡り,今日に伝わる形に成長した。

 

今日の寫眞の左頁の挿繪は、苅萱道心の妻と息子の石童丸が、夫を捜しに家を出たところを、娘の千代鶴姫が私をおいていくなと追ひかけてきた場面。