七月三日(日)丙戌(舊五月廿九日 晴、蒸し暑い

 

昨日書き忘れましたが、一昨日捕獲して、手術のためにつれていつたメス猫を、足立區東和のクローバー動物病院から引き取つてきました。が、妻に言はせると、この動物病院の受付の女子が、愛想がないくらゐならまだしも、何しに來たのといふやうな目と態度がありありとしてゐて、それが嫌で、近ければモネ動物病院の方へ行きたいと申してをります。 

だつて、このメス猫で、おそらく二十匹は連れて行つて手術してもらつてゐるのにです。いはばお得意さんです。なのに、いや、それで忙しすぎて不滿なのかも知れませんが、お客相手ですよね。動物病院に限らず、どんな店でも、受付は大事です。それにしてもひどすぎます。いや、先生は穏やかでいい方なんですけどね。

 

ところで、連れ歸つたメス猫といふのが、もしかしたら、我がココの母親かも知れません。氣がついたらその近邊に何匹もの子猫がゐたからです。その中でも、ココだけが元氣活發、探究心といふか冒険心に富んでゐて、我が家のノラたちのテリトリーにのこのこやつてきたのではないかなと思ふのであります。 

そのココを、モモタがまるで母親のやうに見守つてゐます。ココが押し入れに入つてゐるのを氣がつかずにぼくが閉じてしまつたときなど、いつもとはまるで違ふ悲壯感あふれた聲をだして探し回つてゐました。だからではありませんが、部屋に入つたら、まづはじめにモモタを抱いて撫でさすつてあげてゐます。ココにかまふとやはり嫉妬するやうでもあるんですね。 

今日は、モモタとココのみならず、オトにも振り回されました。でも、いつか、この先住民ならぬ先住ノラとご對面させ、できればなかよくしてもらいたい。そんな希望をいだきながら、食事に水に、ウンチの世話と、妻と手分けして行つた一日でありました。 

 

今日の讀書・・夢枕獏著『陰陽師 付喪神ノ卷』(文春文庫)讀了。つづいて、四册目に入りました。 

それとともに、昨日讀みはじめた「内裏歌合」の漢文の序文(正確には序文ではなく、公式の記録である『御記』と『殿上日記』)につづいて、歌の詠み上げとその選評に入りました。その歌を詠み上げるのが「講師」であつて、安倍晴明の相方、源博雅はこの歌を詠み上げる係なのですね。例へば、一番の「霞」といふ題につづく、二番の、題「鶯」を寫します。 

 

二番 鶯 

    左     順 (源順) 

こほりたにとまらぬ春の谷風にまたうちとけぬ鶯の聲 

    右     兼 盛 (藤原兼盛) 

わか宿に鶯いたく鳴なるは庭もはたらに花やちるらん 

    左歌心はへいとおかし。右歌よしなき花ちらすもことなる興なく。ことはもよろしからす。以左爲勝(左を以て勝と爲す)。 

 

今日の《平和の俳句》・・「奔放に生きるも憲法あってこそ」(五十七歳女) 

〈金子兜太〉 分かっているようで案外気付いていないのがこのこと。自由の保障は現在の憲法にあり、変にいじれば自由奔放など夢の夢ですよと。 

その通り。ぼくもさう思ひます。のほほんと生きられるやうな生活を守るためにも。 

 

今日の寫眞・・今朝の新聞切り抜きと、今日のモモタとココ。