七月十八日(月)辛丑(舊六月十五日 曇り日中晴、蒸し暑い

 

オトが逃げてしまひました。妻の不注意です。ベランダの網戸を開けたまま掃除をしてゐたからで、寅が逃げた時に氣を引き締めたのに、もう取りかへしがつきません。あの子は、獨りでは生きていけないと思へばこそ、體力も氣力も多少は頑丈になるまでは養つてあげようと、妻がさう決心してがんばつてきたのに、まあ、疲れてゐたのでせう。ちよつとした氣のゆるみでした。 

それでも近所を探しました。すると見つけることはできましたが、どうしても捕らへることができません。せめて、食事のときには姿を見せてほしいものです。やはり、寅のやうには元氣ではなく、どこか遠くへ行つてしまふことはなささうなので、ほんの少し安心しました。けれど、妻の落膽はひどく、ラム以來の喪失感だと自らこぼしてゐました。 

 

今日の讀書・・今日から、『多武峰少將物語』を讀みはじめました。もちろん、「群書類從」の和綴じ本であります。讀みかけの本が何册かありますが、それらは後日に回してもいいものばかりですから、このあたりで、ともかくも、中村眞一郎著『王朝物語』の叙述に従つて、順番に讀んでいくことにします。 

むろん、この書が觸れてゐない、とくに和歌や日記や隨筆類で、ぼくが影印本ですでに入手してゐるものもあるので、それはその歴史の流れにふさはしい時に讀んでいくつもりです。 

その「目次」にそつて言へば、すでに讀み終はつてゐるものをのぞくと、次は、「第四章 多武峰少將物語・篁物語」でありまして、『篁物語』は、つい先だつて讀み終へたばかりですから、當然、『多武峰少將物語』になると、さういふわけなのであります。 

かたや、〈漢文〉のはうは、『貞信公記』をはじめとして、『吏部王記』、『九暦』、『小右記』、『權記』、そして『御堂關白記』などがひかへてゐます。が、とにかく第一歩。『貞信公記』を〈かな文〉と併行して繼讀していくつもりです。これら、古記録の道しるべといふか基本となる、『史料綜覽』と『大日本史料』、これらも隨時參照していかなければなりません。 

それで、昨日、『貞信公記』の頁を開いてみたものの、數頁しか目を通すことができませんでした。まあ、精密に解讀することまで望んでゐませんから、せめて、一字一字目を通していきたいと思ひます。 

そんなこんなで、〈かな文〉の方が、先行してしまふのは目に見えてゐますが、そんな氣持ちは納得させ、「歴史紀行」の旅に出かけることが難しくなつてきたので、せめて、紙上の旅を辿つていきたいと思ひます。 

 

今日の《平和の俳句》・・「武器よ去れ殺す敵など地におらず」(六十九歳男) 

〈金子兜太〉 作者の自解よし。「武器を売るために戦争が必要になっている現実」と。 

〈いとうせいこう〉 敵とはなんぞや、それは恣意的に作られたものだと喝破する一句。 

 

今日の寫眞・・今朝の新聞切り抜き。今日のココ。