七月六日(水)己丑(舊六月三日 うすぐもり 

 

今日は、我が『歴史紀行』の書式の訂正といふか修正のつづきを行ひました。先日は第一、第二、第十二號を行ひましたが、引きつづいて、第三、第四、第五號までを仕上げました。第六號もと思ひましたが、またどうしてこのやうな書式になつてしまつたのか、正すのになんとも面倒なので、途中で今日はやめました。 

なぜこのやうな杜撰な仕上がりを放つておいたかといへば、言ひ譯をすれば、それは、これらを見直す前に、〈中仙道を歩く〉旅とその紀行文を書くはうに集中してしまつたからでした。まあ、氣づいたらやればいいことですが、すでにお送りした方々にはたいへん失禮してしまひました。

 

今日の讀書・・中村眞一郎著『王朝物語』(新潮文庫)を讀みつづけました。今日のところは、ちやうど「源氏物語」の部分で、それが、單なる内容の説明にとどまらず、『竹取物語』や、『伊勢物語』や、『宇津保物語』や、『落窪物語』などとの關連において解かれてゐるところが面白い。それと、言ひ忘れましたが、眞ちやん、世界文學を讀破された方ですから、洋の東西の文學との比較も鮮やかなのであります。 

「『竹取物語』にはじまった、平安時代の物語の流れは、『宇津保』と『落窪』とによって、近代的な写実主義に近い道へ、急速に進んだあとで、今度は『伊勢物語』などの歌物語の系統も含めることで、『源氏物語』以降の、あの恋愛至上主義と唯美主義と心理主義との融け合った『芸術小説』へと脱け出して行く。その変化は、『宇津保』をゾラだとすれば、『源氏』はプルーストに相当する」。 

とまあ、文學の講義を受けてゐるやうな鹽梅でありまして、かうなると、早く『源氏物語』を讀んでみたく思ふのでありました。 

 

それと、今日、アマゾンに注文した、ピエール・ルメートル著『天国でまた会おう(上下)』(ハヤカワ文庫)が屆きました。ハヤカワ文庫なんてひさしぶりですが、これは、ぼくの讀書の師匠である服部さんから薦められたのでした。 

先日メールをいただいたその中で、「『天国でまた会おう(上下)』(ハヤカワ文庫)。特に下が面白かったですね。暇がありましたら、、、、。息抜きに読み始めた本ですが、思わず下車駅を忘れるほどでした。」とあつて、服部さんが電車を乘り過ごしさうになつたほど夢中にさせた本ですから、これは讀まなければなりません。 

 

今日の《平和の俳句》・・「広島の七十年の緑かな」(十六歳男) 

〈いとうせいこう〉 私も先日広島の公園へ行き、同じ気持ちで周囲の樹木を眺めたものだ。焼けて消えた葉が再び茂る。そこに平和の年月を感じる。 

 

今日の寫眞・・今朝の新聞切り抜き。明日、投票に行く豫定なので、ちよいと確認のため。 

それと、ピエール・ルメートル著『天国でまた会おう(上下)』(ハヤカワ文庫)と、穏やかな氣持ちにさせてくれるモモタとココ。オトちやんも、時々ベッドから顔を出してゐますから、少しは落ち着いてきた樣子です。あの事件以來、兩者の面會は謝絶し、まづはオトの精神的回復を待ちたいと思つてゐます。また、妻とモモタも仲直りができました。