七月十二日(火)乙未(舊六月九日 曇り日中晴

 

今日の讀書・・昨日、中村眞一郎著『王朝文学論』(新潮文庫)を讀み出しましたが、『王朝物語』より文字の大きさが小さくて讀みにくいなあと思ひました。ところが、内容は、『王朝物語』より稚拙といふか荒削りな感じが否めないとはいへ、讀んでゐてぼくはぞくぞくときてしまひました。著者の感動が、ぼくの胸に直接響いたと言つてよいのでせう。 

「『源氏』が残ったのは、優れた作品だったのだから当然のことだった、─そういいきってしまえばそれまでだが、しかし、あの王朝貴族社会の崩壊以来、德川氏の武家政治の確立するまでの長い中世の乱世のなかを、燃えやすい紙に書かれた、小部数の書物が、無事に生き延びてきたということだけでも、大変なことであったと思わなければならない。そして、そのためには、あたかもこの一部の物語によって、自分たちの文明の存在を後世に伝えようと決意したかのような、貴族階級の執着、の連続が、辛うじて『源氏』を救ったともいえるだろう」。 

歴史とか文明とか、或いはまた「日本のこころ」を大事になんて、輕く言葉に出してもてあそんでゐるけれども、それを擔つてきた先人の必至の努力を忘れては、まことにすまないと思はざるを得ません。せめて、それらを享受することによつて、その多大なる努力に報いたいと心から思ひました。

 

それと、『王朝物語』ではあまり大きく取り上げてゐませんでしたが、『王朝文学論』では、一項目をあてて論じてゐる、『無名草子』といふ書物についてです。とにかく、『枕草子』はともかく、「御伽草子」やら、「假名草子」やら、「浮世草子」やら、物語名なのか、ジャンルなのか、實にまぎらはしいのですが、今日にいたりますまでに、厖大な物語が殘されてゐるのであります。 

そのうへ、『無名草子』ですから、これは何なのだとぼくも思ひました。ところが、ぼくの無知と怠惰をさらけ出すやうですが、我が藏書に隱れてをりました。岩波文庫と角川文庫、それに新潮日本古典集成のものと、さらに影印本まで見つかつたのであります。でも、この影印本、『建久物語』とありましたから、まさか『無名草子』とは思ひもしなかつたのですが、これは別名であつて、内容はまぎれもなく『無名草子』でした。 

それで、どんな本なのかといふと、書いたのが例の藤原定家の姪で、俊成の孫にあたる女性なのであります。それで、通稱、「俊成卿女(しゆんぜいきやうのむすめ)」と呼ばれてゐます。内容は、「王朝の作り物語全般にわたる、最初の批評書」でありまして、ぼくなんか、取り上げられてゐる書名を見ただけでびつくりです。はじめて目にするものも多くあります。 

で、若かりし眞ちやん。「『無名草子』を通読すれば、王朝から鎌倉へかけての物語の展望が与えられるだけでなく、各作品に対しての当時における評価の高低も、自ずと知られる。筆者はなかなか、鋭い批評家であり、また、繊細な鑑賞家である」と、おつしやつてをられます。どうです。讀みたくなりますね。 

 

今日の《平和の俳句》・・「やってやられてやってやられていなくなる」(四十二歳男) 

〈いとうせいこう〉 最も愚かな人間の構図。核兵器の出現以降、これは現実なのだ。 

〈金子兜太〉 争いごと、その始末の悪い行く末。平仮名書きのくどさバカバカしさが、よく似合う。 

 

今日の寫眞・・新聞切り抜き。書庫に隱れてゐた、中村眞一郎さんの、「源氏」ものと、『無名草子』各種。それとモモタとココの一日。