七月廿六日(火)己酉(舊六月廿三日 曇天のち小雨

 

今日の讀書・・夢枕獏さんの『陰陽師 生成り姫』(文春文庫)讀了。この卷は、短編の寄せ集めの今までと異なつて、初の長編ものでした。その中に、『今昔物語集』などの説話をうまく挿入させてゐたわけですが、ひと味違つて面白かつたです。 

さて、そこで、『貞信公記』を早く讀み上げてしまはうと思ひ立つたのですが、開いたところが、ちやうど宇多法皇と右大臣藤原定方が亡くなつたところで、ふと思ひ出したのであります。

 

ぼくの《日本歴史勉強法》は、「六國史」以後は、歴代天皇ごとに區切つて學んでいくことに決めてあつたのであります。「六國史」以後といふと、宇多天皇からでありまして、すでに宇多天皇と、つづく醍醐天皇の御代については、それぞれの時代を記した史料を讀んできました。 

それらを順にあげれば、『日本紀略』・『扶桑略記』・③『帝王編年記』・④黄門さまの『大日本史』・⑤賴山陽の『日本政記』、そして、⑥『史料綜覽』と⑦『大日本史料』(これは主なところだけ)、さらにその天皇の『御記』(日記)があれば讀むといふ、途方もない計畫なのであります。

 

それでも、二代の天皇についてはすべて讀んできたのですが、その後、『歴史紀行』執筆と中仙道が入り、しかも、「王朝物語」も、できればくづし字で讀もうと思ひはじめたので、『貞信公記』を讀むことでよしとして、我が大計畫を失念してゐたのでありました。が、今や、藤原忠平の日記『貞信公記』は、醍醐天皇の時代を通り過ぎて、朱雀天皇の御代の途中まで讀み進みました。すでに、朱雀時代の史料に取りかかるべき時だつたのであります。 

それで、『貞信公記』は、承平二年(九三二年)八月で休止し、ちやうど半分を殘す分量ですが、朱雀天皇の御代の史料を一通り讀んでから再開したいと思ひます。でも、入院が控へてゐるので、退院後に、『日本紀略』からはじめることにします。 

 

そもそも、なんでこのやうな遠大な計畫を立てたかといへば、伊豆にゐる時でしたが、たまたま買ひ求めた、『日本紀略』の、ぼろぼろの舊版で、ばか安の二、三百圓だつたからですが、その醍醐天皇のところを讀みはじめたら、もちろん漢文なのですが、これが讀めてしまつたのです。それで味をしめて、それならばと、改めて、『日本書紀』から讀みはじめたのが病みつきになつたと、かういふわけだつたのであります。 

弓道だつて、「六國史」を讀んでゐてその気になつたのでした! 

 

今日の《平和の俳句》・・「ぞうさんの眼(め)のなかにある平和かな」(四十八歳女) 

〈いとうせいこう〉 はな子を詠んだ句だが、すべての象の丸い目に平穏映る世の中を。 

 

今日の寫眞・・妻がお氣に入りの、ノラのハナ(華)ちやん。臺所には自由に出入りしてゐるらしい! 

それにしても、妻は、可哀想だといふので、ノラネコの世話をはじめたのですが、彼女は實は觸ることもできない動物嫌ひ、とまではいかなくても、苦手なんです。それなのに、世話をしてゐるのですが、だから、他の飼ひ猫には關心がなくて、むしろ、ノラをいぢめてゐる飼ひ猫を見るととことん追ひ拂ふといふ、變はり者なのです! 

それと、幸せな、モモタとココ。