八月四日(火)壬子(舊六月廿日 晴、蒸し暑い

 

朝食後、母に言はれて塀の蔦を剪定しました。それも直接にではなく、弟が來たときにやつてもらふとかなんとか、遠回しに言ふものですから、仕方なしにやつたんですが、剪定といふよりも、枯れた葉を片づけることが主な仕事でした(昨日の寫眞參照)。たつた數十分の作業でしたが、汗が噴き出たので、シャーワーを浴びて、そしてまた一寢入りしてしまひました。

 

一寢入りした後も、依然として暑くてかなひませんでしたが、少し冷房を弱くして讀書に勵みました。昨年の十一月に中斷してゐた、堀田善衛の『定家明月記私抄 続編』(新潮社版)の殘り五分の二を、一氣に讀みました。

讀んでゐて汗が出ました。それは、内容があまりにもすごいからです。教科書や參考書を見て時代を分からうなんて學び方をしてゐたんでは傳はつてはこない、その時代に生きる者の息吹といふんでせうか、息づかいが感じられる内容です。だから、日記は面白いんです。

それに、堀田さんの書き方も特徴があつて面白いのです。さう、定家六十八歳の時の記述を引用しながら、「実のところを言えば、これを書いている筆者もまた現在、年を重ねて六十八歳、定家卿と同年なのである。」なんて記してゐます。そして、それを讀んでゐるぼくが同じく六十八歳なんですよね、たしかに偶然ですが、明月記の世界に引き込まれる一端にはなつてゐるのでせう。

藤原定家は、「歌による治国平天下」の時代から、承久の亂を經て、「御成敗式目」による武家政権の世に移行しつつある時代を生きぬいた人だつたことがよく分かりました。

 

明日は、修善寺でお仕事。日歸りですが、歸りに、三島でうなぎを食べようかなと考へてゐます。

 

今日の寫眞・・堀田善衛の『定家明月記私抄 続編』(新潮社版)と、古書市で求めた、『御成敗式目』。その見開き。

 


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