二〇一五年八月(葉月)一日(土)己酉(舊六月十七日 晴、蒸し暑い

 

昨夜、デモの話をしたら、妻も行きたいやうでした。でも、母も野良猫もゐることだし、ちよいとむりなんです。が、宮司の坂本さんも奥さんと出かけたやうなこと言つてゐましたから、ぼくもなんとか妻を連れていきたいと、あれこれ考へてゐるところです。

ところで、今日は、ぼくは、また例の病氣が出て、古本市を二個所もはしごしてしまひました。いつもの神田古書會館では、久しぶりに、『大日本史料』が激安で大量に出てゐたので、ここはケチらないで、すでにある第六編之十五以下、三十五まで(これで『太平記』の時代がカバーされました)と、第七編之一から三、それに、第八編之一から三と、十三。この十三は、一條兼良さんと一休宗純さんが亡くなられた時代です。應仁の亂が終はつた直後ですね。

ところが、支拂ふ段になつて、それを出店した老店主に會つたら、そつと少しおまけをしてくれたんです。しかも、レジに言へば送料が取られますが、それも好意でいらないといふのです。ありがたかつたです。名刺をいただいて見たら、「小西重兵衞」といふ、侍みたいなお名前でした。

それと、高圓寺の西部古書會館に行き、そこでは、あれこれ數冊だけ求めて歸路につきました。なにせ蒸し暑くて汗がとまりません。早めに歸宅しました。

 

今日の讀書・・昨夜、坂口安吾著『イノチガケ』(『安吾 戦国痛快短編集』PHP文庫所収)を讀みました。一氣讀みでした。副題が「ヨワン・シローテの殉教」といふのですが、たしかに、前篇は「殉教の数々」と題して、サビエル上陸の次第から、フロイスの活躍、とともに秀吉が一變して迫害に轉じた經緯および殉教の實態、といふか、残酷な拷問や殺害の列擧と、そして、「日本切支丹は全滅」した、そのときまでのことがたいへん分かりやすく描かれてゐました。

後篇が、「ヨワン・シローテの殉教」です。さて、ヨワン・シローテとは誰かと思つたら、それはヨハン・シドチでした。一七〇八年八月、將軍綱吉が死ぬ五ヶ月前のこと、大變な覺悟をして日本の屋島に上陸したのですが、すぐに捕らへられてしまひます。しかし、すでに切支丹が全滅し、「最後の(バテレンの)潜入からわずかに六十数年、十字架の何たるかまで分からないほど切支丹に縁遠い時世になっていた」んですね。取り調べる役人もあたふたとし、結局シドチは江戸の切支丹屋敷に収監されてしまふのです。ところが、話はここからなんです。

この場違ひといふか、状況をも確かめずにやつてきた、異邦人の取り調べをしたのが、新井白石だつたのであります。以下、『西洋紀聞』を讀まれたし。以上。

 

今日の寫眞・・掘り出しものとは言へませんけれど、實に刺激的なものばかりです。幸徳秋水さんについては、また後日。

 


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