八月廿八日(金)丙子(舊七月十五日 曇天

 

いやあ、困りました。やはり見あたりませんでした。坂東眞砂子さんの『死国』に出てくる、「戒壇めぐり」のことですよ。昨晩、一氣に讀み通したんですが、たうとう出てきませんでした。これはしまつたです。

それで、讀書記録を開いて、最初にいつ讀んだか調べてみました。一九九七年の四月でした。ところが、これは坂東さんの著書の四册目で、二月に、『狗神』、つづいて『蟲』、三冊目が『山妣』、そして『死国』と讀んでゐるんです。ですから、『死国』でないとすると、あ、さう、七月には、『蛇鏡』も讀んでゐますから、この四冊の中には、必ずや「戒壇めぐり」のことが記されてゐるに違ひありません。そこで、早速町の圖書館に行きました。が、なかつたので、取り寄せをお願ひしておきました。

やれやれ、面倒なことになりました。といふか、十七年もたつと、記憶があいまひになるといふか、記憶違ひが明らかになつて、だいぶ自信を失ひました。さういへば、同じ一九九七年の頃には、北方謙三や船戸与一、それに東直巳、原尞、殿山泰司、宮脇俊三、堀淳一諸氏の本を一齊に讀みはじめてゐます。なつかしいです。小沢昭一や淺田次郎、赤瀬川源平も、さらに、ジャズの本を讀みはじめたのもこの頃ですね。南伊豆の生活をはじめて四、五年たつた、ぼくがちやうど五十歳の時です。もちろん探偵小説ばかりではありませんよ!

一九九七年は一年を通して一四一冊、一九九八年は一四六冊ですから、ぼくの人生の中でも冊數としてはいちばん多く讀んでゐる時期ですね。その後、二〇〇六年は一五〇册、二〇〇七年は二〇〇册、二〇〇八年は一六〇册と、さらに多く讀んだ年もありましたが、歴史書と古典文學の原文を讀みはじめた二〇〇九年以後は、ぐぐつと少なくなり、その册數は半分以下になりました。つまり、量より質に轉じたわけなのであります。

補足ですが、一九九八年一月にはラムと出會ひ、そして飼ふことになつたので、犬に關する本はその年だけで三十八冊讀んでゐます。子どもの頃のラムにはだいぶ手こずりましたからね。特にリードをつけないで、自由にしかも信賴しあつて樂しく散歩できるやうに、二、三年間はそのことだけに集中して取り組みました。おかげで、一緒に山の中を歩き回り、時には猿を追ひかけたりもしました。その後、東京に來てからも、町の中なのにもかかはらず、リードなしでゆつくり樂しく散歩できましたものね。本代も決して高くはないと言はなければなりません。

 

今日の寫眞・・讀書ノートの昔と今。今のはうは、ちやうど、『一路』を讀んだ頃ですね。

 


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