八月卅一日(月)己卯(舊七月一八日 曇天

 

今朝、東京新聞は第一面で昨日の行動を寫眞入りで大きく報じてゐました。しかし、食事中流れてゐたテレビを見てゐて、おやおやどうしたのかなと思ひました。八時頃から約一時間、それから塀の蔦を刈りに外に出てしまつたんですけれど、その間、國會包圍行動に關してはまつたく報道されませんでした。朝日もTBSもです。いつたいどうなつてゐるんでせう。

コンビニに強盗が入つて立てこもつた事件を、ヘリコプターからの映像まじりで延々と垂れ流してゐました。どのチャンネルもです。これを見てゐて、ぼくは、昨日の國會包圍行動及び全國二〇〇(或いは三〇〇)個所で行はれた抗議行動を隠蔽するための目くらましではないかと思ひました。でつち上げられた感じさへいたしました。はい。

いへ、ただ放送されなかつただけの問題ではないと思ふのです。知りたい人はネットからでもすぐ知ることができます。ぼくは、むしろ、このやうな國民の底力的な行動が、時には虚しくも感じますが、それには、ぼくはカナリアとしての存在意義があるやうに思はれて仕方ありません。さうです、炭鑛の穴の中に置かれたカナリアです。空氣が汚染されはじめると一番先に死んでしまつて警報を鳴らすそのカナリアです。

氣づいて逃げるか、汚染源を除去するしか助かる道はありません。さういふ意味で、この一連の行動が、報道機關の怠慢と自己規制にもかかはらず、はたして警鐘として國民に傳はつてゐるのかどうかが、ぼくにはたいへん興味があります。

 

今日は、この二、三日手がつかなかつた、『中仙道を歩く(廿七・前編)』(赤坂宿~醒井宿)のパワポ版化を進めました。

そこで思ひ出したのが、善光寺の戒壇巡りのことです。圖書館にたのんでおいた坂東眞砂子さんの本四册が屆いたので見てみました。すると、戒壇めぐりの恐ろしさを取りあげてゐたのは、一番はじめに讀んだ 『狗神』 であることが分かりました。やはり、『死国』ではなかつたのです。これは、早いところ訂正とお詫びをしなければなりませんね。

 

先日來、あれこれメールでお騒がせしたものですから、それに應へて何人かの方からメールをいただきました。その一人、短歌の名人でもあり、ぼくの母方の從兄弟からは、「天候不順で野菜が大きなダメージを受けてます。」との嘆きとともに、新聞に投稿した「川柳」を送つてくれました。寫眞ごとお載せします。 

  

今日の寫眞・・從兄弟の投稿川柳と昔の井野川の土手にて。手製の弓をいぢつてゐるのが從兄弟で、中央がぼくです。

それと、今朝の東京新聞一面と、昨日の寫眞の追加です。

 





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