十一月(霜月)一日(金)舊十月五日(壬寅 晴 

今日は、パヂヤマデイ。横になつたり、猫を抱いたりしながら讀書。ところが、吉村昭さんの 『海も暮れきる』 を讀んでゐたら滅入つてきてしまつた。肺病と心臓病では違ふけれど、病魔に責められて苦しむ様子は人ごととは思へない。ただ、酒に溺れて酒に狂はせられた生活といふものはぼくにはどうしても理解できない。まあ、美味しくて飲んでゐるうちはいいけれど、「わかつちやゐるけど、やめられない」といふ段階までいつたら、やはり病氣なのだらう。

 

月がかはつたので、繼讀中の書を記したいところだが、《變體假名で讀む日本古典文學》 については、數日前に、「靑表紙本」で讀む 『源氏物語』 を再開して、〈蓬生〉を繼讀中。 

その他は、讀むべき必然性は確保したいけれど、そのときどきでどうなるかわからない。藏書をふくめて、どんな本と出會ふかによるだらう。『海も暮れきる』 を讀み終はつてから考へたい。 

 

十一月二日(土)舊十月六日(癸卯 晴 

今日は、高圓寺と神田の古書會館の古本市をはしごした。久しぶりのことである。體調が回復してきたからだらうか、購買意欲も復調してきたので、買ひ過ぎないやうに注意したが、和本の魅力には抗しきれず、多數求めてしまつた。それが、今日の寫眞にあるやうな、平臺に積まれたなかから探し出した、といふか、掘り出したのだからお立會ひ! 棚に並べてあるのは値が張つてゐてお呼びでないものが多いが、五〇〇圓均一の平臺となると探す者の氣力しだい!  

寫眞の書は、西行の 『撰集抄』、賀茂真淵の 『にひまなび』、手島堵庵の 『私案なしの説』、松本良順の 『養生法』、それに基督教を批判した 『邪正問答』 など。寫眞にないのは、題簽(題字が書かれた紙片)がないために省いたのだが、『圓光大師 和語燈録』(四、五)、『一遍上人語録卷下』、それに 『一休和尚法語』 はまさしく掘出し物である。讀みたい古典は變體假名で。習ふより慣れろでいきたい。 

まだ神田古本まつり開催中なので、靖国通り沿ひの“古本の回廊”も歩いてみたが、なんとガイドつきのグループが何組もぞろぞろと歩いてゐた。たうとう古本まつりも觀光名所と化してしまつたやうだ。暗くなつてきたので、少し早めだが、例のアルカサールで夕食。和風ステーキをいただいた。體力もつけなければならない。今日の歩數は七〇〇〇歩。

 


 

吉村昭著 『海も暮れきる』 讀了。ぼく自身、ひと月半ほど前までは、これからどうなつてしまふだらうかと思ひに沈んでゐたことを考へると、體力が落ちるといふのはまことに不安である。著者自身の經驗をふまえた、尾崎放哉の病状の衰へて行くさまの描寫は息苦しくさへあつた。 

 

十一月三日(日)舊十月七日(甲辰 曇天、夜になつて雨 

今日は、〈蓬生〉を繼讀。一氣に三分の二ほど讀み進む。 

夜は、テレビをみながら、三匹の猫を抱きかかへて可愛がる。 

 

「毛倉野日記(十七)」(一九九五年八月)書寫。たうとうスイス・ドイツ旅行にさしかかつた。別のノートに記録してゐたので、書いた分量も平生より倍以上。時間はかかるが、あの場面この場面と思ひ出すことが多い。それほど忘れてゐたといふことでもある。 

「毛倉野日記」の再讀といふか書寫は、人生をただ顧みるだけでなく、抜け落ちたすきまを埋めてくれるやうで、より豊かなものにしてくれさうである。 

ただ、アルファベットの入つた横書きを縦書きになほすので、ちよいと手間どる。 

 

十一月四日(月)舊十月八日(乙巳・上弦 晴 

今日は神田古本まつりの最終日。散歩がてら、今回は水道橋驛から歩いてみた。となればまづ日本書房であります。歩道の廉價本の平臺で 『夜寝覺物語』 の影印本をみつけ、店内の文庫の棚では、大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』(岩波現代文庫) に出會ふ。これは讀みやすさうで、それもそのはづ、「フランス読書界を知的興奮に巻きこんだコレージュ・ド・フランスでの講義テキスト全五講。知的刺戟に満ちた卓抜な伝統芸術論。詩人の感性と知性が日本古典詩歌の独自性と魅力を縦横に語る」、といふのだから、必讀の書と言つてもいいだらう。 

神田古本まつりの最終日とあつて、まるで神社の縁日の混雑である。かき分けすり抜けながら、八木書店と一誠堂書店の特別賣場などで買ひ求めたその他の本を順番に記す。

 

山本登朗著 『伊勢物語 流転と変転 鉄心斎文庫が語るもの』 (ブックレット〈書物をひらく〉⑮) (平凡社) 

中村修也著 『今昔物語集の人々 平安京篇』 (思文閣出版) 

小町谷照彦 編著 『絵とあらすじで読む源氏物語─渓斎英泉「源氏物語絵尽大意抄」─』 (新典社) 

北村季吟著・有川武彦校訂 『源氏物語湖月抄(下)増注』 (講談社学術文庫) 

 

實は、『源氏物語』 に關する本はもう買ふまいと思つてゐた。けれども、出會つてみれば貴重さうな、しかも實用的でもある。『源氏物語湖月抄(下)増注』 はなかなか手に入らないので、見つけ次第といふところがあつたが、『絵とあらすじで読む源氏物語』 は珍しいし、面白さうである。 

 

〈蓬生〉(靑表紙本で七三頁)を讀了。つづいて〈關屋〉と思つたけれど、大岡信さんの 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 に引き込まれてしまつたので、その後で讀むことにする。 

 

十一月五日(火)舊十月九日(丙午 晴 

「毛倉野日記(十七)」(一九九五年八月)をひきつづき書寫。スイス・ドイツ旅行にあたり、日記とともに寫眞を載せたいと思つて、當時のアルバムを出してきたら五册もあつた。しかも、それをデジカメで複寫するのに手間どつて、なかなか進まない。 

ただ、歴史紀行とは違ふので、あらためて書く必要はないのだが、自分の記憶の整理のためにも解説は書きたしたい。 

 

*スイス山嶽岳鐵道乘りまくりの旅、さはり  


 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」    ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十一月二日 吉村昭著 『海も暮れきる』 (講談社文庫) 

十一月四日 紫式部著 『源氏物語〈蓬生〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社)