十一月十一日(月)舊十月十五日(壬子 曇天 

『源氏物語〈繪合〉』(第十七帖) 讀了。これは、日本古典文學會で複寫刊行した河内本(中山本)で讀んでみた。内容は靑表紙本とほとんど違つてはをらず、また文字使ひは、靑表紙本よりも判讀しやすかつた。 

しかし、述べられてゐることは決してやさしくはなく、むしろ「繪」についての敎養を問はれる内容だつた。大野先生と丸谷さんの對談のなかで、三島由紀夫が、(明治の)日本には上流社会があると言つたことにたいして、吉田健一が、それは「大変重大な思い違い」だと述べたといふ、そのくだりに關して、「吉田さんは、イギリスの上流社会と比較して、敎養がなければ貴族ではない、上流社会ではないといふことを言いたかったんだと思った。上流社会全体に敎養を重んじ、文明を大事にする風潮があるとき、そこに貴族的なアマチュアリズムがあり得る」(『光る源氏の物語 上』)。 

たしかに、明治時代になつて、上流社會のどれほどの人が 『源氏物語』 を讀めたのか。ましてや繪畫、工藝品などの海外流出をゆるし、どうして「佐竹本三十六歌仙絵」を〈切断〉したのか。そんな無教養な明治や大正の上流社會を、反省も展望もなく認めることはできないだらう! 今日また同樣に、教養もなく、文明を大事にしない「上流社会」によつて支配されつつある世の中を、まあ、はたからながめてゐるしかないのだらう。 

さて、つづいて、〈松風〉である。こんどは、「紫上系」の本筋に戻つた内容のやうである。 

 

十一月十二日(火)舊十月十六日(癸丑・望 快晴 

のどがあまりよくならない。濃い鹽水のうがひのためか、セキはほとんどでないのだが、氣管支が少しゼイゼイする感じ。 

快晴なので、久しぶりにふとんを干す。 

モモタが膀胱炎の疑ひがあるため、醫者にきてもらつて注射を打つていただく。

 

「毛倉野日記(十七)」(一九九五年八月)の書寫終り、すべてお送りすることができた。四册分である。まあ、寫眞が多いのでさうなつたが、以後はまた平々凡々たる毛倉野の日常である。のんびり書き寫しつづけたい。 

 

十一月十三日(水)舊十月十七日(甲寅 くもり 

『源氏物語〈松風〉』(第十八帖) を讀み進める。ひさびさに、明石の入道が登場。 

 

十一月十四日(木)舊十月十八日(乙卯 くもりのち晴 

今日も、『源氏物語〈松風〉』 を讀みつづけ、そして讀了。明石の上と再會をはたしたはよいけれど・・・。 

 

十一月十五日(金)舊十月十九日(丙辰 晴 

セキがまだとまらないが、でかけてみた。まづは早稻田大學構内の「早稲田青空古本祭」を訪ね、収穫がないまま、髙田馬場驛から、池袋經由で大宮へ行つた。川野さんが知らせてくれた、さいたま市立博物館で開催中の 「特別展 見沼~水と人の交流史~」 を見學するためであつた。ますます、利根川からの取水口と元荒川との伏越等を見にいきたくなつた。 

遠出はしたが、電車に乘りづめで、歩いた歩數は並の散歩ほどの、七九六八歩だつた。

 

今日は、冊子の、大野晋著 『仮名文字・仮名文の創始』(岩波講座日本文学史第二巻古代) を持ち歩いて讀了。とてもよくまとまつてゐて、よい復習になつた。 

 

 


 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」    ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十一月二日 吉村昭著 『海も暮れきる』 (講談社文庫) 

十一月四日 紫式部著 『源氏物語〈蓬生〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社) 

十一月八日 大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 (岩波現代文庫) 

十一月八日 紫式部著 『源氏物語〈関屋〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社) 

十一月十一日 紫式部著 『源氏物語〈繪合〉』 (河内本・中山家本 日本古典文學會) 

十一月十四日 紫式部著 『源氏物語〈松風〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社) 

十一月十五日 大野晋著 『仮名文字・仮名文の創始』 (岩波講座日本文学史第二巻古代 岩波書店)