十一月廿一日(木)舊十月廿五日(壬戌 晴 

藤沢周平作著 『長門守の陰謀』 讀了。著作順でいへば、一四册目。二度目なのに、内容はまつたく覺えてゐない。まあ年月がたつといふのはさういふことなのだらう。だから同じ本を何度でも讀めるのだ。『用心棒日月抄』 に入る。 

 

『源氏物語〈薄雲〉』 と 『宇治拾遺物語』 も交互に讀みつづけた。

 

『宇治拾遺物語』 のはうは、有名な、「鬼にこぶとらるゝ事」と「伴大納言の事」、それに、「中納言師時、法師の玉茎檢知の事」。これはご婦人にはすすめられない下卑た内容だが、その野性的な表現が中世文學的なのだといふ! そのクライマックスは・・・。 

「・・・毛の中より松茸の大きやかなるものの、ふらふらといできて、はらにすはすはとうちつけたり。中納言をはじめて、そこらつどひたる物どももろこえにわらふ。聖(ひじり)も手をうちてふしまろびわらひけり」 

 

*今夕、下澤さんのおばさんの通夜が四ツ木齋場でおこなはれた。母と同じ九十六歳。寫眞は、在りし日のおばさんと母。それに、やつと頬に肉がつきはじめたグレイ

 


 

十一月廿二日(金)舊十月廿六日(癸亥・小雪 雨 

終日讀書。書齋にこの冬はじめて暖房を入れる。 

 

十一月廿三日(土)舊十月廿七日(甲子 終日雨 

冷たい雨が降つてゐたけれども、古本市めぐりに出た。神田と高圓寺の二かしよだつたが、今回も内容は高圓寺のはうが斷充實してゐた。 

共通していへるのは源氏物語關係の書物が目立つたことだ。もう買ひ入れまいと思つてゐたのだが、高圓寺で 『源氏物語を反体制文学として読んでみる』 といふ、昨年出たばかりの新書本を目にした時には、思はず手が出てしまつた! 

また、神田で心が動いたのが今和次郎の 『民家採集』 と 『民家論』 だつたが、もはや遠い世界のことになつてしまつたので斷念! そのかはり、和本など數册求める。

 

『歌枕百人選 春夏』、『歌枕百人選 秋冬』、『雨夜燈 全』、『我津衞 中』 

植木雅俊著 『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』 (角川ソフィア文庫) 

三田誠広著 『源氏物語を反体制文学として読んでみる』 (集英社新書) 

「ユリイカ 特集・山田風太郎」 (青土社) 

雨降りなのに普段と變はらない人出だつた。ぼくと似通つた年寄りが多い。 

 

考へたら、「毛倉野日記」と同じやうに、「明學時代日記」、「靑學時代日記」、「關學時代日記」、そして、「淸水日記」、「濵岡日記」、「川和日記」があつてもいい。日記帳はあるはづだから、寫筆すればいいだけだ。 

さう思つてゐたら、かつて、エクセルに、「讀書記録(自分史)」として、讀書記録欄の欄外に日記を寫しておいたことを思ひ出し、開いて見たらたしかに記されてゐた。ノートの日記帳の感想やら思索などを省いた行動記録を、箇条書きのやうにエクセルに書きこんだらしい。毎日ではないが、當時の行動がよくわかる。 

横書きだから、それを、「毛倉野日記」と同じ書式にコピーして縦書きに直してみたけれど、實に讀みにくい。日にちなどの細部を書き直す必要があるが、それでも、はじめから書寫しないですみさうである。 

なにしろ、五十年前の記録である。しかもあの學園闘爭のまつただなか、どう生きてゐたのか、「明治學院大學時代日記」の部分は、ぼく個人の日記といふより、同時代を生きた友人らの記録であると言つてもいい。友人には送り屆けたい。 

以下は、そのコピーしたままの日記の抜粋、といふか、ほんの一部である。 

 

一九六九年(昭和四十四年) 明學四年 

11() 東京教区東分区新年合同礼拝(富士見町教会

1/3() 中村、馬橋、安田三家族、我が家で新年会。夜、江東伝道所新年親睦会 

1/5() CS高学年の親睦会、石橋美子さんと椎野さんを迎へ、我が家で行ふ 

1/8() 授業なくチャペルで夕拝、奨励武藤院長。東大に機動隊が入る 

1/14() 全学大衆団交。学園民主化闘争が全共闘と民青のセクト争ひに移つてくる 

1/18() 機動隊、東大の封鎖を解除。安田講堂攻防戦 

1/19() 東神大、農伝、日本聖書神学校の入学案内を手に入れ、進学計画のさなか、サークル協議会会長のS君から次期会長に出るやう依頼される 

1/2730 日本橋室町の味の素東京支社でアルバイト 

2/8(土) 未明、大学に機動隊導入 

 

十一月廿四日(日)舊十月廿八日(乙丑 終日雨 

『源氏物語〈薄雲〉』 讀み進む。入道の宮(藤壺)が亡くなり、冷泉帝が、自分が藤壺と源氏の子であることを知つて苦惱するところ。 

 

十一月廿五日(月)舊十月廿九日(丙寅 曇天のち晴、のちくもり 

藤沢周平作著 『用心棒日月抄』 讀了。まるではじめての讀後感だが、奥書を見たら、一九九二年十二月(横濱総合病院入院中讀了)につづいて、二〇一三年二月にも讀んでゐることがわかつて、いささかショックだつた。一度讀んだからといつて讀んだことにはならないのではないかと思はされた。ただ册數を競つてゐるやうではならぬと自戒する。

 

『源氏物語を反体制文学として読んでみる』 を讀みはじめる。 

 

夕方、岡山の森口君に電話をかけた。すると、倒れてひと月ほど入院してゐたのだといふ。連絡もなく、相變はらず忙しいのだらうと思つてゐたが、メールアドレスがわからなかつたので家のはうに電話したのだつた。たうとう入院したか、と思はないわけにはいかなかつた。 

「明學時代日記」(一九六五年十二月~一九七一年三月)を發見したので送らうと思つたのだ。明學に入つて最もはやく親しくなつたのが森口君で、ぼくがMG5(明治學院五年生)で卒業する間際に、西大寺高校教師の口があつて、それ以來、岡山暮らし。その連絡が郷里からあつたときも、彼の甥をつれて堀切の我が家に來てゐたときだつた。あれこれ走馬燈のやうに思ひ出が浮かんでくる。 

 

今日は、「明學時代日記」につづいて、「靑學時代日記」、「關學時代日記」、そして、「淸水日記」、「濵岡日記」、「川和日記」を、エクセルからワード文にコピーする。「濵岡日記」と「川和日記」には未完の部分もあるが、それはのちのちノートから書寫することにする。また、體裁をととのへやうとすると時間がかかるので、このはうは「毛倉野日記」と並行して作業をすすめたい。 

以下は、明學以前、高校時代からおつきあいのあるHさんから、次のやうなコメントをいただいて感激。まさに、「あの時代を引きずって生きて」きた友人・先輩のお一人である。 

 

中村淳一様 貴重な記録拝受いたしました。あの時代のことがよみがえってきました、、、というよりは、あの時代を引きずって生きていることを再確認させられました。良し悪しはともかく、それを無視しては先にすすめない、、、そんな思いでした。その後現場に入っても、あの頃の残り火をくすぶらせながら生きてきたように思います。その中の貴重なつながりの中に貴殿との結びつきが今まで続いていることを深く感謝いたします。 

 

*明學湖北寮で作戰會議 


 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」    ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十一月二日 吉村昭著 『海も暮れきる』 (講談社文庫) 

十一月四日 紫式部著 『源氏物語十五〈蓬生〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月八日 大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 (岩波現代文庫) 

十一月八日 紫式部著 『源氏物語十六〈関屋〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月十一日 紫式部著 『源氏物語十七〈繪合〉』 (河内本 日本古典文學會) 

十一月十四日 紫式部著 『源氏物語十八〈松風〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月十五日 大野晋著 『仮名文字・仮名文の創始』 (岩波講座日本文学史第二巻古代 岩波書店) 

十一月十六日 中島悦次著 「『宇治拾遺物語』の説話の特性」 (日本古典文学全集 『宇治拾遺物語』 小學館、月報) 

十一月十六日 野坂昭如著 「宇治拾遺のこと」 (同右) 

十一月十六日 小林智昭著 「『宇治拾遺物語』後日譚」 (同右) 

十一月十九日 高嶋光雪・井上隆史著 『三十六歌仙絵巻の流転 : 幻の秘宝と財界の巨人たち』 (日経ビジネス人文庫) 

十一月廿一日 藤沢周平作著(著作順一四) 『長門守の陰謀』 (文春文庫) 

十一月廿五日 藤沢周平作著(著作順一七) 『用心棒日月抄』 (新潮文庫)