一月廿六日(火)舊十月卅日(丁卯 曇天 

今日は慈惠大學病院への通院日。先月は混んでゐて、血液檢査が八十人待ちだつたが、今日は十人ほど。診察も豫約の一一時ちやうどにはじまり、しかも、諸檢査の結果がすこぶる良くて、みか先生も喜んでくださつた。腎臓も肝臓も問題なく、前立腺がんの兆候もなく、インフルエンザにかかると心不全に惡いからと、豫防注射をすすめられた。さういへば、今日の心電圖檢査ははじめて若い男性技師だつたな。ちよいと殘念。 

それから、新宿驛西口で開催中の古本まつりを訪ねた。とても廣いスペースで、少し寒かつたけれども調子よく、つい買ひすぎてしまつた。求めたのは文庫本とその他三册。言ひ譯すれば、ふだん見かけない本が多くあつたからだ。そのなかでもとくに面白さうなのをあげてみる。

 

まづは、『年中行事 吉原大雜笑』。「この本は吉原遊郭における事象をとらえて、陰陽・暦・天文など人間万端を律する教範の書である」といふ。和綴じで、挿繪の入つた變體假名本である。復刻されたものらしい。それにしても五〇〇圓では安かつた。 

つづいて、湯浅裕光著 『瑤泉院 忠臣藏の首謀者・浅野阿久利』 (新潮文庫)。このやうな本が出てゐたとは知らなかつた! 「瑤泉院(ようぜいいん)。史料には絶世の美女と記してあり、才色兼備とも形容される。この物語は、今から三百年余前に起きた赤穂四十七士の吉良邸討入り事件に際し、二十八歳の美貌の女性の果たした役割を再発見する試みである」とある。七百頁を越える分量であるが、「膨大な史料を縦横無尽に駆使して誕生した、静かな感動溢れる出色の忠臣藏小説」であるさうな。 

昨日讀み終つた 『用心棒日月抄』 は、忠臣藏を背景に描かれた用心棒稼業のはなしだつたから、その顛末の復習になつたくらゐだつた。熱がさめないうちに讀んでみたい。

 

それと、佐藤弘夫著 『鎌倉仏教』 (ちくま学芸文庫)。「鎌倉仏教が真に『民衆宗敎』としての名に値するなら、それが民衆にどのように受け容れられ、その精神と肉体の解放にいかなる具体的な役割を果たしたのかという点が、追究されなければならない」、と言ひ、「鎌倉仏教を教理としてではなく生きた宗敎として捉えようと」して書かれた本だから、まことに挑戰的でる。あとがきによれば、「本書を貫く基調色があるとすれば、それは(あまりにも悟りすました、あるいは温厚な祖師の姿を描いてきた諸学説にたいする)『怒り』である」と語つてゐるほどである! 

さらに、梶村昇著 『疑ひながらも念仏すれば往生す』 (総本山知恩院)。 

武田鏡村著 『越後の親鸞 その足跡と愚禿の実像』 (恒文社)。 

五木寛之著 『隠れ念仏と隠し念仏』 (ちくま文庫) 

ヴィルヘルム・ブーセ著 『イエス』 (岩波文庫)。これは以前讀んだかも知れない本だが、手に取つてみて、再讀したいと思つた。林達夫の譯で、一三〇頁ほどの分量だが、舊字舊假名なのでぼくとしたら願つたりかなつたりだ。

 

さいごに、宮脇俊三さんの 『夢の山岳鉄道』 (新潮文庫)。「上高地への道路に代えて鉄道を敷いてみたら?」と、「夢を託して架空の鉄道計画を大胆に提案」といふ内容である。富士山、屋久島、蔵王等。ぼくが訪ねた、スイスのブリエンツ・ロートホルン鐵道とシーニゲ・プラッテ鐵道も紹介されてゐて、これは手もとに置いておきたいと思つた。けれども、ぼくが計畫してゐる、伊豆修善寺から天城を越えて河津までの山岳鐵道が語られてゐないのが悔しい。 

歸りは、都營新宿線で神保町へ戻り、アルカサールで和風ステーキを食べて力をつけた。今日の歩數・・・六一〇〇歩

 

*寫眞は、病院で見かけた便利さうな掃除道具(セット)。それと、新宿驛西口古書市。 


 

一月廿七日(水)舊十一月朔日(戊辰・朔 雨 

今日は寒い。モモタとココとグレイを抱いて讀書。 

三田誠広著 『源氏物語を反体制文学として読んでみる』 を讀みつづける。前半は、ちよいと讀むのに根氣が必要だが、敎へられるところが多い。本書は、從來の源氏論とは一味もふた味も違ふ。紫式部が仕へた藤原道長についてとても詳細にのべられ、今まで讀んだ道長觀が覆された氣がする。 

例へば、「摂関家嫡流の全盛時代に、源氏の英雄を描く。その(紫式部の)果敢な挑戦に対しては、道長も何か感じたのではないか。道長もまた、摂関家では冷遇されていて、源氏の左大臣(土御門殿・源雅信)のもとに入り婿となつた、いわば抵抗勢力の側の人間だったからだ」といひ、道長が光源氏のモデルのひとりであるといふ指摘には、うなづくしかなかつた。それと、紫式部が懐妊して女兒を産むが、その父親は、宣孝ではなく道長だらうとも述べてゐる。 

平安時代初期から中期、そして後期にわたる政治状況の復習にもなるし、物語りにのめり込んでゐると忘れがちになる多くの點を指摘されるので、本書はとても勉強になる。

 

一月廿八日(木)舊十一月二日(己巳 雨 

昨夜、三田誠広著 『源氏物語を反体制文学として読んでみる』(集英社新書) 讀了。 

内容紹介・・・紫式部が『源氏物語』を書いた平安時代は、摂関政治(天皇に嫁いだ娘が男児を産むことで外戚として権力を得る)の全盛期にあった。しかし『源氏物語』は天皇親政の時代を舞台とし、「源」という元皇族が活躍するストーリーだ。摂関政治をあえて否定するという、いわばその時代の「反体制文学」として『源氏物語』は大ベストセラーとなり、多くの読者の支持を得た。なぜ紫式部はそのような果敢な挑戦をしたのか。紫式部が時代をどう感じ、またどのようなモチベーションで物語を綴ったのか。独自の視点で鮮やかに描く、新しい『源氏物語』論。 

 

また、『年中行事 吉原大雜笑』、江戸時代の變體假名はむずかしいので讀めるかどうか開いてみたら、すらすらとまではいかないけれど、文字をたどりたどり意味をくみながら讀めるので感激。ただ、内容が過激で大きな聲では言へない。 

そこでまた氣分をかへて、昨日求めた文庫本のなかから、佐々木譲著 『地層捜査』(文春文庫) を讀みはじめる。すると、殺人事件の捜査の舞臺となつてゐる、四谷荒木町あたりを訪ねたくなつた。新宿通りをはさんだ南側は、塙保己一の墓のある藍染院があるので、歩いたことはあるが、通りの北側は未知の町だ。荒木町と聞いて、遠い昔に聞いたこともあるやうで、なんだか懐かしい。 

 

*『年中行事 吉原大雜笑』 の一部!  

 

一月廿九日(金)舊十一月三日(庚午 晴 

今日は、高圓寺と神田の古書會館の古本市をはしごした。といふより古本めあての散歩にでかけた。ただ今回はどちらも際立つた収穫はなかつた。求めた和本は、『拾遺集(拾遺和歌集)』(寂惠本 日本古典文學會)と、『南總里見八犬傳 第四輯巻一』(曲亭馬琴自筆稿本 日本古典文學會)と、『續妙好人傳 上下』 (和本)の三種。すべて神田で見つけた。高圓寺では、高橋良和著 『法然伝記の謎』(文化書院) ほか數册。 

なにかものたりないので、荻窪まで足をのばし、岩本書店とささま書店を訪ねたが、ともに収穫なし。そこで、明け方讀み終つたばかりの、佐々木譲さんの 『地層捜査』 の舞臺、四谷を訪ねてみることにした。

 

荻窪驛だから、地下鐵に乘つてもよかつたが、中央線快速のはうが速いと思ひ、四谷驛經由、丸ノ内線の四谷三丁目驛で下車。まづ、四谷署を目視確認したあと、新宿通りから、荒木町を南北に貫く三本の道のひとつ、車力門通りに入る(寫眞參照。他は、杉大門通りと柳新道通り)。すると道の先は下り坂になつてゐて、まるで谷間におりていくやう。といふと大袈裟だが、四谷といふだけあつて、そのうちの一つの谷間なのだらう。次第に細くなる感じで、飲食店がそろそろ明かりをつけはじめた時刻。

 

途中右手に折れて、物語の殺人現場となつた場所に向ふ。そこは崖の際をのぼつてきた突先にあたり、そこに老婆が殺された現場である老婆の持家であるアパートが建ち、左手がそれこそ谷間である(寫眞參照)。むろん現在は(といふか現實は)ビルが建ち、谷の下には家々の屋根がひしめいてゐる。刑事が何度も上り下りしたこの石段は仲坂と言ひ、ぼくもそこを下りた。下りるにしたがつて、空が狭まるやうな感覺におちいる。

 

谷底におりた突き当りの路地を左に曲がり、再び車力門通りにもどらうとしたら、そこは石畳。さうだ、本に、「坂道は石畳だ。石はかつて新宿通りを走っていた路面電車の軌道に敷かれていた」とあつた敷石だつた。その敷石を踏みしめながら上りきつたところに小さな公園があり、そこに金丸稻荷がまつられてあつた。

 

つづいて、車力門通りからはづれて、右手にさらに窪地に下りていくと、その底に河童池(「策〈むち〉の池」)と津の守辨財天があり、周りは住宅地、まるで地の底に達してしまつたやうだ。もうこのへんで現地捜索はやめにして、新宿通りへよりはより平坦な曙橋驛へ向ふことにした。それでも細い石段をずずつと上り、車力門通りにもどつてから、外苑東通りを横斷して靖國通りへの坂を下つた。都營新宿線曙橋驛は靖國通りに出て右折したところにあり、明るい構内に入るやいなやなんだかほつとした。 

夜の車力門通りをはじめ、杉大門通りと柳新道通りは俄然にぎやかな飲食店街に變貌するのだらうが、その時間まで過ごす體力はなかつた。 

今日の歩數・・・八九〇〇歩

 


 

一月卅日(土)舊十一月四日(辛未 晴 

今日は靜かに、『源氏物語十九〈薄雲〉』(靑表紙本・八一頁) 讀了。寄り道をしたり、道草を食つてゐたので、半月もかかつてしまつた。 

明石の上の姫君を引き取つて紫の上が養育することで一件落着と思つたら、入道后の宮(藤壺)が亡くなり、そのことから、光源氏と藤壺の子だといふことが、「夜居の僧都の密奏」によつて冷泉帝に知られてしまふ。それを知つた帝は、自分が退位して光源氏に讓位をしたいとほのめかすのだが、光源氏はそこで自分のしたことの恐ろしさを深刻に感じたと思ひきや、なんと冷泉帝の奥さん、つまり自分の子の妻である齋宮の女御(亡き六条御息所の娘)に言ひ寄るのである。いくら「好き」だからといつて、この場面、著者の紫式部は何を考へてゐるのだらう。 

ところで、本帖の變體假名にはとまどつた。さいごのはうにいたつて慣れてきたが、次の帖ではどうなのか、期待したい。それで、つづいて、『源氏物語二十〈朝顔〉』 に入る。

 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」    ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十一月二日 吉村昭著 『海も暮れきる』 (講談社文庫) 

十一月四日 紫式部著 『源氏物語十五〈蓬生〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月八日 大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 (岩波現代文庫) 

十一月八日 紫式部著 『源氏物語十六〈関屋〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月十一日 紫式部著 『源氏物語十七〈繪合〉』 (河内本 日本古典文學會) 

十一月十四日 紫式部著 『源氏物語十八〈松風〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月十五日 大野晋著 『仮名文字・仮名文の創始』 (岩波講座日本文学史第二巻古代 岩波書店) 

十一月十六日 中島悦次著 「『宇治拾遺物語』の説話の特性」 (日本古典文学全集 『宇治拾遺物語』 小學館、月報) 

十一月十六日 野坂昭如著 「宇治拾遺のこと」 (同右) 

十一月十六日 小林智昭著 「『宇治拾遺物語』後日譚」 (同右) 

十一月十九日 高嶋光雪・井上隆史著 『三十六歌仙絵巻の流転 : 幻の秘宝と財界の巨人たち』 (日経ビジネス人文庫) 

十一月廿一日 藤沢周平作著(著作順一四) 『長門守の陰謀』 (文春文庫) 

十一月廿五日 藤沢周平作著(著作順一七) 『用心棒日月抄』 (新潮文庫) 

十一月廿七日 三田誠広著 『源氏物語を反体制文学として読んでみる』 (集英社新書) 

十一月廿九日 佐々木譲著 『地層捜査』 (文春文庫) 

十一月卅日 紫式部著 『源氏物語十九〈薄雲〉』 (靑表紙本 新典社)