十一月十六日(土)舊十月廿日(丁巳 晴 

『源氏物語〈薄雲〉』 を讀みはじめたら、變體假名の文字が、これまでの靑表紙本の例の太い筆づかひと違つて細く、あきらかに定家の筆ではなくて、手傳はせた者の手だなといふことがわかる。それだけではなく、書かれてゐる文字・變體假名も、はじめてみるやうな字母の文字が多々でてくるので新鮮といふか興味深い。 

例へば、「濃」、「太」、「故」、「曾」、「壽」、「良」、「薇」、「春」、「喜」、「東」。それぞれ、「の、た、こ、そ、す、ら、み、す、き、と」の字母であるが、とくに、「薇(み)」なんてはじめてである。「春」は字母として頻繁に出てくるが、そのなかでもとくにむずかしいくづし字が使はれてゐて、これはいつたいどうしてなのかと思ふくらゐなのである。 

なぜ、違ふのか。正確に寫せばいいのだから、もとの本からして違つた寫本だつたのか、それとも、寫筆者が恣意的に好みの字母の文字を使つたのか。それについて、定家さんは何も言はなかつたのかなど、いくつも疑問がわいて來る。 

 

ところで、『源氏物語』 だけでは、視野も氣持ちも狭まつてしまふので、『源氏物語』 と並行して、だいぶ後世のものになるが、『宇治拾遺物語』 を、掘り出し集めた和本でよむことにした。まあ、すでに讀んだことがあり、ラヂオから聞こえてきた伊東玉美先生のあのすてきな聲のひびきもまだ胸のうちに響いてゐるので、新鮮さには缺けるが、變體假名のお勉強にはもつてこい。ただ殘念なことに、全十五卷の和本うち、卷第五だけがまだ入手できてゐない。その部分は他の影印書で讀むことにして、その第一話を讀んでみたが、『源氏物語』 にくらべたら、ほとんど註釋を必要とせず、變體假名も抵抗なく讀めるのがうれしい。言葉使ひや單語の意味が直に傳はつてくる。内容も、和泉式部にかよふ、「いろにふけりたる僧」への戒め話しで面白い。挿繪もある。 

しかし、できれば説話文學の先驅けとなる、『今昔物語集』 を、もちろん變體假名で讀んでみたいところなのだが、この書の場合は、漢字片假名交じり文であることと、和本で入手することが困難であるので斷念。先日の神田古本まつりでは、揃ひで四十數萬圓もしてゐた! 

 

十一月十七日(日)舊十月廿一日(戊午 晴 

今日も天氣がよくて、立川の國營昭和記念公園で開催中の 〈東京蚤の市〉 を訪ねて、その歸りに町田の柿島屋で馬刺し、それとも 〈鬼子母神通りみちくさ市〉 を見たあとで、池袋の天龍で餃子ライスでもと思つてゐたのだが、朝起きてみるとどうも調子がよくない。それで、また横になつて、『源氏物語〈薄雲〉』 と 『宇治拾遺物語』 を交互に讀みつづけた。

 

靑表紙本の讀み方は、まづ靑表紙本本文を讀み進める。讀み方は、句讀點をつけながら、意味内容を理解しながらである。句讀點をつけることで語句の連なりの意味を理解することができるからだが、しかし、かならず途中で行き詰まつてしまふので、わからなくなつたら註釋書を躊躇なく參考にする。が、註釋書によつては、句讀點或ひは段落の置き方も違ふ場合があり、そのときは自分で判斷するしかない。つまり、それは本文をどう讀むかによるので、まちまちであつても仕方ないことなのだらう。 

ただ、多くの單語や語彙、語句の意味が理解できないから、註釋書を絶えず參考にするしかない。できれば一字一句辭書で調べたいところだけれど、それをしてゐたら、おそらく讀み通せないであらう。研究するためなら必要だが、讀んでわかればいいのだから、あまり深入りしない。人と交はるのと同じである。 

そのかはり、靑表紙本には、句讀點、段落のしるしとともに、書き入れをする。讀んだ足跡を遺しておくのも、讀書の樂しみのうちである。 

ところが、『宇治拾遺物語』 や、先日讀み終つた 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖)』 もさうだが、ほとんど註釋書を必要としない。漢字假名交り文だが、むずかしい漢字には振り假名がふつてある。讀んだしるしに句讀點や段落をつける場合もあるが、それでは讀み進む速度がおちるし、寄り道してゐるやうでまどろこしい。かうなると、ところどころ意味がわからない單語や語句がでてきても氣にならないのが不思議である。ただ、わかる言葉でも、今日と異なる意味をもつものがあるので注意が必要かもしれない。 

 

夕食後、猫たちの相手をしながら、NHK・Eテレで、「日曜美術館」を見た。今、京都國立博物館で開催中の、特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」 にちなんでの番組であつたが、けつこう面白かつた。むろん、繪卷が切斷された經緯はわずかな説明で、歌仙繪のすばらしさが主題であつた。たしかにすばらしい歌仙繪だと思ふ。 

そこで、本棚を見回し、二〇一六年四月に神保町で三〇〇圓で求めた、高嶋光雪・井上隆史著 『三十六歌仙絵巻の流転 : 幻の秘宝と財界の巨人たち』(日経ビジネス人文庫) を探し出してきて、ぱらぱらと復習してみた。 

「ばらばらに切断されて当時の大金持ちに売られた国宝級の華麗な絵巻。絵巻の一枚一枚はどのような人々の手に渡り、また離れていったのだろうか。そして現在、どのような人々のどんな家々に飾られているのだろうか」と、實にミーハー的な興味から、持ち主の家を訪ね歩いた記録だから興味津々。面白くないはづがない。

 

十一月十八日(月)舊十月廿二日(己未 晴 

セキがとまり、天氣もよいやうなので出かけることにした。せつかくだから恆例の東京散歩に出た。〈コース番號32〉のコース名と内容は─「昔の道を歩く 中野 新中野駅~西新宿五丁目駅 杉並区にある妙法寺への参道の道、旧本郷村の村道(本郷道)、旧雑色道など旧道を行く。細い道や商店街、住宅街を歩くので、曲がるところを間違えないよう注意。〔所要〕2時間」。

 

といふことで、前回と同じく、中野驛の南部なのだが、新中野驛なんてはじめてである。そもそも、丸ノ内線にはどのやうに乘つたらよいのか、だいぶ考へたあげく、千代田線の國會議事堂前驛で荻窪行きに乘り換へて向かつた。 

驛を出るとそこは交通量の多い靑梅街道で、ガイドブックに從つてすぐ脇道に入る。今度のコースは、高空から見れば大きな「己」といふ文字を描くやうなコースで、前回のやうに單純ではない。「曲がるところを間違えないよう注意」といふ注意書きの言ふ通りであつた。 

その途中、すでに午後一時にならうとしてゐたので、ちよいと調べておいたうなぎ屋をたずねたら、そこが月曜定休日。がつくりしたら、その先で別のうなぎ屋を発見。これこそ、「捨てる神あれば、拾ふ神あり」であると感じ入つた。

 

はらごしらへしたあとは、道をまちがへないやうに、ゆつくり進んだ。そして、ガイドブックのコースからは離れてしまふのだが、「中野検車区」といふ、地下鐵の車輛基地を訪ねてみた。地下鐵の車輛は地上のどこから入るのだらうといふ素朴な疑問はいまもつて胸にくすぶつてをり、たずねた基地は、中野富士見町驛の先にあたる神田川沿ひにあつた。ひと驛先が終點の方南町驛であることを考へると、この車輛基地確保のために、丸ノ内線のこの支線ができたのかも知れないと思つた。

 

この後は、弥生町五、四、三、一丁目を、方南通りに並行して、西から東へたどつてゴールの都營大江戸線西新宿五丁目驛に至つたが、弥生式土器の弥生は、文京區の弥生(弥生町ではない)であり、突然目にすると間違へさうである。 

それにしてもこの中野界隈には氷川神社が多い。前回は一社、今回は二社あつた。またそれ以上に多かつたのはお地藏さんである。出會つた順に記せば、「舟形地藏尊」、「秋津子育地藏尊」、「丸型地藏尊」、「川嶋地藏」、「向台の地藏尊」の五つである。お地藏さんについては、『 歴史紀行 十三 中仙道を歩く(三) 』(蕨宿~大宮宿 二〇一三年二月廿日) で詳しくのべたのだが、それだけ住民が祈り求めることの多い生活を強ひられてゐたことのしるしにほかならないと思ふ。

 

新中野驛スタートが一二時二〇分、西新宿五丁目驛ゴールが一五時二〇分。うなぎを食べたり、寄り道したりで、所要時間が一時間もオーバーしてしまつた。また、歩數は一〇〇〇〇歩ちやうどであつた。 

西新宿五丁目驛からは新宿驛へ向かひ、小田急線に乘り換へて町田驛。柿島屋で馬刺しをいただいてから歸宅。一日で、一三六九〇歩であつた。 

 

今日の讀書は、『三十六歌仙絵巻の流転』 を持ち歩いてよみつづける。

 


 

十一月十九日(火)舊十月廿三日(庚申 晴 

今回のセキが思ひのほか早くとまつたのは、セキが出るたびに飲んでゐた冷水をやめて、お湯を飲みつづけたからだらうと思ふ。かるくすんでよかつた。 

それで、急にまた担担麺が食べたくなつて、柏に出かけた。その天外天といふ店のおすすめは刀削麺のやうなのだが、ぼくは細麺でいただくことにしてゐる。鹽分の濃いスープは飲まないやうにしても美味しい。ついでなので、太平書林と松戸驛前のブックオフにも寄り、以下の文庫本を求める。 

 

エラスムス著 『痴愚神礼讃 ラテン語原典訳』 (中公文庫) 

梅原猛著 『親鸞「四つの謎」を解く』 (新潮文庫) 

阿満利麿著 『親鸞・普遍への道 中世の真実』 (ちくま学芸文庫) 

佐藤雅美著 『江戸繁昌記 寺門静軒無聊伝』 (講談社文庫) 

 

書齋の文机の前にぼくが座ると、グレイがぼくのふところに飛び込んでくるやうになつた。モモタにもココにもなかつたことなので、ことさらうれしいし可愛い。まるまつて自分の尾の先をくわえてゐるのだが、先がまるで筆先のやうで、そのまま文字が書けさうである。自分の尾の先を噛むのは、ストレスによるものなのだらうか? 

 

高嶋光雪・井上隆史著 『三十六歌仙絵巻の流転 : 幻の秘宝と財界の巨人たち』(日経ビジネス人文庫) 讀了。たしかに面白かつた。しかし、ぼくの感想としては、はいさうですか、といつて納得できないものが心にのこる。

 

内容・・・「大正時代、あまりの高価さゆえに切断されて売られた幻の国宝 『佐竹本三十六歌仙絵巻』。1枚数億円といわれる37枚の歌仙絵の所有者は、いったい誰か? それぞれの流転の軌跡を追うとともに、大正・昭和の大富豪たちの知られざる素顔に迫る傑作ドキュメント」

 

これは本書の裏表紙に記された内容紹介だが、「大正・昭和の大富豪たち」の一人、『佐竹本三十六歌仙絵』 のうちの「源公忠」を手に入れた、大原美術館で有名な大原孫三郎は次のやうに記す。 

「国家的古美術品を大切に保藏し、もしくは外国に流出するのを防ぎ、後世に伝へるのは金持ちがなさなければならぬ一つの義務である。封建時代の大名諸侯のやうな役目を、現代の富豪が果すべきものと思ふ」。かうはつきりとおつしやられては、反論もできないが、ただ、失はれてしまふよりはいいのだらう、としか言ひやうがない。 

京都國立博物館では、〈「絵巻切断」から一〇〇年─奇跡の再会〉と銘打つて、特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」 が開催中。三十六歌仙に加へて巻頭に描かれてゐた「住吉大明神」の圖をあはせた、「37件のうち、31件出品、過去最大!」と謳つてゐる展覧会である。はたして、出品されなかつた六件は何なのか。氣になる。だが、その特別展も二十四日までといふ。 

 


 

十一月廿日(水)舊十月廿四日(辛酉・下弦 晴 

今日も 『源氏物語〈薄雲〉』 と 『宇治拾遺物語』 を交互に讀みつづけた。〈薄雲〉のはうは、相も變はらず微細な心理描寫がつづくので、讀みつづけるのがつらくなる。それで 『宇治拾遺物語』 の出番となつて、物語をたどる樂しみが増した。 

けれども變體假名ばかりでもあきてしまふので、思ひ出して、藤沢周平の再讀をつづけることにした。面白い本がないかと探すのに疲れたこともあるが、二〇一七年九月に、池波正太郎の梅安さんシリーズにつづいて讀みはじめたところ、どうもとぎれてしまつたやうで、その間すでに十一册讀んでゐるので、つづいて 『長門守の陰謀』 からはじめた。ただ、「歴史小説」はとばして、「士道小説」と「市井小説」で樂しみたい。 

『長門守の陰謀』 の初讀は、一九九三年六月だから、川和にゐたころだ。スイス・ドイツ旅行の二年前にあたる。當然内容は覺えてはをらず、はじめて讀む心持ちだ。 

 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」    ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十一月二日 吉村昭著 『海も暮れきる』 (講談社文庫) 

十一月四日 紫式部著 『源氏物語十五〈蓬生〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月八日 大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 (岩波現代文庫) 

十一月八日 紫式部著 『源氏物語十六〈関屋〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月十一日 紫式部著 『源氏物語十七〈繪合〉』 (河内本 日本古典文學會) 

十一月十四日 紫式部著 『源氏物語十八〈松風〉』 (靑表紙本 新典社) 

十一月十五日 大野晋著 『仮名文字・仮名文の創始』 (岩波講座日本文学史第二巻古代 岩波書店) 

十一月十六日 中島悦次著 「『宇治拾遺物語』の説話の特性」 (日本古典文学全集 『宇治拾遺物語』 小學館、月報) 

十一月十六日 野坂昭如著 「宇治拾遺のこと」 (同右) 

十一月十六日 小林智昭著 「『宇治拾遺物語』後日譚」 (同右) 

十一月十九日 高嶋光雪・井上隆史著 『三十六歌仙絵巻の流転 : 幻の秘宝と財界の巨人たち』 (日経ビジネス人文庫)