十一月六日(水)舊十月十日(丁未 晴 

今日もよい天氣。明日再び訪ねる八ッ場ダムまでの乘車券を買ひに出たついでに、上野公園を歩いてきた。木陰のベンチで、また東京都美術館のラウンジも讀書には最適。ついでに動物園に入り、先日運行を停止したモノレールにそつて不忍池に抜け、野鳥を見ながらベンチで本をひろげる。お金もかからないし、これはクセになる。 

歩數は 七五七七歩。散歩にはちやうどいい。 

晝食は上野驛構内の〈まぐろ一代〉で、夕食は、堀切の串焼いしいでいただいく。

 

「毛倉野日記(十七)」(一九九五年八月)をひきつづき書寫。前半が仕上がつたのでみなさんにお送りする。

 

今日のメール・・・「毛倉野日記(17a)」(1995年8月分の前半)をお送りします! 

みなさま、お元氣でせうか。「毛倉野日記」、いよいよぼくの人生にとつてはじめての、そして最後の海外旅行となるであらう、スイスの山嶽鐵道乘りまくりと、ドイツのヨッちやんを訪ねる旅の記録です。だいぶ記事と寫眞が多いので、二回、もしくは三回に分けてお送りします。

旅は輕装にかぎると思つてゐたとおり、妻と二人、それぞれのリュック一つで十分でした。まづは、見ての、いや讀んでのお樂しみ。 

明日は、八ッ場ダムと紅葉を視察してきますので、つづきは少しあとになります。ごしんぼうください。ひげ淳 

 

十一月七日(木)舊十月十一日(戊申 晴 

八ッ場ダムと紅葉を見學するために、川野さんと再び川原湯温泉に出かけた。六月三日に最初に訪ねてから二回目だが、ダムの樣相はまつたく變つてゐた。期待してゐた紅葉も、これで最盛期なのか、それともまだこれからなのか、どうも紅葉とは言ひがたい秋の山。だいぶ氣落ちした。 

八ッ場ダムのはうは、十月の大雨で滿水になつたあと、水位は一〇メートルほど下がつた状態になつたゐた。吾妻川のあの淸流は無殘、川原湯温泉驛跡はもちろん、吾妻線のトラス橋も濁つた湖水に沈み、もうよほどの旱魃がなければ姿を見せることもない。 

ただ、歸りに王湯といふ共同温泉に入れたのがよかつた。目の屆く距離を歩いただけなのに、なんと一〇〇〇〇歩を越え、歸宅したら、一九六三〇歩であつた。 

 


 

十一月八日(金)舊十月十二日(己酉・立冬 晴 

大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 と 『源氏物語〈関屋〉』 讀了。 

『日本の詩歌』 のはうは、帶に、「フランスの聴衆が瞠目した最も明快な日本古典詩歌論」とあるけれども、あとがきで大岡さん自身が、「小声でもう一言つけ加えれば、この本は言うまでもなく、日本の人々にまず読んでもらいたいのです」、とおつしやられてゐるやうに、日本人の自分の國の古典にたいする關心のうすさには、おそらく苛立ちをおぼえるくらゐであつたのだらうなと、ぼく自身の思ひも加へてさう思ふ。それだけに内容の濃厚さに比してとても讀みやすい。 

また、〈關屋〉は、靑表紙本はたつた一五頁だつたのですぐに讀めた。内容も單純。しかし、次の〈繪合〉は、〈須磨〉〈明石〉〈澪標〉につづく内容なので、ちよいと復習が必要。 

それとまた、〈繪合〉からは〈少女〉までがひとまとまりなので、一氣に讀んでしまはうと、その準備をする。準備といふのは、小學館の日本古典文學全集 と 新潮社の新潮日本古典集成 を分解し、それぞれの帖を切り取つて册子にしてしまふのである。携帶にも便利だし、まちがひなく讀み進めるためには必携の註釋書だ。

 

ところで、〈繪合〉も當然靑表紙本で讀むつもりだつたのだが、出してみたらそのあひだに日本古典文學會で複寫刊行した別本が挟まつてゐた。昨年古本で買ひ求めてゐたものだ。 

奥書には、「本云 寛元々年(一二四三年)十一月廿六日校合畢 同卅日又以三本校畢」、とあり、これを、池田利夫著 『河内本源氏物語成立年譜攷─源光行一統年譜を中心に─』 を開いて調べてみたら、〈寛元々年十一月廿六日〉の日の項目に次のやうに書かれてあつた。 

「十一月廿六日 河内本(中山家本の原本) 『源氏物語』 「絵合」卷、書写校合される。同三十日、再び三本をもって校合終わる。」 

つまり、この日本古典文學會で複寫刊行した中山本〈繪合〉は河内本のやうなのである。しかも、「朱の句読点・声点をほどこした河内本」だといふので、この帖は河内本で、それも靑表紙本と比べながら讀んでみよう。變體假名も讀みやすさう。 

 

「毛倉野日記(十七)」(一九九五年八月)をひきつづき書寫するが、山嶽鐵道の寫眞が多いので、a、bで収まらずに、c、dまでいきさうだ。 

 

十一月九日(土)舊十月十三日(庚戌 晴 

今朝目覚めたら、突然のどがいがらつぽい。すぐに鼻うがひをしたがなほらず、時間がたつにつれて咳がではじめた。ぼくの弱點のひとつがのどだから注意はしてゐたのだが、朝起きたらやられてゐたといふのははじめて。うがいはもちろん、せきがでたら、冷えた水をやめて温かいお湯を飲むようにした。さて、風邪ではないとおもふけれど、しばらくは要注意。大ごとにならないことを願ふのみ。 

それでも、午前中いつぱいかかつて、スイス・ドイツ旅行の寫眞をすべてデジカメに複寫した。アルバム五册あるうち、ドイツに入つてからのものは、最後の五册の半ばから。いかに鐵道ばかり撮つてゐたかがわかる。これで、「毛倉野日記(十七)」(一九九五年八月)の書寫をつづけることができる。 

 

十一月十日(日)舊十月十四日(辛亥 晴 

今朝目覚めたらのどが痛くて、いつもより濃い鹽水でうがいをした。その沁みること、痛くてのどがつまつて息も苦しくなつたが、ここが勝負と、何度もうがひ。するとしだいにすつきりとして、息もできるし、鼻からの通氣もいい。日中もなんどかこころみたら、せきは出ないし、朝には七度七分あつた熱もさがり、この調子で用心しよう。 

 

寢てゐたおかげで、〈繪合〉が讀み進むことができた。もうあとわづか。河内本で四十九頁。丁で言へば二十五丁しかない。靑表紙本では五十四頁。

 

*左が靑表紙本、右が河内本(中山家本)。〈繪合〉冒頭部分。 

 

 

十一月一日~卅日 「讀書の旅」    ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十一月二日 吉村昭著 『海も暮れきる』 (講談社文庫) 

十一月四日 紫式部著 『源氏物語〈蓬生〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社) 

十一月八日 大岡信著 『日本の詩歌 その骨組みと素肌』 (岩波現代文庫) 

十一月八日 紫式部著 『源氏物語〈関屋〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社)