二〇一五年六月(水無月)一日(月)戊申(舊四月十五日 晴、暑い

 

まだぐづぐづの體を引きずつて、弓道場へ運びました。汗を流せば少しはしやきつとするかも知れないと思つたからです。中辻先生と齋藤さんとの三人でしたので、ありのままに振る舞ひ、そのおかげで、先生からいくつかの注意を受けることができました。體のぐづぐづがそのまま射に現れたやうです。

「弓は技術です」、と先生が言はれました。「技」は理屈のことで、「術」がその理屈を體現させるわざだといふのです。ぼくはすぐ納得できました。理屈は頭で分かりますが、術は身を粉にして積み重ねられた修練によつてしか身につけることができないからです。

それは、手抜きのお稽古で滿足してゐるぼくへの、本當は痛烈なる叱咤だつたかも知れないなと、ふと歸りの車の中で思ひました。

 

今日の讀書・・林望著『書藪巡歴』(新潮文庫)を讀み終へました。『書物探偵帖』のはうが、學術的でしたけれど、ぼくはこちらのはうが内容的には重く感じられました。

「書物を通じての自伝的エピソードや、先生の思い出とでもいうようなもの、あるいは書物を巡る奇談など、気楽な読み物という感じで書いた」といふのですが、「私は、残念だけれど、『科学としての書誌学』の将来は、まったく悲観すべきものだと思っている」と語られるやうに、「研究者の世界の人事についての件(くだり)」など、書誌學がいかに學界で冷遇されてゐるかを知つて、ぼくは、かういふことには、何故か熱くなつてしまふのですよね。

最近、りんぼう先生は、『源氏物語』はじめ、多くの日本の古典を現代人向けに書いてゐます。ぼくは、はじめ、冷たい目でみてゐたんですけれど、なになに、先生、きつと居直つてしまつたのだと思ひます。わが傳統ある日本文化をないがしろにして顧みない文部行政や、古典文學をただの食ひ物にして甘んじてゐる狹い學界のばか學者たちに愛想が盡きたんだと思ひます。りんぼう先生がんばれ! 

 

今日の寫眞・・林望先生の著書再び。

 

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