六月十五日(月)壬戌(舊四月廿九日 晴、暑い

 

午前中、大學時代の友人から依頼された、新譯聖書の「譬へ話」の解き明かしに頭を使ひました。ぼくの理解してゐるところを書いてくれればいいと言ふのです。

三月にも賴まれて、その時は、マタイ傳一一章二五節、『天地の主なる父よ、われ感謝す、此等のことを智(かしこ)き者慧(さと)き者にかくして嬰児(みどりご)に顕し給へり。』といふ聖書の箇所でした。そして、今日は、ルカ傳一〇章二五節以下の「よきサマリヤ人」の譬へについてでした。

參考書なんてありませんから、ただ、例の文語譯聖書(塚本邦雄さんの言ふ『邦譯韻文聖書』)を前にして、初めから終りまで、ぼく自身の言葉で語るしかありませんでした。けれども、腹をくくると、言葉が湧いてくるんですね。感想でしかありませんが、參考書に賴つてゐては出てこない、自分の理解といふか、自分は何を信じてゐるのかが言葉とともに明らかになつてくるのであります。何も、あぶり出しではありませんが、言葉の不思議な力を感じたひとときでした。

(補足・・依賴された課題は、メール文で直に返答したのですが、あとでワード文書に編集し直しました。ご希望であれば、メールに添付してお送りします。それにしても、課題を與へてくれた友人〈女性です!〉には感謝したいと思ひます。また、このやうに流用することをお許しくださることと思ひます)

 

晝からは、弓道場へ行きました。先週、弓の握りに皮をひと卷したといひましたが、それが効いたんでせうね、はじめから三射連續的中で、有頂天。でも、そのあとがいけません。なまじ先輩に、「今日は調子いいね!」なんてニコニコして言はれたので、あとはがたがた。それでもくじけないのがぼくの根性です。姿勢を正したり、弓を押す握り方(これを、「手の内」と申します)を工夫したりして、最後の二射的中でしめくくることができました。

 

今日の寫眞・・野良猫寅ちやんの食事風景!

 



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