十二月廿六日(木)舊十二月朔日(丁酉・朔 くもり

 

今日も一日猫の相手をしたり横になつて讀書。『源氏物語〈少女〉』 を讀み進む。 

夕方、妹も來て、弟と三人そろつて久々に食事。妻が弟と中學の同級生とあつて、みな來やすいのだらう。母は、妻がみなを氣持ちよく迎へてくれるので、うれしいらしい。食後は、おみやげのケーキなどを食べながら、おしやべりに興ず。 

 

昨夜、栗田勇さんの 『一遍上人─旅の思索者─』 を讀み終へてから、なにか心に引つ掛かるものがあるので、考へてみたら、それは栗田さんの「史觀」についてであつた。それは、解説者の水上勉さんが 「栗田氏をこんなに一遍にひきつけたのは、小さいころからの、この国の歴史のなかを、名もつげずに、ひたすら足早やに去っていった漂泊者への思慕であるといわれる。ユニークな栗田氏の史観は、まことに時宗の教義を語っても地べたをはなれない」 と語つてをられる、その 「この国の歴史のなかを、名もつげずに、ひたすら足早やに去っていった漂泊者」 への思慕といふことである。 

それは、本書の冒頭にある言葉を再讀することによつてさらに、なにかゾクゾクッとするといふかどこか遠い歴史のむかしに導かれるといふか、なんとも懐かしい氣持ちにみたされたのだつた。

 

「すでに、年久しく、私も、大和から、奈良京都などに、寺社、仏跡を尋ね、特に資料をまさぐってきたが、そのうちに、奇妙なイメージにつきまとわれている自分に気がついた。 

それは、たとえば、熊野をたずねて、山路を急いでいると、黙々と足ばやに歩み去ってゆく人々の後姿が、鮮やかに目の前を通り過ぎて、姿を消してゆくのである。その者たちは、夜、独り、古書をひもといて想いを先人にはせているときにも、足音をたてて、私のまえを影のように通りすぎてゆく。いったい、この物言わぬ者たちは誰なのか」

 

このことは、實は、本書で取りあげてゐる一遍上人その人よりも、ぼくには魅力的にみえてしまひ、ひととおり讀み通したけれど、著者の 「あとがき」 のなかのことばに、あらためてその感を強くした。

 

「巨大な都や城、また、政争や権力の争いをこえてのこされた寺院や仏像は、動くことなく、時空をこえて、その存在感を示してくれるが、それらを造った人々、智識と技能と感性によって、ひとつの時代を現わし、かつ、それをこえた仕事を残してくれた人々はいったいどこにいったのだろうか。 

私は、この人々の群れが、決して固定していないで、いつも歴史の闇のなかを足ばやにすたすたと立ち去ってゆく姿を目のあたりにみるようになった。 

この人々の群れとは何だろう」

 

これは、ぼく自身が、「歴史紀行」をはじめ、中仙道を歩いてゐてなんとなく感じてゐたことだつた。旅に出ると、出會ふのは、みな脱け殻のやうな 「跡」 や 「物」 ばかりなのである。それらを造つた人々─とは言つても、造らせた權力者のことではない─はみな歴史のかなたに去つてしまひ、なにも語ることをしないのである。そんな人々が無性になつかしく思ふのは、たんなる感傷なのだらうか。

 

 

十二月廿七日(金)舊十二月二日(戊戌 晴、強風

 

今日、久しぶりにフトンを干し、ベッドの周りを掃除した。これで新年を迎へることができる。 

ひるま、尾池正ちやんが立ち寄つてくれた。先年お母さんが(九十九歳で)亡くなられたので、あらためて土地を測量しなければならず、その立合ひにきたといふ。父の葬儀のときに五十數年ぶりで會ひ、またおばさんの葬儀のときにも會つたのだが、お互ひに年をとつたものだとつくづくと思つた。 

 

紫式部著 『源氏物語〈少女〉』 讀了。靑表紙本で一二七頁だつた。いちばん氣になつたのは、夕霧と雲居雁の仲だけれども、註釋書の頭注をみたら、二人の「仲はどう解決されるか。読者ははるか後の藤裏葉卷を待たねばならない」、なんて、これぢやあ詐欺みたいなもんではないかと思つた。やはり、〈玉鬘〉から〈真木柱〉までの十帖は、いはゆる《玉蔓系後記説》で言ふ 「玉鬘物語」といふ後に挿入された部分に間違ひない! 

光源氏はといへば、六條院といふ御殿といふかハーレムが完成してご滿悦である。 

 

*今日の寫眞と、もう一枚は、小學生高學年のころ。右からぼく、そのとなりが正ちやん。それに信ちやんとまさしちやんもゐる。信ちやんとはしばしば會ふけれど、まさしちやんは今どうしてゐるだらう。それにしてもこの十二月は、懐かしい人々とよく會つたが、なんだかぼくの人生の締めくくりを急かせられてゐるみたいである。 

 


 

十二月廿八日(土)舊十二月三日(己亥 晴

 

今年最後の古本市をめざして、高圓寺の古書會館を訪ねた。おもな収穫は、『日本の美術 一遍上人絵伝』(二〇〇圓)、栗田勇著『道元 一遍 良寛』(三〇〇圓)、島内景二著『北村季吟』(一五〇圓)、寺門靜軒著『江戸繁昌記 上下』(上下各一五〇圓)、それに和本の、『風流 笑今川』(二〇〇圓)と『腹受想』(二〇〇圓)であらうか。 

また、町田のブックオフで、柳宗悦著『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)を見つけたときは嬉しかつた。むろん、柿島屋で今年最後の馬刺をいただいて歸路についた。で、六六九〇歩。 

 

鎌田慧著 『叛逆老人は死なず』 を一氣に讀了。といふか、讀みはじめたらとまらなかつた。ぼくの心臟は高鳴るばかり。こんなことがまかり通つていいものか、許されるのかと、暗澹たる氣持ちに打ちのめされた。こんな政權を國民が選び、許してゐるのだから、もう何をか言はんやであるが、來たる年はますます暗くなるばかりだと思つた。 

つづいて、五木寛之著 『隠れ念仏と隠し念仏』 を手に取つたところ、これも刺激的で引き込まれた。深夜便の貴公子・五木寛之を見直してしまつた! 

 

*高圓寺古書會館の入り口付近。それと、今年最後の柿島屋の馬刺。 

 


 

 

十二月廿九日(日)舊十二月四日(庚子 晴

 

『源氏物語』 が一段落。第二十二帖からは 「玉鬘物語」 である。これから讀むにあたつて、第一部の最終帖の〈藤裏葉〉まで、註釋書をばらばらに分册にし、靑表紙本とセットにして讀破に備へる。 

また、古典文庫の影印書、『十帖源氏』 の第五册分が、ちやうど〈玉かつら〉から〈まきはしら〉までなのがいい。これも分册にした。 

讀書といふのは、段取り八部と言はれるやうに、讀むための準備が大事である。しかし、それ以上に大事なのは、必然性である。求めるべくして得られ、讀むべくして目にとまる、その瞬間をのがしてはならないのである。 

 

五木寛之著 『九州・東北 隠れ念仏と隠し念仏』 を讀みつづける。あまりに面白く興味深いので、同じ〈隠された日本〉シリーズの、『中国・関東 サンカの民と被差別の世界』 をアマゾンで注文しようとしたら、殘金が少なくて斷念せざるをえなかつた。 

 

 

十二月卅日(月)舊十二月五日(辛丑 曇天ときどき雨

 

昨夜、五木寛之著 『九州・東北 隠れ念仏と隠し念仏』 を一氣に讀了。 

「隠れ念仏」とか「隠し念仏」といふのは聞きかじつてはゐたが、その實態をはじめて知つた。「隠れ念仏」のはうは、鹿児島、熊本、宮崎の三縣にまたがる地で、「真宗禁制の弾圧のなかで、幕藩権力から 『隠れ』 て、真宗の本山である京都の本願寺とのつながりは大切に持ちづづけつつ、自分たちの信仰を守つた、のにたいして、東北の 『隠し念仏』 は、幕藩権力から 『隠れ』 たばかりでなく、京都の本山が幕藩権力の末端組織に組みこまれたとして、本願寺とのつながりも絶ち、徹底して自分たちの信仰を 『隠し』 てきた」、といふ内容であつた。

 

とくに興味を引かれたのは、岩手縣遠野地方にも 「隠し念仏」 信仰はあつたやうで、そのことは、柳田國男の 『遠野物語』 にもみられるといふので、再々讀したく思つた。ところが、どうも柳田國男は遠野の民俗を濾過し、きれいごとにしてしまつたらしい。それに惹かれて觀光客は來るは、地元は、「民俗学の聖地」などと 『遠野物語』 にそつてそのイメージを壊さないやうに作り直すはで、ぼくは柳田國男の罪を感じないではをれなかつた。

 

また、同じことは宮澤賢治にも言へて、「賢治は亡くなる最期の瞬間まで、熱烈な法華経の行者であっ」て、「ひとりでも不幸な人間がいる限りは、幸福にはなりえないという悲しみ」に生きた人であつた。その彼の人生と作品群はその信仰をぬきにしては語れないはづなのに、生誕百年を迎へた年(一九九六年)にオープンした彼を記念する「童話村」やさまざまなイベントには一切彼の法華經信仰については觸れてはゐなかつたといふのである。 

耳ざわりのいい、口あたりのいい話題しか取り上げない地元觀光業者やマスコミが、結局遠野も宮澤賢治も薄っぺらな見世物にしてしまふのだなあと、深く思はされた。

 

つづいて、小栗純子著 『妙好人とかくれ念仏―民衆信仰の正統と異端』 を讀みはじめたら、これまた刺激的でやめられなくなつた。一九九七年八月に購入した本で、いつかは讀めるだらうと思つてゐたその時がきたのだ。『隠れ念仏と隠し念仏』 のおかげだ。 

ところが、「かくれ念仏」については、豫想と違つてゐた。また、ずつと關心をもちつづけてきた 「妙好人」 が、「江戸幕府体制下の期待される人間像として」、「浄土真宗・本願寺教団」によつて生み出された、理想的念佛者だつたといふのは意外だつた。 

その「正統」なる念佛者・妙好人にたいして、「幕藩権力に癒着して停滞した教団に絶望した民衆」が、「真の宗敎体験を求めて“かくれ念仏”に走った」といふのが本書のテーマで、「本願寺と幕府が、地下に潜った異端集団に密偵を放ち、その根を絶とうとした、その摘発までの顛末」はスリルに満ちてゐた。舞臺は江戸と京なので、五木さんの 『隠れ念仏と隠し念仏』 とは直接には關係はなかつた。 

 

 

十二月卅一日(火)舊十二月六日(壬寅 晴、強風

 

今日は大晦日。なんてことはない風の強い一日だつたが、一應、風呂にはいり、髪を洗ひ、手足の爪も切り、さつぱりとして晝寢もできた。 

妻が探してきた酢だこが美味しくて、今日また買ひに行つてくれた。これは立石のサミット、あれは龜有驛のガード下、それは赤札堂かイトーヨーカドーと、求めるものによつて店がみな違ふらしい。妻はそれを苦にもせずに走り回つてくれる。まあ、美味しい酢だこがなけりやあ、いい正月は迎へられません。ありがたいことです。 

 

『宇治拾遺物語 卷第二』 讀了。大晦日に間に合つて讀み終へることができた。活字で讀んだ時には讀み流してゐたものだが、變體假名の和本で一話一話を讀んでゐるせいか、その時代の雰圍氣が傳はつてくるやうで興味深い。第十二話の「唐卒塔婆に血付事」など、『叛逆老人は死なず』 を思ひ浮かべてしまつた。老人の言ふ事を聞かないでバカにしてゐると、世界が滅びてしまふぞといふ、たいへんするどいテーマでもあると思つた。

 

昨日、アマゾンのギフト券を買つてきて入金し、すぐに注文したら、五木寛之の 『隠された日本 中国・関東 サンカの民と被差別の世界』 (ちくま文庫・三七六圓+送料) が今日屆いた。かういふこともあるのだ。さつそく讀みはじめた。 

また、「玉鬘物語」 を讀む體勢が整つたので、『源氏物語〈玉鬘〉』 を讀みはじめる。夕顔の娘・玉鬘が主人公となるのだらう。期待したい。 

 

今年は十二支のうちの亥(いのしし)年、ぼくの年だつたが、猪突猛進どころか、よたよたした一年だつた。まあ、どうにか本だけはよく讀めたけれど、體力がだいぶ落ち、なにより、食欲がなくなつたのにはまいつた。古本市めぐりと、美味しいもの食べ歩きをかねた散歩で、筋力が衰へないやうにできたかなといつたところ。また新年も同じやうに努力できたら幸ひである。 

 

 

十二月一日~卅一日 「讀書の旅」   ・・・』は和本及び變體假名本)

 

十二月四日 紫式部著 『源氏物語二十〈朝顔〉』 (靑表紙本 新典社) 

十二月四日 『宇治拾遺物語 卷第一』 (第一話~第十八話) 

十二月五日 佐々木譲著 『代官山コールドケース』 (文春文庫) 

十二月七日 山本登朗著 『伊勢物語 流転と変転 鉄心斎文庫が語るもの』 (ブックレット〈書物をひらく〉⑮) (平凡社) 

十二月七日 觀世左近著 『井筒』 (觀世流大成版 檜書店)  

十二月八日 深澤七郎著 『みちのくの人形たち』 (一九七九 夢屋書店) 

十二月八日 深澤七郎著 『秘戯』 (一九七九 夢屋書店) 

十二月十一日 藤沢周平著(著作順一八) 『神隠し』 (新潮文庫) 

十二月十三日 佐々木譲著 『制服捜査』 (新潮文庫) 

十二月十九日 藤原智美著 『暴走老人!』 (文春文庫) 

十二月廿五日 栗田勇著 『一遍上人─旅の思索者─』 (新潮文庫) 

十二月廿七日 紫式部著 『源氏物語二十一〈少女〉』 (靑表紙本 新典社) 

十二月廿八日 鎌田慧著 『叛逆老人は死なず』 (岩波書店) 

十二月廿九日 五木寛之著 『隠された日本 九州・東北 隠れ念仏と隠し念仏』 (ちくま文庫) 

十二月卅日 小栗純子著 『妙好人とかくれ念仏―民衆信仰の正統と異端』 (講談社現代新書

十二月卅一日 『宇治拾遺物語 卷第二』 (第一話~第十四話)