八月十六日(金)舊七月十六日(乙酉 曇天、風 

氣壓一〇〇六・五hPa、濕度六〇%。體調わるし。 

本を讀むのも億劫で、ふと思ひついて、ユーチューブで落語を聞いてみました。柳昇の「カラオケ病院」と小さんの「短命」など。おもしろなつかしく聞くことができました。 

さう言へば、「毛倉野日記」には、志ん生や圓生のテープを買ひ求めた記録がありましたつけ。 

 

八月十七日(土)舊七月十七日(丙戌 晴、猛暑 

氣壓一〇〇七・五hPa、濕度六〇%。 

BS1で、“戦慄のインパール作戦”を見た。そのおぞましさに聲もでなかつた。これは戰爭ではない、單なる指導者たちのゲームだつたのだ。三萬人の兵士を戰死あるいは餓死させておいて、あれで、敵(イギリス)を惱ませたのだから「わたしにはこれ以上の喜びはない」と語つた作戰指導者の戰後の述懐にはあいた口がふさがらなかつた。誰も責任をとらなかつた“戦慄のインパール作戦”、現在の政權のもとでも同じやうなことが起こつてゐることを、どうしてみな氣づかないのであらうか! 

さう言へば保坂さんが 『あの戦争は何だったのか』 の〈はじめに〉のなかで書いてゐました。「自分の私的な(戰爭)体験を普遍化して、いかに歴史の流れに重ね合わせることができるか、それで始めて知的な行為となりうる。ただ単に戦争体験を語ることと戦争を知ることとは全く違う。それを取り違えてしまっている場合が多い」。

まさにさうで、ぼくがよく感じることですが、インタビューの際に、したり顔で、戰爭は悲慘だ、決してしてはいけないなんて言つてゐる人に、「あなた、まさか自民党に投票してはゐないでせうね」と問ひただしたい誘惑にかられます。思ひ出話ではなく、現在と未來を見据ゑて、今どのやうに行動するか(一票を投じるか)が、平和への第一歩であり、かつまた自分が何を考へてゐるかを表す唯一の證明なんですから。 

 

日本文藝家協会編 『時代小説 ザ・ベスト2019 』 讀了。カバーの内容説明によれば、「2018年発行の文芸誌に発表された200余の歴史・時代小説の短編から、これぞ傑作の太鼓判を押す十一編を収録。大食い競いの顛末から徳川初期の時代性を映し出す吉川永青『一生の食』に始まり、幕末の世を舞台に武家の妻女の切ない恋を描く諸田玲子『太鼓橋雪景色』まで、一気に読ませる。名手たちが濃やかにつづる、情や志が胸を打つ、年度版アンソロジー。コレクションとしても最適なオリジナル文庫」、とあるけれども、要するに玉石混淆のやうに思へた。そこで、趣向をかへて、池波正太郎の 『江戸の暗黒街』 を讀みはじめる。 

また、『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第卅一・卅二』 も讀みはじめる。 

 

八月十八日(日)舊七月十八日(丁亥 晴、猛暑 

朝、氣壓一〇一〇hPa、濕度六〇%。夜、氣壓一〇一二・五hPa、濕度五五%。 

今日はどういふわけか食欲があり、朝は卵かけごはん、晝は妻のつくる冷やし中華、そして夕食と、みなおいしく食べることができた。 

池波正太郎著 『江戸の暗黒街』 讀了。池波さんのは安心して樂しめる。 

 

グレイが來てからといふもの、モモタとココが活發になり、食欲もでてきたやうである。午前中は、モモタとココに飛びかかつたりみついたりして、見てゐて落ち着かないけれども、午後は疲れたせいか、動きがおだやかになり、それでもお兄さんお姉さんにちよつかいをだしてゐたかと思ふと、急に靜になり、おやどうしたのかなと見ると、ごろりと寢てゐるのです。ときにはぼくのひざや胸にやつてくるので、やさしくなでさすることができて、これ以上の喜びはありません。

 

ネットのニュースで、山口二郎さんが、『815日の迎え方』(8/18() 18:00配信) といふ「寄稿」をされてゐました。

 

*お初の梨と遊び疲れたグレイ

 


 

 

八月十九日(月)舊七月十九日(戊子 晴 

朝、氣壓一〇一〇hPa、濕度六〇%。夜、氣壓一〇一五hPa、濕度かはらず。 

池波正太郎の 『江戸の暗黒街』 を讀み、つづいて、『闇は知っている』 も讀みあげる。さらに、先日求めた、葉室麟著 『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』 を讀みはじめる。 

ぼくは、一條天皇の中宮定子さんの兄であり弟である藤原伊周、隆家兄弟は愚かで亂暴者だと思つてきました。それでも、『枕草子』 を讀んでからはその認識がだいぶ改められましたが、多くの歴史書は、兄弟はその愚かさによつて權力の中樞から遠ざけられ、九州の大宰府に左遷されたり失脚したのだとの解釋が大勢のやうに思はれます。ところが、この本はその藤原隆家を主人公として書かれてゐるのです。しかも、先日亡くなられた葉室麟さんがこのやうな歴史小説を書いてゐたとは知りませんでした。 

本の帶には 「戦う光源氏 日本国存亡の機に真の英雄現わる!」 とあります。實に興味津々であります。 

 

八月廿日(火)舊七月廿日(己丑 曇天、朝夕大雨 

朝、氣壓一〇一五hPa、濕度六〇・五%。 

今日は定例の通院日。ところが、綾瀨驛に着いてみると、北千住驛で車輛故障があり、電車がおおはばに遅れてゐました。診察の一時間前に採血しないと診察にその結果がまにあはないので心配しましたが、案の定三十分以上遅れての採血と心電圖とレントゲン。それで、診察も三十分おくれて診ていただきました。 

病状はわるいなりに特にかはりはありませんでした。藥もかはらず。ただ、BNP値は先月よりは微妙に改善してゐました。食欲がないことを訴へると、みか先生、するとワーファリンがより効きやすくなるので出血には注意しなければなりませんよと言はれ、體重が減るからいいのではなく、やはり食べなければならないこと知りました。思はぬ伏兵です!

 

それで、お晝は病院内の松壽庵でたぬきそばをいただき、そのあとしばらく入院病棟入口のソファーで讀書と居眠り。それから新橋驛まで歩き、有樂町驛で降りてから映画館をみましたがぜんぜんおよびではなかつたので、その足で東急ハンズ銀座店に入りました。五階から九階まで、久しぶりに見て歩きましたが觸手が動くものはありません。ただ、「32枚、軽いとじ心地」といふ文字に誘はれてMAXのホッチキスをひとつ購入。かういふ文房具は日進月歩なのでありますね。

 

松屋の前から地下鐵銀座線に乘り、上野驛下車。少し早いけれど、例の“回転寿司江戸ッ子”で、好みの貝の壽司をいただきました。回転壽司とは言へ、回つてゐるのはメニューだけで、いちいち注文にこたへてくれます。「活貝に力を入れてゐます」といふだけあつて、赤貝、靑柳、とり貝、つぶ貝など、とくに赤貝のひもは海苔を卷いた軍艦が見えないくらゐの山盛りならぬ山崩れ状態! ご飯を少なめにして堪能してまゐりました。歩きに歩いて、今日は八四〇〇歩でした。 

 


 

 

八月一日~卅一日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

八月二日 〈あふさかこえぬ權中納言〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

八月四日 嵐山光三郎著 『「下り坂」繁盛記』 (ちくま文庫) 

八月五日 梅棹忠夫著 『夜はまだあけぬか』 (講談社文庫) 

八月十日 森詠著 『死者の戦場』 (小学館文庫) 

八月十一日 〈貝あはせ〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

八月十三日 保坂正康著 『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』 (新潮新書) 

八月十四日 半藤一利編著 『十二月八日と八月十五日』 (文春文庫

八月十五日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第廿九・卅』 

八月十七日 日本文藝家協会編 『時代小説 ザ・ベスト2019 』 (集英社文庫

八月十八日 池波正太郎著 『江戸の暗黒街』 (新潮文庫) 

八月十九日 池波正太郎著 『闇は知っている』 (新潮文庫)