九月十六日(金)辛丑(舊八月十六日 曇天、一時雨

 

今日は待ちに待つた高麗歴史散策でした。體調が氣がかりでしたが、なんとか、みなさんと樂しく元氣に歩き通すことができました。 

しかも、皆さんと歩いた歩數は、ぼくは歩數計を忘れたので、四人の方の平均でいふと、約二五〇〇〇歩でした。實に久しぶりの強行軍でした。それでも、快適に歩き通すことができたのですから、みなさんの勵ましによることはもちろんですが、だいぶ復調してきたのではないかと自信を持ちました。

 

西武鐵道秩父線の普通電車は三〇分おきでして、高麗驛に一〇時半の集合でしたが、みな一〇時八分着には集合しました。《東山會》十名のうち、參加者は八名でした。 

大塚さんが作成しがてくださつた、『高麗歴史散策』の行程表に從つて歩きました。

 

最初は、日和田山が眺望できる〈石器時代住居跡〉でした。こんな所にと思へるやうな場所に、舊石器時代ではないですよ、石器時代(縄文時代中期)の遺跡が保存されてゐました。國指定重要文化財といふことです。

 

つづいて、かつての繁華街にあつたと思はれる〈台の高札場〉。江戸時代の掲示版ですが、よくみると、「定 きり志たん宗門ハ累年御制禁たり」との文面が讀み取れました。ここに有名な街道が通つてゐたわけではないと思ひますが、幕府は、まあ、こんな片田舎にまで目を光らせてゐたんですね。

 

さらに、〈筆塚〉、〈水天の碑〉を見學しつつ、高麗川にかかる鹿合橋をわたり、高麗神社をめざしました。途中、〈九万八千神社〉に立ち寄り、上り坂の縣道をさらに進んで一氣に〈高麗神社〉を訪ねました。 

奈良時代の靈龜二年(七一六年)、高麗人一七九九人がこの地に移住し、高麗郡が建てられたときに郡司を命ぜられた高麗王若光の德を偲び、その靈を祀つて建立された神社ださうです。 

ちなみに、「高麗神社の祀職は、代々高麗若光の子孫が継承し、現在の高麗澄雄氏が五十九代となる」さうです。實に建郡から一三〇〇年がたつたわけですが、つづいて見學した〈聖天院〉の樣々なモニュメントを見て、ぼくは、いにしへの歴史と思つてゐたことが、現在なほ生きてゐることを知りました。

 

高麗神社で各自持參のお辨當をいただき、やはり國指定重要文化財である〈高麗家住宅〉を見學し、さらに隣接する、その〈聖天院〉を訪ねました。ここでは三〇〇圓とられましたが、たしかに三〇〇圓分の見る價値といふか、値打ちがありました。以下、大塚さん作成の『高麗歴史散策』から引用します。

 

「聖天院の正式名称は、高麗山聖天院勝楽寺で、ここには若光の墓所も設けられている。 

勝楽寺は、山門から本堂まではふつうの真言宗の寺だが、それより奥に入っていくと、異相を呈する。昭和にはいってから、特に大戦後、この寺は在日コリアンの心のよりどころ、聖地となるのである。平成にはいってから、とくにそのような施設が整備された。まず祖国五偉人の像がある。広開土王、新羅武烈王、王仁、鄭夢周、申師仁堂高麗若光の像、檀君の像がある。 

大きな慰霊塔がある。これは、関東大震災、第二次世界大戦でなくなった、二万ともいわれる在日の人々の無縁仏を供養している。なお石塔は三十六段あり、これは日帝三十六年をあらわしている。そのとなりには、八角亭がある。これは独立宣言を起草したソウルパゴタ公園内の八角亭を縮小模したものである」。

 

その「檀君」とは、「西暦前2333年朝鮮を建国した民族の始祖」ださうで、「檀君の像」があるところは、なんと山の頂上。自ら調子よくないと言つてゐた大塚さんのご熱心な先導によつて、ぼくたちもなだらかな階段の途中で、リュックサックを放り投げつつ登りました。いや、きつかつたです。はい。

 

つづいて〈野々宮神社〉。探すのに手間取りまして、その間ちよいと雨にも降られましたが、やつと探しあてたのはあまり變はり榮えのしない神社でした。ただ、珍しく、境内には江戸時代に子ども相撲がおこなはれたといふ土俵がありました。 

この、野々宮神社ですが、研究家によると、「野々宮家は、高麗人たちの動静を監視するために、奈良朝によって派遣された連中ではないか」といふのでありますね。これは面白いと思ひました。さもありなんですね。

 

さあ、最後は巾着田です。ラストスパートとはいへ、國道沿ひの歩道は、苛酷な中仙道の旅を思ひ出させるほどで、ここが距離もあり最もきつかつたですね。 

それで、殘された、〈高麗郷古民家(新井家)〉と〈高麗民族資料館〉の見學はやめて、直接巾着田の中に入つて行きました。高麗川が大きく蛇行し、ちやうど巾着(きんちやく)の形をしてゐるので名づけられた土地なんですね。 

賣店で一休みし、高麗川に沿つて下りますと、鬱蒼とした森が現れ、その中が曼珠沙華の群生地なのでありました。明日からおまつりで、入場料も明日からのはづが、今日から取られるとわかるや、みなさん躊躇しはじめたので、ぼくは折角だから入りませうと勵ましました。内緒ですが、ぼくは例の手帳を見せたので無料だつたのでした。

 

いやあ、聞きしに勝る光景でした。一見、二見の價値があります。コスモス畑もあつて、とてもいいハイキングコースだと思ひました。 

高麗驛まで戻り、ぼくはまづ汗でびつしよりの下着を替へました。からだに溜まつてゐた毒素を絞り出してくれたやうないい汗をかきましたから、なんだかさつぱりしました。 

それから飯能までもどり、例の大内牧場で會食。生ビールが美味しかつたです。體調もよく、參加してほんとによかつたと思ひました。みなさんありがたうございました。 

次回は、來年一月。房總半島をめざすことになりました。 

 

今日の寫眞・・高麗歴史散策、よりすぐり。高麗神社鳥居、聖天院奥の異相世界、曼珠沙華群生地、コスモス畑、曼珠沙華とカラスアゲハ、會食の乾杯。