九月十四日(月)癸巳(舊八月二日 晴

 

午前中は、今日も第三十回中仙道を歩く(草津宿~三條大橋)の準備をしました。調べれば調べるほど多くの事跡に遭遇し、いや、まだ實際に歩いてはゐないのですが、やはり歴史が濃いことを痛感しつつあります。

そして、午後は弓道場へ行き、前回に引きつづいて、握の皮の調整をしました。ぼくの手のひらは他の人より大きいので、やはり太くしたはうが握りやすいことが分かり、さらに皮を一巻きしました。すると、中りがもどつてきたやうな感じなんです。

歸宅早々、今度は、妻に見送られて國會議事堂前の抗議行動に參加しました。午後四時四〇分頃に議事堂前に着き、そこで、じつと事の成り行きを見守りました。もちろん、シュプレヒコールには呼應しながらで、だいぶ聲がかれてしまひました。

各野党党首のあいさつがあり、くりかへしのシュプレヒコールののち、七時半からはシールズ諸君の出番になつたので、ぼくは、しばらくはつき合ひましたが、八時には國會前をあとにしました。

 

今日の寫眞・・以下の、九枚プラスアルファアの寫眞、その九枚目までを時間の推移とともに見てみると、今回、如何に機動隊の締め付けがきつかつたかがよく分かります。よく怪我人が出なかつたかと思ひます。ぼくらは丸腰です。それに、みなほとんどが個人參加です。それを締め付け、行動を規制しようとする機動隊の背後に、ぼくは、アベドルフ首相が脅(おび)えて縮こまつてゐる姿を垣間見たやうな氣がしました。

寫眞の順番。一~二=四時四五分頃。三~四=五時一〇分頃。五=七時八分。六~一〇=七時三〇分~四〇分頃。そして最後は、神保町のアルカサールの和風ステーキです。力をつけないでは戰ひぬけませんからね!

 



コメント: 0