「三月 讀書日記抄」 (一日~十日)

 

三月は調子にのつて外出が多く、あげくのはてに月末には横になつて、あるいはモモタ・ココとともに讀書に専念してしてゐる始末。四月はあまり豫定を入れないやうにしたい。

 

一日(金) 月の初日から古本市めぐり、神田と高圓寺の古書會館を訪ねる。探せばあるもので、ぼろぼろの和本といふか手作りの寫本數册と、法然に關する本を二册、町田宗鳳著 『法然・愚に還る喜び』 と、松岡正剛著 『法然の編集力』 を求める。 

歸路、高圓寺驛から小岩驛まで直行、先日ネットで見つけた、「肉寿司」の店を訪ね、馬刺しの司をいただく。 

二日(土) 學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 に出席。大塚驛で途中下車し、長寿庵といふそば屋でたぬきそばを食べてから登校。 

講義の前に、ダイジェスト版の 『源氏物語忍草』 の〈夕顔〉のはじめから今日學ぶところまでを再讀してみる。 

講義は、〈夕顔〉の卷のクライマックスを縦走中。二條院の自宅から、亡骸となつた夕顔に會ふために再び鳥邊野におもむいたところまで。 

歸路、神保町に直行し、ぶらついたのち、アルカサールで和風ステーキ、150グラムを完食。美味しく食べられて、調子がいいのかなと思ふ。 

近藤富枝著 『服装から見た源氏物語』 讀了。 

三日(日) 昨夜から讀みはじめた、松岡正剛著 『法然の編集力』 を一氣に讀み通す。つづいて、法然の 『吉水遺訓(一枚起請文)』 を讀む。本文十五行。あとがきとして、「浄土宗ノ安心起行此一紙ニ至極セリ 源空が所存此外に全ク別義ヲ存せす 滅後ノ邪義を防かんか爲に所存を記し畢 建仁二年正月二十三日 源空」 とある。 

さらに、積まれた和本の中から、漢字・變體假名交り文の 『一向専修念佛編 全』 を取りだしたら、冒頭に、「此文大原問答聞書抄」 とある。この大原問答といふのは、松岡正剛さんによれば、大原勝林寺でおこなはれた「日本宗教史上、きわめて注目すべきターニングポイント」である會議といふか問答でありまして、「当代きってのトップ・ディベーターたち」を前にして、法然が何をどう語つたか、それが知りたいがためにすぐに讀みはじめる。 

四日(月) 終日讀書。『一向専修念佛編 全』 を讀み、つづいて、黒川博行著 『アニーの冷たい朝』 をも讀み通す。これは再讀か? 

五日(火) 今日が最終日の、《89回 彩の国 所沢古本まつり》 に出かけてくる。午前十一時から午後三時ころまで、途中晝食や休憩を何度もはさみながら歩き回はる。それで和本數册とともに、柳田守著 『森銑三 書を読む“野武士”』 (シリーズ民間日本学者38 リブロポート) を見つけ、休憩した際に讀みはじめたらやめられなくなる。

 

六日(水) 柳田守著 『森銑三 書を読む“野武士”』 讀了。本の帶には、「大学アカデミズムとは独立に民間史学者として立ち、手堅い実証と対象への温かい眼差しによる人物研究を遺した森銑三。だが彼は温厚篤実だけの人ではなかった。生誕百年、彼の内面の気骨に迫る力作」 とあるやうに、ぼくの期待とは別に、著者は、「森銑三は、古書の中に埋もれた単なる読書人にすぎないのか? 時代的なものとの関わりは果たしてないのだろうか?」 といふ問題意識のもとに、森銑三さんの「思想」に迫つたところなど、單なる賛で終はるよりずつと敎へられるところあり。 

また、先日たまたま入手した、『昌平黌勤皇譜』 について、本書は、「銑三没後の出版である。その死去の際、香典返しの配り本として、夫人の篤子が刊行した」ものであることが判明、やはり珍しいものでした。 

さらに著者があとがきで、古典文學のデータベース化を手傳つたさい、その施設に備へつけのノートに 「写本などを読んでいると、現代の活字本が馬鹿馬鹿しく思えてくる」、なんていふことが記されてゐたことを紹介してゐて、ぼくも早くそんな心境になりたいなと思ひました。 

三月七日(木) 蓮如上人・金ヶ森道西 『他力安心 いろはうた』 讀了。 

また、『紫式部日記 下』 を讀み進むとともに、《源氏物語をよむ》 の豫習をはじめる。しかしそれで飽き足らず、森詠さんの 『剣客相談人14』 を讀みはじめたらとまらずに、讀み上げてしまふ。 

三月八日(金) 金曜日なので神田の古書會館へ行き、和本三册と、ハードボイルドと時代小説本を數册求める。和本はぼろぼろの以下の三册で、みな安價! 

『いろはの義解』(雲照 述、鴻盟社、明冶二十七年)、『觀經隠彰義 中』(信暁撰 嘉永二年・一八四九年)、『見聞獨歩行』(長安乞士、安永七年刊)。 

學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の明日の豫習として、河内本で豫定の頁を讀む。 

三月九日(土) 學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 に出席。 

今日の晝食は、大塚驛驛ビル4Fのパパミラノで、ミートソースのスパゲッティを半分の量にしてもらつていただく。 

〈夕顔〉も殘りわづか。無我夢中で二條院へ歸り着いた源氏でしたが、「今一度、かの亡骸を見ざらむが(見たいのだ)、いといぶせかるべきを(心のこりだらうから)」と、突然に言ひだし、惟光に導かれて再び鳥邊野にやつてきました。 

そこには、「恐ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささかかはりたるところな」い夕顔の亡骸とともに、悲しみに伏してゐる右近の姿が見られるだけのさびしさ。亡骸の手を取つて呼びかけ、「泣聲も惜まず憚らぬ源氏」でありましたが、泣き止まない右近を説得してつれて歸宅しました。主人を失つた右近を慰める源氏の姿が美しい。

講義では、いくつか疑問が浮かびあがりました。たとへば、夕顔が横たはる板屋に入つた際、「いかにわびしからむと、見たまふ(どんなに侘しい氣のすることだらう)」と源氏が同情したのは、横たはる夕顔にたいしてなのか、それとも遺骸に付き添ふ右近にたいしてなのか。 

さらに、「大徳たちも、誰とは知らぬに(僧たちもたれとはわからぬながら)、あやしと思ひて、皆、涙落としけり」の、「誰とは知らぬ」の誰とは誰なのか。講義では、夕顔にたいして僧たちが涙したと讀んでいきましたが、ぼくは、聲を惜しまず泣く源氏にたいしてもらひ泣きしたのではないかと思ひ、このあたりの質疑應答は實に 有意義でした。 

放課後、今日も高圓寺の古本市に行き、和本だけを求めて、氣分よく歸路につく。 

以下、求めた和本。『圓光大師法語』(法然 華頂山・知恩院藏版)、『道二翁道話 四篇上』(中澤道二 享和二年)、『鳩翁道話 壱之上』(天保五年)、『心學道之話 四編卷之下』(弘化年間)、『繪本忠臣藏 後編卷之三』(河内屋茂兵衛板 江戸期)、『西國順禮女敵討 上・下』(江戸後期 筆寫本)、『雨窗閒話 下』(白川樂翁〈松平定信〉 嘉永四年)、『明治往生傳 初篇 完』(垂水良運 明治十五年)。 

三月十日(日) 『紫式部日記 下』 を讀み進むとともに、昨日求めた、リンダ・ラ・プラント著 『凍てついた夜』 (ハヤカワ・ミステリ文庫) を讀む。分厚いが讀み甲斐がある。「どん底まで落ちた元女性警部補の自己再生を賭けた捨て身の闘い。心を熱く揺さぶるハードボイルド」ですから、面白くないはづがありません。