二〇二二年二月(如月)一日(火)舊暦一月一日(乙酉・舊正月・新月) 晴

終日猫たちをひざに讀書。前月につづいて、法然さんの 『圓光大師法語集』 と 『妙好人傳』、それに 『露伴翁座談』 をよみすすむ。

ひじ掛け座椅子を使ひはじめたので、居眠りは仕方ないにしても、机の前で長時間の讀書に耐へられるやうになつた。ただ猫たちが、みな可愛いのだが、入れ替り立ち替りうるさい。

 

二月二日(水) 舊暦一月二日(丙戌) 快晴

今日は快晴なので、風は冷たかつたが、會食散歩(食事をともなつた散歩)に出た。柏驛は相變はらずの人出。注意しながら歩き、立ち寄つた太平書林さんでは面白さうな本が何册も見つかつた。その後、玄品柏店に入り、入れ齒を氣にしいしい美味しい料理をいただいた。

幸田露伴 『露伴翁座談』(角川文庫 舊字舊假名) 讀了。

今日の歩數・・・四七〇〇・歩

*今日の新型コロナウイルスの東京の新規感染者は二萬人を超えて、二一五七六人、國内感染者數は九萬人を超え、九四九三一人。さらに過去最多を更新中。

 

二月三日(木) 舊暦一月三日(丁亥・節分) 晴

今日はとこやに行つて坊主頭をきれいに刈り込んでもらつた。おどろいたことに、髪の毛といふものは、平均してのびるものだと思つてゐたが、なんとなんと、頭のある部分だけがのびて均衡がくずれていくものなのだ。それで刈りそろへていただいたといふことなのである。

昨夜よみはじめた塩谷贊著 『幸田露伴 上卷』(中公文庫) が面白い。もつと早くよめばよかつたのにと思つた。ただ、文庫本で四册あるので、ちよいと苦勞だ。

*今日の新型コロナウイルスの國内感染者數は 一〇四四七二人、一〇萬人を超える。

 

二月四日(金) 舊暦一月四日(戊子・立春) 晴

今日は日本橋の齒科醫院へ通院。十一時から一時間、慈惠大學病院齒科での抜齒豫定を確認したあと、入れ齒の調整を丹念におこなつてくれる。それでだいぶ痛みもなく食べられるやうになつた。

晝食は、隣の高島屋新館のレストラン街でいただき、その足で、神保町の古書會館を訪ねる。また古書店街を歩きまはる。

今日の歩數・・・七三一〇歩

 

二月五日(土) 舊暦一月五日(己丑) くもり

終日猫たちをひざに讀書。

塩谷贊著 『幸田露伴』 と 夏目伸六 『猫の墓 父・漱石の思い出』(河出文庫) をよみすすむ。『幸田露伴』 のはうは、露伴の人生といふか、作家になりたてのころの生活や交友關係、それに露伴の作品とその書かれた事情などを細かに描いてゐるので、よむのにじつに根氣が要る

興味深かつたのは、露伴が何年か北海道の余市に働きに出てゐるあひだに、露伴の父が下谷敎會の牧師だつた植村正久の説敎をきいて感動し、「長く信仰した法華経をやめて洗礼を受け、一家の者にも受洗させた」のであつた。歸宅した露伴はおどろいて、以來佛敎に興味を向け、友人たちからは露伴和尚とよばれてゐたといふことなんぞ、初耳である。明治二十年ごろのことである。 

 

二月六日(日) 舊暦一月六日(庚寅) 晴、冷える

今日も、終日猫たちとともに讀書。グレイのくしゃみが氣になる。

塩谷贊著 『幸田露伴 上卷』 と 夏目伸六 『猫の墓 父・漱石の思い出』(河出文庫) をよみすすむ。

 

二月七日(月) 舊暦一月七日(辛卯) 晴

今日も、終日猫たちをひざに讀書。『猫の墓 父・漱石の思い出』 とともに、和本の 『圓光大師法語集』 と 『沙石集』 も少しづつよみすすむ。

グレイを動物病院へつれていき、爪を切つてもらふ。くしゃみはなんでもなささうだ。

昨夜、塩谷贊著 『幸田露伴 上卷』(中公文庫) 讀了。後半で興味深かつたのは、露伴と森鴎外が樋口一葉の 『たけくらべ』 を絶賛。「露伴・鴎外・一葉の合作小説」を書こうと計畫し、鴎外の弟の三木竹二が露伴を伴なつて一葉の家を訪問したくだりである。一葉の日記によれば、

 

明治二十九年(一八九六年)七月二十日。雨風おびただし。午後二時ごろ、はからず三木君、幸田君を伴ひ來たる。はじめて逢ひ參らす。我は幸田露伴と名のらるるに、有さまつくづくうち守れば、色白く、胸のあたり赤く、丈はひくくしてよくこえたり。物いふ聲に重みあり。ひくくしづみていと靜にかたらる。『めざまし草』 に、小説ならずともよし、何か書きもの寄せられたし、こをば賴みに來つるなりといふ。(中略)

こはいと長く物がたりき。かたれる事三時間に過ぎぬ。これより鴎外君がもとを訪ふとて、三木君ともども家を出らる。

 

ところが一葉はこの四か月後、「一一月二三日午前肺結核で死去」。二十五歳であつた。

思へば、二〇一七年十一月に、東山會で塩山を散策し、慈雲寺に建つ 〈樋口一葉女史文学碑〉 を訪ねたのだつた。

「甲州市塩山は、樋口一葉の両親が生まれ育った場所で、1922年には一葉を偲んで同寺の境内に一葉女史碑が建立され、石碑の裏側には建立賛助者として、田山花袋、森鴎外、与謝野晶子など日本を代表する近代文学者の名前が刻まれています。本堂の前に は、樹齢330年と言われる イトサクラが立っています」。ちなみに、撰文は幸田露伴。  


 二月八日(火) 舊暦一月八日(壬辰・上弦) 晴

今日は通院日。ちよいと懸念をもつて出かけたところ、血液と心電圖檢査はいたつて良好。ただ、良い藥ができたのであらたに飲むことになつた。齒科での抜齒については、ミカ先生のはうからも手紙をかいてくれるといふ。なんとも順調なことではあるが、できればはやく良い入れ齒が入つてほしい。

夏目伸六 『猫の墓 父・漱石の思い出』(河出文庫) 讀了。

著者が小學二年生の時に父・漱石が他界したとはいへ、實の息子の書いた思ひ出やエピソードなどのエッセイなので説得力があり興味深く讀んだ。ただ、後に「功成り名を遂げた」漱石門下の人達が、「セッパ詰まった」ときに漱石の脛をどれだけ齧つたものか、その神經にはあきれるほどである。なかでも、漱石が岩波茂雄の臆面もない無心を引き受けなかつたなら、今の「岩波文庫」が世になかつたことを思ふと、漱石の懐の廣さと、人と人の出會ひの不思議さを感じないではをれない。

今日の歩數・・・五七九〇歩

 

二月九日(水) 舊暦一月九(癸巳) 晴

今日は近所へ會食散歩。お花茶屋驛の熊本食堂で久しぶりにレバー刺しとヒレ刺しをいただく。美味しく食べることができたけれど、注文したご飯が少なかつたので、歸路、みと屋でラーメンを少なめにしていただいてしまつた。

また、驛前の古本屋で、馬場孤蝶 『明治文壇の人々』(ウェッジ文庫 新字舊假名) を發見。樋口一葉と親しく、その思ひ出話しが多くおさめられてゐる。一葉自身の著作はなかなか讀みづらいけれど、それをとりまく交遊録には興味がわく。

刑事ヴァランダー・シリーズ第九弾、ヘニング・マンケル 『霜の降りる前に 上』(創元推理文庫) をよみはじめる。

今日の歩數・・・二二〇〇歩

 

二月十日(木) 舊暦一月十(甲午) 曇天のち小雪、冷える

終日讀書。『平家物語 百二十句本 四』(古典文庫)、卷第八・第七十一句〈四の宮即位〉が終り、第七十二句〈宇佐詣で〉に入る。ところで、『平家物語』 に四の宮(後鳥羽天皇)の即位のはなしがあつたとは、この百二十句本ではじめて知つた。

ヘニング・マンケル 『霜の降りる前に 上』(創元推理文庫) 讀了。下に入る。

 

二月十一日(金) 舊暦一月十一(乙未) 晴

今日も終日讀書。まつはりつく猫たち三匹がみな可愛い。とくにグレイは幼い時から抱いて育てたからか、すぐに胸にしがみついてくる。抱きながらの讀書となるが、やわらかい毛並をなでなでしてゐると、現實ばなれしていくやうな、ぼ~つとした氣分になる。

 

二月十二日(土) 舊暦一月十二(丙申) 晴

今日も終日讀書。ヘニング・マンケル 『霜の降りる前に 下』(創元推理文庫) 讀了。なんといつてもよませる。はらはらどきどきだ。

つづいて、「北欧ミステリの帝王ヘニング・マンケルが生んだ名物刑事、クルト・ヴァランダーが、まだ二十代の頃を描いた五つの中短篇を収録した」 『ピラミッド』(創元推理文庫) をよみはじめる。 

 

二月十三日(日) 舊暦一月十三(丁酉) 雨、寒い

今日も終日讀書。

 

二月十四日(月) 舊暦一月十四(戊戌) くもりのち晴

今日は慈惠醫大病院の齒科と日本橋の齒科醫院をはしごした。慈惠大では、抜齒と入院日が決められてその手續きをし、日本橋では抜齒までのあひだに他の齒の治療をしてゆくことになつた。

齒科醫院の數軒手前に地圖の専門店 “ぶよお堂” があり、今日はそこでニューヨークの地圖を求めた。以前川野さんに案内されて訪ねたお店だが、場所は地下二階、海外の地圖も豊富である。

齒科終了後、神保町にまはり、夕食をアルカサールの炭焼きハンバーグ(一五〇グラム)をいただいて歸路につく。治療したばかりの齒のことを考へて、いつもの和風ステーキではなく、はじめてハンバーグを注文してみた。

今日の歩數・・・九一五〇歩

 

二月十五日(火) 舊暦一月十五(己亥) くもり

今日も散歩。坂崎重盛さんの著書にならつて 「お忍び散歩」 と名づけたいと思ふが、古本散歩だつたり、會食散歩だつたり、まあ目的は隠しやうもないのだけれども、ちよいと使つてみたいことばである。

それで、今日のお忍び散歩は、玄品柏店でランチサービスの正午膳をいただくのが目的だつた。ところが、直行したところ、珍しく滿席で一時退散。驛南のブックオフを訪ねた後、再びおとづれてやつとありつくことができた。美味かつた! 

歸路、松戸と綾瀨のブックオフにも立ち寄り、文庫本數册をもとめる。これが、古本探索と美味探求をかねた今日のお忍び散歩であつた。

高木卓 『露伴の俳話』(講談社学術文庫) のうち、「露伴の思い出」 と 「露伴の片鱗」 をよむ。著者の母親は露伴の末妹であつたから、露伴の甥にあたる。「露伴の無聊を慰めかたがた、親戚が日をさだめて露伴の宅にあつまり、露伴からいろいろ物を教わるといふならわし」があつたといふ。その情景が目に浮かぶやうな内容である。

今日の歩數・・・五九九〇歩

 

二月十六日(水) 舊暦一月十六(庚子) 晴のち曇天一時雨

半藤末利子 『夏目家の福猫』(新潮文庫) 讀了。著者は、漱石の長女筆子の娘であり、半藤一利さんの奥さんでもある。どうしておふたりが結ばれたかがわかつた。

内容・・・『吾輩は猫である』のモデルになった仔猫は、漱石の妻鏡子との攻防の果てに、いかにして夏目家に住みついたのか。七人の子供を育て、座る暇もないほど忙しい生活をおくった鏡子と漱石の関係。“狂気の時”の恐ろしさと、家族しか知りえないおおらかな素顔。漱石没後の夏目一家。長女筆子から伝え聞いた夏目家のくらしと、文豪の孫としての日常をユーモアたっぷりに描く珠玉のエッセイ。

 

二月十七日(木) 舊暦一月十七(辛丑・滿月) 晴

先日、母のデイサービス先で、新型コロナ感染者がひとり發見されたけれど、その後施設には問題ないとされて、今朝も母は出かけていつた。

妻とは久しぶりの外食。靑砥驛までドライブし、もちろん運轉は妻であるが、まづ驛前のそば屋でそばをいただき、竹内書店を訪ね、ダイソーにもよつた。

また途中、お花茶屋圖書館によつて、半藤一利さんの 『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋) と 『続・漱石先生ぞな、もし』(同) を借りた。

法然さんの 『圓光大師法語集 坤』(和本) 讀了。乾のはじめから坤の終りまでほぼ同じことがくりかへし語られてゐる。それがまた一茶の 『おらが春』 にもうかがへるのが興味深い。その結びに曰く、

「問ていはく、いか樣に心得たらんには、御流儀(淨土眞宗の教義)に叶ひ侍りなん。答ていはく、別に小むづかしき子細は不存候、たヾ自力他力何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事は、其身を如來の御前に投出して、地獄なりとも、極樂なりとも、あなたさまの御はからい次第あそばされくださりませと、御賴み申すばかりなり」

これは圓光大師(法然)のことばだと言つてもだれも疑はないのではないか! 

 

二月十八日(金) 舊暦一月十八(壬寅) 晴

お忍び散歩、古本市と食事付き。コロナの感染状況を考へて、三省堂書店池袋本店の古本まつりを避け、南柏驛前フィールズ南柏の古本市を訪ねた。小規模の古本市なので、いつもは一册も求めずに後にすることもあるくらゐなのに、けふは驚くほどの収獲があつた。

文庫本以外では、門谷建蔵 『岩波文庫の黄帯と緑帯を読む』(青弓社) と、中野好夫 『忘れえぬ日本人』(筑摩書房)、それに、圖録で、『法然上人生誕850年記念 知恩院と法然上人絵伝』(京都國立博物館)、これは大きくて厚く、重たい思ひをして持ち歸つた。

お晝は、柏の天外天の担々。むろん、太平書林さんにもたちよつた。

ところで、『養生訓』 をよんでゐると、しきりに欲を少なくしろ少なくしろと言つてゐる。「慾とは耳目口體のむさぼり好むを云ふ」と言ひ、「凡そ慾多きのつもり(その果て)は身を損ひ命を失ふ。慾を少なくすれば身を養ひ命をのぶ」とも言ふ。人々の慾をかきたてることで成り立つ、慾の坩堝のやうな今日の世のありさまを見たら、貝原益軒さん、目をまるくして卒倒してしまふに違ひない。でも、『養生訓』 をよんでゐると、どなたかが、「貧乏人は麦を食え」と言つた言葉を思ひ出してならない。

アマゾンを通して注文した 〈薩南製糖黒砂糖〉 が屆いた。これは味もいいし柔らかい、口の中でやさしく溶けてくれる。今回は意外と早くとどいた。

今日の歩數・・・六三二〇歩

 

二月十九日(土) 舊暦一月十九(癸卯・雨水) 曇天のち雨

昨日求めた中野好夫 『忘れえぬ日本人』(筑摩書房) のうち 「漱石とその門下生」 を面白くよんだ。また、門谷建蔵 『岩波文庫の黄帯と緑帯を読む』(青弓社) は驚くべき内容で、その讀書量と質には脱帽。「岩波文庫の黄帯」の、『毛吹草』 や 『鶉衣』 の面白さを敎へられる。すぐに本棚の奥から出してきて目をとおしてみたが、やはり難解であることにかはりはない!

 

二月廿日(日) 舊暦一月廿(甲辰) 曇天、小雨

今日も、終日猫たちをひざに讀書と居眠り。

ヘニング・マンケル 『ピラミッド』(創元推理文庫) 讀了。

門谷建蔵 『岩波文庫の黄帯と緑帯を読む』(青弓社) を飛ばしよみ。が、〈黄帯〉の面白さを再確認させてくれただけでなく、古典の詰まつたぼくの文庫本の本棚に光をあててくれたやうな感じである。

 

二月廿一日(月) 舊暦一月廿一(乙巳) 晴

今日も日本橋の齒科醫院へ通院。十一時から一時間あまり、抜齒と入れ齒を作る前の作業として、上の齒の治療をすすめる。今日も納得のいく治療で大滿足。

日本橋驛から東西線、大手町驛乘り換へ、丸ノ内線で池袋へ行き、恆例の古本市を訪ねる。例年にくらべると人出が極端に少ない。そのぶん安心して探索できた。

ただ、収穫は、蝶夢著・幸田露伴校訂 『芭蕉翁繪詞傳』(冨山房百科文庫)、井伏鱒二 『人と人影』(講談社文芸文庫)、堀田善衛 『誰も不思議に思わない』(ちくま文庫)、陳舜臣 『聊斎志異考 中国の妖怪談義』(中公文庫) くらゐだつた。

夜、アマゾンで、BBC制作(2007) “刑事ヴァランダー・シリーズ1” を見る。原作は、シリーズの十作までよんでゐる。これは五作目にあたる。ヴァランダー役のケネス・プラナーがいい。 もつと早くみてゐればよかつたかも知れない。面白かつた。 

今日の歩數・・・六四四〇歩

 

二月廿二日(火) 舊暦一月廿二日(丙午) 晴

「今日はニャンの日」(二〇二二・〇二・二二)にちなんで、BSで猫番組ばかり。ついつい見てしまつた。子猫は可愛いが、問題は最期までみてあげることだ。

また、アーナルデュル・インドリダソン著 『湖の男』(創元推理文庫) をよみすすんだ。刑事クルト・ヴァランダー・シリーズの舞臺がスウェーデンなら、この捜査官エーレンデュル・スヴェインソンを主人公としたレイキャヴィク警察シリーズはアイスランド。ともに登場人物の人名がよみづらく、より重厚に感じられる。第四作目である。

 

二月廿三日(水) 舊暦一月廿三日(丁未) 晴

今日は誕生日。七十五歳になつた。三十歳までしか生きられないと言はれたことがのやうだ。だが、長生きに意味があるのだらうか。ちよいとわからなくなつてきてゐる。

朝、南伊豆の三ちやんから地元のミカンがとどいた。三ちやん、犬を飼ひはじめたといふ。山暮らしには猫より犬がいいとぼくも思ふ。

アーナルデュル・インドリダソン著 『湖の男』(創元推理文庫) 讀了。

内容・・・その白骨は干上がった湖底で発見された。頭蓋骨には殴られたような穴があき、壊れたソ連製の盗聴器が体に結びつけられていた。30年以上前の事件らしいことから、エーレンデュルの手に捜査が委ねられ、聞き込みの結果ある失踪事件が浮かび上がった。時代に翻弄された人々の哀しい真実。北欧ミステリの巨人渾身の大作。

 

無住 『沙石集 一』(和本) 讀了。他の説話集に比べて難しい内容である。氣樂な氣持ちでよめない。ただし勉強にはなる。

 


二月廿四日(木) 舊暦一月廿四日(戊申・下弦) 晴

今日は大冒険、といふか思はぬ旅をしてしまつた。土浦の “つちうら古書倶楽部” に行く豫定で、まづ日暮里驛構内で少し早めの晝食をいただき、勝田驛行の常磐線に乗るつもりが、早くやつてきた成田驛行に乘つたのだつた。松戸驛か柏驛で後續の勝田行を待つつもりだつたのだが、念のために “古書倶楽部” に電話したところ、何度かけても出ない。どうも今日は定休日のやうなので(通常、水曜日の定休が昨日の代休となつたやうだ)、急遽このまま成田に行つてしまおうと決心。成田線は、ぼくが高校生のころ、まだC58型蒸氣機關車が上野から成田まで走つてゐたときに寫眞を撮りにたびたび乘つたのだつたが、湖北、新木、布佐、木下、小林、安食、下総松崎などの車窓の景色はあまりかはつてゐないやうに見えた。まだ林や畑、田圃がひろがり、住んでみたいやうな氣がした。

ところが成田驛に着くと、あと一〇數分すると逗子行きの快速がでることがわかり、改札を出ずに、まつすぐ神保町へ行かうと最後尾のトイレ付きの車輛に乘車。錦糸町驛で總武線に乘り換へて水道橋驛についたのは午後二時四〇分、日暮里驛發車が一一時四五分だつたから、およそ三時間の旅だつたわけで、いざ改札を通らうとパスモを出したら、なんと料金が一五七圓だつた。これは日暮里から水道橋までの最短距離の乘車賃である。いやあ、びつくり。機械はごまかせないどころか、機械だからこそだまされてくれたのだらう。もちろん誰にも見とがめられずにそのまま古書店街にむけて歩み出したことは言ふまでもない。夕食は、アルカサールの和風ステーキをいつも以上に美味しくいただいた。

昨夜、貝原益軒の 『養生訓 卷第一・卷第二』(和本 一七一三年刊) 讀了。

グレン・エリック・ハミルトン 『眠る狼』(ハヤカワ文庫) をよみはじめる。

今日の歩數・・・五五二〇歩

 

二月廿五日(金) 舊暦一月廿五日(己酉) 晴

終日、『眠る狼』(ハヤカワ文庫) をよみつづける。

 

二月廿六日(土) 舊暦一月廿六日(庚戌) 晴

久しぶりに、神田と高圓寺の古書會館で開催中の古本市をはしごした。

お晝は、ぢき閉店となる三省堂地下の “放心亭” でカキフライ定食をいただいたが、なんだかいつものやうに美味しくなかつた。今日で最後にしたい。

神田で求めた、岡崎武志 『古本めぐりはやめられない』(東京書籍) が面白くてやめられなくなつた。共感すること多々。だが、ここに書かれてゐるほどぼくは古本にのめり込めないなとは思つた。「本好きの人間にとって、神保町は本がこんこんとわき出る温泉場のようなもので、その町を遊弋(ゆうよく)することは、本の温泉に浸かっているようなものだ。事情が許せば、一日中でも浸かっていたい。それが神保町人種ではないか。」と書いてをられるが、してみると、ぼくも「神保町人種」なのかも?

古本にかんして言へば、むろん、ぼくにもこだはりがあつて、どうせ讀むなら原典にちかいもので讀みたい。たとへば、日本古典文學なら變體假名(和本・複製・影印)で、明治以降の文庫本でも、舊字舊假名の舊版で、といふやうに、すでに手もとにあつても、舊字舊假名本が見つかれば必ず購入することにしてゐる。

最近では、泉鏡花作 『歌行燈』(岩波文庫)、永井荷風著 『深川の唄・歡樂 他狐一篇』(新潮文庫)、柳田國男 『雪國の春』(創元文庫)、川端康成 『末期の眼』(角川文庫)、大岡昇平著 『俘虜記』(新潮文庫) などの舊字舊假名本を求めた。

グレン・エリック・ハミルトン 『眠る狼』(ハヤカワ文庫) 讀了。

今日の歩數・・・八〇七〇歩

 

二月廿七日(日) 舊暦一月廿七日(辛亥) 晴

岡崎武志 『古本めぐりはやめられない』(東京書籍) 讀了。

つづいて、ひさびさに時代小説、竹内涼 『妖草師』(徳間時代小説文庫) をよみはじめる。

 

二月廿八日(月) 舊暦一月廿八日(壬子) 晴

今日も日本橋の齒科醫院へ通院。十時から一時間半、納得のいく治療をしていただいた。

晝食は、高島屋新館裏の “玉ゐ” といふ「あなご専門店」でいただいた。けれどもなんだかお作法があるやうで、ややこしいだけでなく、やはりうなぎのはうが美味いと思つた。

その後、銀座線で上野驛經由、常磐線で土浦驛まで遠征。先日はたせなかつた “古書倶楽部” を訪ねる。が、廣いことは廣くて古本の量はとてつもなく多いのだが、寒くて寒くて鼻水が出て出てしかたなかつた。

今日の歩數・・・五七六〇歩

 

 


 

 

二月一日~廿八日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

二日 幸田露伴 『露伴翁座談』 (角川文庫 舊字舊假名)

六日 塩谷贊著 『幸田露伴 上』 (中公文庫)

八日 夏目伸六 『猫の墓 父・漱石の思い出』 (河出文庫)

十日 ヘニング・マンケル 『霜の降りる前に 上』 (創元推理文庫)

十二日 ヘニング・マンケル 『霜の降りる前に 下』 (創元推理文庫)

十五日 高木卓 『露伴の俳話』 (講談社学術文庫のうち「露伴の思い出」と「露伴の片鱗」)

十六日 半藤末利子 『夏目家の福猫』 (新潮文庫)

十七日 法然 『圓光大師法語集 坤』 (和本)

十八日 中野好夫 『忘れえぬ日本人』 (筑摩書房のうち「漱石とその門下生」)

廿日 ヘニング・マンケル 『ピラミッド』 (創元推理文庫)

廿一日 門谷建蔵 『岩波文庫の黄帯と緑帯を読む』 (青弓社)

廿三日 アーナルデュル・インドリダソン著 『湖の男』 (創元推理文庫)

同日 無住道曉 『沙石集 卷第一』 (和本 一二八三年)

同日 貝原益軒 『養生訓 卷第一・卷第二』 (和本 一七一三年)

廿六日 グレン・エリック・ハミルトン 『眠る狼』 (ハヤカワ文庫)

廿七日 岡崎武志 『古本めぐりはやめられない』 (東京書籍)