今日は肌寒い雨空。三匹の猫にいだかれてソファーで讀書。これがわが晩年の姿なのかと、自嘲氣味。『源氏物語〈常夏〉』 もよみをはり、やすらかな一日であつた。
それにしても、一帖を數日でよみきるなんて、今までになかつたことだ。まあ、靑表紙本の變體假名になれてきたといふのがあるのだらう。でも六十頁あつたことを思へばやはりはやかつた。つぎは、『宇治拾遺物語 卷第七』 であると思つたが、次の 『源氏物語〈篝火〉』 がたつた九頁しかないので、つづけて讀んでしまふことにした。
が、ここでちよいと一服。タイちやんの 『バカな役者め!』(ちくま文庫) をひらいたら、もう最初から抱腹絶倒、久しぶりに腹をかかへて、ぢやあない、腹を波立たせて笑つてしまつた。腹の上に寢てゐたモモタ君がなにごとかと目をさましてしまつたくらゐ。いやあ、面白い。
タイちやんのものはすべて(といつても十一册のみ)を手に入れ、ほとんど讀んだつもりになつたゐたけれど、一、二よみのこしがあつたみたいで、まあ、再讀してもソンにはならないおもしろさ再發見!
五月十七日(日)舊三月廿五日(庚申) 晴
今朝、目覺めてから起きるまでに、『源氏物語〈篝火〉』(靑表紙本) をよみあげてしまつた。二十七帖めだから、五十四帖ある 『源氏物語』 のちやうど半分まできたといふことか。ここまで何年かかつたかしら。できれば〈夢の浮橋〉までよみ通したい。
タイちやんの 『バカな役者め!』 を寢ころんでよんでゐたら、ぺらりと紙片が落ちたのでみたら、またレシートである。それによると、この本は、大仁驛のそばの文教堂書店で、二〇〇一年四月二十一日に購入してゐるのである。當時の「毛倉野日記」を見たら、ラフォーレ修善寺の仕事が二日にわたり、一日目が終はつてから大仁や函南のはうまでドライブしたらしい。そのとき求めたと日記にも書いてあつた。
五月十八日(月)舊三月廿六日(辛酉) 曇天
昨夜、タイちやんの 『バカな役者め!』 讀了。たいへんおもしろかつたが、その面白さには、たしかに毒がある。〔編集付記〕には、「今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現については、時代的背景と、著者が故人であるため、刊行時のままの表記を生かしました」とあるくらゐだから、推して知るべしであらう。
つづいては、ちよいと嗜好をかへて、久しぶりに藤沢周平さんのつづきをよまう。著作年代順で十九册め、『消えた女─彫師伊之助捕物覚え─』 である。一九九三年二月によんでゐるからほぼ三十年ぶりの再讀である。
副讀本は、『江戸切絵図にひろがる 藤沢周平の世界 (時代小説シリーズ) 』(人文社) である。内容紹介によれば、「武家屋敷から著名な料理屋までが絵画的な色彩で記載されている尾張屋板江戸切絵図と、鶴岡御城下絵図を使用して、藤沢作品の舞台を紹介。小説を読みながら人物の足取りを追ったりして楽しめる」といふもので、さつそく、「彫師伊之助の住居」、「彫藤の店」、「おまさの店」、「亀のぶら下がった店」などを確認しながら、登場人物の歩みにそつてよみ進んだ。
と、そのとき、文庫本が手からすべり落ちてしまつた。握力のかんけいではなく、どうも手のひらが乾いて摩擦力が低下したらしい。すぐにハンドクリームをぬりたくつたけれど、歳をとるとかういふこともおきるのだと敎へられた思ひだつた。
午後、“飢餓海峡” を見た。一氣にといふか、またたきすら抑へたくらゐ目をそらさずに見入つた。三時間五分の長編である。それをNHK・BSPで、休憩もなく見せてしまふ映畫なんて、近頃ぢやあないだらう。なんといつても伴淳がいい。左幸子も初々しくていい。だが、三國連太郎のふてぶてしさ、これなくしてこの映畫は腑抜けになつてゐただらう。でなければ、伴淳の刑事の執念も傳はつてこない。さいごの十二、三分、牢獄のなかで伴淳と犯人の三國連太郎が對峙するところでは、思はず涙が流れ出てしまつた。もう何度か見たはづなのに。内田吐夢とは、すごい監督である。
ついでに、田山力哉著 『伴淳三郎 道化の涙』(教養文庫) を探し出し、“飢餓海峡”に出演したころの記述をよんでみた。すると、はたして、「これまでの彼の役はほとんどコミカルなものばかりだったが、この弓坂刑事役は初めてと言っていい本格的なシリアスなもので」とあつて、伴淳は、「役づくりをするため、撮影開始までの間、青森、秋田、岩手、宮城、山形の各県下の田舎の警察を歩き回り、弓坂刑事のモデルとなるような刑事を探し」歩いて、「役づくりに精力を傾けていた」といふのだから、それまでの彼を知るものにとつては驚異だつたであらう。このとき伴淳、五十六歳!
*下のジャケット、伴淳の名が缺けてゐるのがおかしい。高倉健とかへるべきだ!
五月十九日(火)舊三月廿七日(壬戌) 小雨降つたりやんだり
昨夜、ちよいと書庫で探し物をしてゐたら、今和次郎さんの 『日本の民家』 をはじめ、『民家採集 今和次郎集 第3巻』 などが目にとまり、ついつい寢床まで運んでよみふけつてしまつた。とくに、『日本の民家』 は、ぼくが山暮らしを計畫しはじめたときに出會つた本だつたから、あらためて、その解説を熟讀してみた。
じつは、この本は、前半の「日本の民家」(Ⅰ田舎の人たちの家、Ⅱ構造について、Ⅲ間取りについて)と「間取の由來考」しか讀んでゐなくて、ぼくの讀書記録には讀了として記載してなかつた本なのだ。後半の「採集」こそ、著者のスケッチがたくさん収録されてゐて、興味がそそられておもしろかつたのに、かへつて丁寧によまなかつたからなのだと思ふ。
それで、あらためて、岩波文庫の解説をよんでみたわけなのだが、そこには、「柳田国男も 『今和次郎さんの 「日本の民家」 を読んで居ると、暫らく出て居た故郷の村へ、還つて行く時のやうな気持がする』 と読後感を述べている」とあつた。たしかに、「郷愁を湧かせる力がこの本にはあった」のである。よんでゐて、ぼくは母の生家と母の一番上の姉の嫁ぎ先の、ぼくにとつては從兄弟たちの農家の家を思ひ浮かべてしまつた。
幼き日、ぼくはその土間のある大きな田舎の家に入りびたり、遊びつくした家で、いま目を閉じても、家の細部の薄暗くてひろい蚕部屋や五右衛門風呂までも浮かんでくる。が、もうその家も建て直されてしまつた。と同時に、家をつつんでゐたあらゆる景色が色あせ、失はれてしまつた。
この本は、そんなぼくを山暮しにかりたてた一册であることはまちがひない。購入したのは、一九八九年三月二十四日。日記をみると、川和時代で、その日は、青木のり子さんの個展會場を訪ね、その歸りに神保町で求めてゐるのである。ただ、古本屋ではなくて、書泉グランデで買つてゐる。といふのも、本書の出版がこの三月十六日で、新刊のほやほやだつたからである。
ちなみに、次の日が川和保育園の卒園式、二十七日には、町田で、『すばらしき田舎暮らし』 と 『我が家は森の中』 を求め、四月十一日には 『二百年もつ家がほしい』 といふこれまたマニヤックなものまでよんでゐる。木工もはじめてをり、檜原村のはうに家を探しはじめたのもこのころのやうだ。そして、なんと四月三十日にはタイちやん、殿山泰司が亡くなつてゐるのである。七十四歳であつた!
また、『消えた女─彫師伊之助捕物覚え─』 よみ進む。これも、言つてみればミステリーに違ひない。時代小説版ハードボイルドである。
通院豫約日の一週前となる今日一日、病院から連絡があるかどうか注意して待つてゐた。けれども、連絡がなかつたので、來週の通院はできるのだな思つた。一安心である。といふことは、そのかへりに外食をして、さらにうまくすれば古本屋にも行けるかもしれない。
五月廿日(水)舊三月廿八日(癸亥・小滿) 曇天時に雨、肌寒い
藤沢周平著 『消えた女─彫師伊之助捕物覚え─』 讀了。つづいて、『漆黒の霧の中で─彫師伊之助捕物覚え─』 にはいる。
ひるは、妻とお花茶屋の喜久家に行き、ぼくはカレーうどんを食べた。歸路、コンビニでチョーヤの梅酒を買つた。
*猫たちにも居心地がいいらしいソファー。右は、遠い昔の田舎の家
五月一日~廿日 「讀書の旅」 (『・・・』は和本及び變體假名・漢文)
二日 田中小実昌著 『ないものの存在』 (福武書店)
六日 田中小実昌著 『くりかえすけど』 (銀河叢書 幻戯書房)
十一日 田中小実昌著 『ほのぼの路線バスの旅』 (中公文庫)
十三日 田中小実昌著 『バスにのって』 (青土社)
十六日 紫式部著 『源氏物語二十六〈常夏〉』 (靑表紙本 新典社)
十七日 紫式部著 『源氏物語二十七〈篝火〉』 (靑表紙本 新典社)
十七日 殿山泰司著 『バカな役者め!』 (ちくま文庫)
十九日 藤森照信著 「今和次郎著 『日本の民家』 解説」 (岩波文庫)
廿日 藤沢周平著 『消えた女─彫師伊之助捕物覚え─』 (新潮文庫)