月十六日(火)舊閏四月廿五日(庚寅) 曇りのち晴、暑い

 

『源氏物語〈眞木柱〉』 と 『殴り合う貴族たち』 をよみつづけた。『殴り合う貴族たち』 のはうは、再讀といふこともあつて、おもしろいやうに讀みすすんだが、先日らいよんで理解したと思つてゐた人物像がだいぶ變更をせまられた。

例へば、道長の妻・「明子腹」の息子たちはいちがいに穏やかな人物だとおもつたのだけれど、本書によると、賴宗も能信も、それに三男の顯信は出家したが、つぎの長家(俊成・定家の先祖となつた)もみな喧嘩つ早かつたりしてだいぶ顰蹙ものだつたやうだ。

それと、小一條院とよばれるやうになつた三條天皇の長男・敦明親王なんか、「王朝時代に実在した貴公子たちの中で最も光源氏に近い存在であった」と言はれるにしては、同じ貴族にたいして、衆人環視の中で加へた虐待、袋叩き、辱めは、どうひいき目にみても許せるものではない。

といつたぐあひで、再讀してみて、あらためて目からウロコ、貴族社會そのものが暴力によつておほわれてゐたのであつた。

他方、〈眞木柱〉は、髭黑大將が玉鬘を射止め、その後始末、といふか、正妻である北の方と三人の子女をどうするかで、大もめにもめてゐる。じつに見苦しい場面が延々とつづくが、文章は單調でよみやすい。

はたして、紫式部は、當時の貴族たちのたびかさなる暴力事件を見聞きしてゐただらうに、それにしてはのんびりと、おだやかに、といふか、時代を矮小化してしまつてゐるのではないかと思はざるをえない。まあ、物語だからなんだらうけれど。

 

 

六月十七日(水)舊閏四月廿六日(辛卯) 晴、風さわやか

 

今日も 『源氏物語〈眞木柱〉』 をよみすすみ、『殴り合う貴族たち』 は讀了。その終りのはうの章は、「三条天皇、宮中にて女房に殴られる」とか、「内裏女房、上東門院藤原彰子の従者と殴り合う」とか、宮中で女性である女房も加はつた暴力沙汰が頻繁に起つてゐたことが描かれてゐて興味深かつた。といふのも、〈眞木柱〉では、玉鬘が宮中に參内する場面のところであり、女房たちはつつましく、殴り合ひや取つ組み合ひなど見たことも聞いたこともありません、といつたすまし顔なので、とくにさう思つた。

 

ひるは、喜久家でカレーうどん。あまり食欲がないので、食べたいものを食べに出た。それ以外は、ソファーで讀書。モモタもココもグレイも、毛がぬける季節をむかへた!

 

 

六月十八日(木)舊閏四月廿七日(壬辰) 曇天

 

今日も 『源氏物語〈眞木柱〉』 と 『王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪』 をよみすすむ。

『王朝貴族の悪だくみ』 は、前作の、どちらかといへば興味本位の内容とはことなり、當時起きた(政治的)事件を、『小右記』 や 『權記』、『御堂関白記』、それに 『左經記』 などを驅使してその深層に迫つてゆくといふものである。まるで古文書の解讀のやうでもあり、だいぶ根氣がひつようだ。

 

 

六月十九日(金)舊閏四月廿八日(癸巳) 雨、肌寒い

 

『源氏物語〈眞木柱〉』 讀了。靑表紙本で九六頁。玉鬘がどうなるか、後半ははらはらしながら讀んだ。今までにない筋だとおもつた。これで、十六帖あつた「玉鬘系」が終了し、そのなかでも 「玉鬘物語」 と呼ばれる十帖が讀了、あと二帖(「紫上系」の〈梅枝〉と〈藤裏葉〉)で 『源氏物語』 の第一部が終了する。

ついでに、大野晋・丸谷才一著 『光る源氏の物語(上)』(中公文庫) も讀了。これは、『源氏物語』 を讀みすすむにしたがつて讀んできたので、殘りの二帖は豫習と思つて一氣に讀み切る。この本はとても勉強になつた。

さう、〈眞木柱〉の冒頭、玉鬘が髭黑大將とできてしまつたところからいきなりはじまつたので、疑問に思つてゐたら、大野晋先生と丸谷才一さんのこの本で、髭黑が玉鬘をレイプしたからだと書いてあつたのにはおどろいた。

「これはね」、と大野先生。「紫式部の趣味、美学がありましてね。この作者は、男女相会うということについて大体触れないんですけれどね、髭黑は乱暴をやったんですよ」

丸谷 「あ、レイプしたんですか」

大野 「それ以外に考えようがないと思うんですけれど、・・・それは女房が手引したんですよ。弁のおもとなんですよ。弁のおもとが手引して髭黑は不意を襲ったんです」

丸谷 「あの頃はかなりレイプ的なものが多かったとぼくは思うんです。つまり光源氏と藤壺の関係の最初のところ、書いていない一回目のところですが、あれも一種のそういうものだったでしょう」

このへんのことは、いはゆる學術書ではあやふやにしてゐるところでせうね。はたして勉強にも參考にもなりました。で、しばらく休憩して、その間に 『平家物語』 をとおもつたら、大野先生がとんでもないことを言つてゐるので、これまた心穏やかならず。

「だから 〈藤裏葉〉 までで前篇は終りで、これからいよいよ 『源氏物語』 は始まると言ってもいいぐらいなものなんです」、といふのである。

丸谷さんも、「これからほんとに私の書きたいことが始まるっていう感じで、とにかく〈若菜〉、これはとても楽しみにしているんです」、なんて言つてゐるところをみると、どうも、熱がさめないうちにけいぞくして讀んだはうがいいのかもしれない。

 

 

六月廿日(土)舊閏四月廿九日(甲午) 晴のちくもり

 

今朝、「日本の古本屋」の〈古本まつりに行こう〉をのぞいたら、次のやうな掲示が目に飛び込んできた。

「おはようございます。本日も1017時、神田古書会館地下1階にて新興展を開催しております。会場は、コロナ対策により万全の安全対策で開催しておりますので是非お立ち寄り下さい。新興展の会場では、入口で御名前と連絡先の記載をお願いしております。よろしくお願いします」

それではと、重くなりつつあつた腰をあげて、出かけてきた。もちろん恐る恐るであつた けれど、到着してみると、會場は餘裕をもつて設置されてゐたし、來場者も少なく、のんびり探書ができた。三か月ぶりの古書會館である。

ここでの収穫は二册。二册とも五十嵐書店さんが出した本で、ご主人にも久しぶりにお會ひすることができた。また、八木書店その他の書店でも何册か、買ひすぎもせず、まあまあといつたところだつた。

『待賢門平治合戦』 (寛永さうし屋久兵衛板 珍書大観金平本全集)(註)

山中 裕著 『平安朝文学の史的研究』 (吉川弘文館)

角田文衞著 『二条の后 藤原高子 業平との恋』 (幻戲書房)

金森敦子著 『江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く 諸九尼の生涯』 (角川文庫)

 

註・・・『待賢門平治合戦(たいけんもんへいじがっせん)』 古浄瑠璃の作品。1643(寛永20)の正本などがある。太夫の名は不明。6段よりなる。《平治物語》によった作品で,後半の源義朝の最期や鎌田政清の殺されるところなどに幸若舞《鎌田》によっているらしいところがあるが,それよりは簡単になっている。終りの方は説経節《鎌田兵衛正清》に似たところがある。かなり広い題材を扱っているために物語は筋書風になっているが,悪源太の活躍,朝長の切腹,義朝の最期,政清の横死,妻子5人の自殺,金王丸の武勇など,多くの見せ場を作っているところに,古浄瑠璃風の特徴が見られる。

補足・・・「待賢門合戦」は、平治元年 (1159) 12月の「平治の乱」で、平安京大内裏の待賢門に陣取った源義朝の軍と平重盛軍との紫宸殿前の大庭で繰り広げられた戦いをいい、重盛は、義朝の長子、(悪源太)義平率いる17騎に追い立てられるが、危うく逃れることができた。この直後の六波羅の戦いで形勢が一変し、逆に義朝の軍を平清盛の軍が打ち破り、平治の乱は終った。 

 


 

繁田信一著 『王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪』 讀了。これはてこずつた。「清少納言、危機一髪」とふ副題は、今日のぼくたちの興味を引きつける誘ひ水みたいなもので、内實は極端に硬質である。道長の時代、といふか、平安王朝時代の暗部といふか陰部をさらけ出した内容で、著者も、王朝時代のイメージを壞したくないかたは讀まないでくださいとまで書いてゐる。

「王朝時代の受領国司たちが任国において蓄財のために何をしていたか、・・・本書においてじっくりと見てきたように、当時の受領たちは、さまざまな不正行為によって多大な財を獲得していたのである。例えば、私利私欲のために、不当課税・不当徴税・恐喝・詐欺・公費横領など、考えつく限りの不正を行っていたが、みずからの不正行為が露見することを防ぐためならば、殺人の罪を犯すことも躊躇しないものだったのである」

そして、讀んでゐてつらかつたのは、『小右記』 などの記録をつなぎあわせ、推理し、犯人がわかつたとしても、結局は惡德受領とその上司の道長等の權力者によつて事件そのものがなかつたことにされたり、重税を強いられたものたちの訴へはにぎりつぶされ、訴へたものは口封じのために殺されたといふことが明らかにされた、そのやうな内容だつたからである。

「そうして亡き父(の受領としての不正)に対して重大な疑念を抱かずにはいられなかった淸少納言は、さらに、みずからの生きる貴族社会の真の姿にも気づいただろう。そう、彼女自身が 『枕草子』 に描いたような王朝貴族社会の豊かさは、実のところ、悪徳受領たちが地方諸国において不正行為を用いて築き上げた汚れた富によって支えられたものだったのである」

と、著者は、「むすび」の中でこのやうに訴へ、「紫式部や淸少納言によって描き出されたような不自然なまでに風雅で優美な王朝貴族たちを愛して止まない方々にしてみれば、王朝時代の貴族社会において犯罪行爲や暴力沙汰が頻発していたなどということは、これ以上ないほどに都合の悪い事実なのではないでしょうか」、といふことで、王朝時代のイメージを壞したくないかたは讀まないでくださいと書いたのであらう。

まあ、歴史の眞實にふれるといふことは、決して快いものではない。それは今日くりひろげられてゐる現實にたいしても言へることなのであらう。

 

また、セネカ著 『幸福なる生活・他一篇(人生の短さについて)』 讀了。

それととともに持ち歩いた、逢坂剛さんの 『平藏の首』 は、期待はづれでちつともわくわくしなかつたので、途中で放棄。

今日の歩數、五四五五歩

 

 

六月一日~廿日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

二日 林丈二著 『猫はどこ? 街歩き猫と出会う』 (廣済堂出版)

八日 東京大學史料編纂所編纂 『史料綜覽卷一 平安時代之一』 (東京大學出版會)

八日 五味文彦著 『平家物語、史と説話』(平凡社選書) のうち、「第三章 記録と史書のはざま」

十日 山中裕著 『平安人物史』(東京大學出版會) のうち、「第五章 敦康親王」と「第六章 敦明親王」

十二日 酒井みさを著 『上東門院の系譜とその周辺』 (白帝社)

十三日 紫式部著 『源氏物語三十〈藤袴〉』 (靑表紙本 新典社)

十五日 路上観察学会 『路上観察 華の東海道五十三次』 (文春文庫ビジュアル版)

十七日 繁田信一著 『殴り合う貴族たち』 (角川文庫)再讀

十八日 紫式部著 『源氏物語三十一〈眞木柱〉』 (靑表紙本 新典社)

十八日 大野晋・丸谷才一著 『光る源氏の物語(上)』 (中公文庫)

廿日 繁田信一著 『王朝貴族の悪だくみ―清少納言、危機一髪』 (柏書房)

廿日 セネカ著 『幸福なる生活・他一篇(人生の短さについて)』 (岩波文庫)再讀