四月十一日(土)舊三月十九日(甲申) 晴

 

寢室の模様替へが少しづつ進む。と言つても、こちらからあちらに移動する程度だから、すぐまた中村莊へ運ばなければならなくなるだらう。ただ、四月に入つてからは、佐々木 譲さんの 『仮借なき明日』 をアマゾンで求めた一册だけで、古本屋めぐりもしてゐないので、この分でいけば整理は進められるだらう。 

 

夕方、院内感染のあつた慈恵大學病院の循環器内科から電話があり、十五日のペースメーカー外來への通院が八月に延期された。二十一日の通常の通院については追つて連絡があるでせうといふことであつた。いよいよ足元に忍び寄つて來たといふ感じだ。 

ぼくも呑氣なことを考へてゐたのを反省しなければならない事態になりつつある。感染すれば、即、死にいたらないまでも重症化することはあきらか。とは言へ、神經質になることもあるまい。 

ふと、『徒然草』 の言葉が浮かんだ。

 

「四季は猶定まれるついであり、死期はついでをまたず。死は前よりしも來らず、かねてうしろにせまれり。人皆死あることを知りて、まつことしかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟かなれども、磯より鹽のみつるがごとし」(第百五十五段)。 

 

東京都内で、新型コロナウイルスの感染者が、新たに一九七人確認された。「昨日の一八九人を上回り、一日あたりの感染者数は四日連続で最多を更新する見通しだ。累計の感染者は約一九〇〇人となる。日本全国の感染者数は四日連続最多の累計七三四五人」 

 

 

四月十二日(日)舊三月廿日(乙酉) 曇り

 

終日讀書。 

五木寛之著 『隠された日本 大阪・京都 宗教都市と前衛都市』 讀了。 

内容紹介・・・五木寛之が日本史の深層に潜むテーマを探訪するシリーズ「隠された日本」の第三弾。現在、大阪城が建てられている場所には、かつて蓮如が建立した石山本願寺があった。大阪の底に流れる信仰心の側面を探る第一部。また、国際色豊かなエネルギーを取り込み、時々の権力者としたたかに付き合ってきた京都に前衛都市の姿を見る第二弾。現代にも息づく西の都の歴史に触れる。

 

本日、都内の感染者、新たに一六六人(累計二〇六八人)。全國では三八三人

 

 

四月十三日(月)舊三月廿一日(丙戌) 終日風雨強い

 

古本散歩と外食もままならず、單調な日がつづく。 

五木寛之著 『隠された日本 加賀・大和 一向一揆共和国 まほろばの闇』 を讀みはじめる。 

『宇治拾遺物語 卷第四』(第一話~第十七話) 讀了。 

これまでの四卷は、「十五卷十五册の萬治二年(一六五九年)板本」(和本)で讀んできたが、つづく第五卷だけが缺けてゐるので、「宮内庁書陵部藏の二册本」、『御所本うち拾遺物語』(笠間書院刊) で讀まうと思ふ。 

 

コロナウイルス、東京で新たに九十一人感染。全國累計七六七四人 

 

 

四月十四日(火)舊三月廿二日(丁亥) 晴、終日強い北風

 

朝食後、NHK・BS1の番組、「奇跡のレッスン『パラ陸上・ハインリッヒ・ポポフ』」を見た。再放送の二時間番組だつたが、感動してしまつた。みな片足を失つた六人の男女小中學生が、ポポフさんの指導のもとで、歩き方から走り方、決して不可能と思つてはならないとはげまされながら、いはば自分勝手な不自由な歩き方を克服し、走れるやうになつていくのを見てゐて、ぼくは涙がとまらなかつた。 

 

晝食を食べに、四月に入つてはじめて外出し、お花茶屋の喜久家に行く。かと言つてあまり食欲はなく、今日はたぬきそばにした。歸り、コンビニに寄り、スニッカーズのひとくちサイズを買ひ求める。

 

歸宅すると、そこに慈惠大學病院循環器内科のみか先生から電話があつた。二十一日の通院についてであつたが、やはり延期といふことだつた。ただ、ぼくの場合定期的なワーファリン檢査が必要なので、一應一か月後になつたけれど、状況によつてはさらに先になるかも知れないとのこと。現在の體重、體温、血壓、酸素量をお傳へしたところ、ぼくが感染した場合にはたいへんリスクが高いので、くれぐれも注意するように念を押された。それで、藥については、處方箋を數日のうちに送つてくださるといふ。病院が大變なやうだ。 

 

新型コロナウイルスの感染者が、東京都では一六一人増え、累計は二三一九人。国内では、新たに四八五人の感染が確認され、感染者の累計は八〇〇〇人を超えた。 

また、東京や石川など九都道府県で、一日当たり過去最多となる計十九人の死亡が判明。 

 

 

四月十五日(水)舊三月廿三日(戊子・下弦) 晴のち曇り、暖かいが風が強い

 

危険を覺悟で、思ひ切つて散歩に出る。場所は柴又。歸りは歩くつもりで出かけたが、まあ、電車はがらがら、濃厚接觸は避けられた。柴又驛前も閑散としてゐたし、いつもならにぎはう參道も帝釋天内も、人ひとりふたりといふ有樣(寫眞參照)! 

ついでに、うなぎ屋はと期待しつつ歩いたが、驛前から帝釋天までのあひだ、そもそも營業してゐる店はわづか、川千家はじめ數軒あるうなぎ屋はみな閉まつてゐて、取り付く島もない。 

しかし、あきらめかけたその先に、一軒開いてゐる店を發見して飛び込んでしまつた。宮川といふ、その店、さう言へば、「男はつらいよ」で、池内淳子さんが開いてゐた喫茶店があつたところではなかつたかとふと思ひ浮かんだが、中に入つてびつくり。晝時だといふのに開店休業のやう。おそるおそる聲をかけたらやつてゐるといふ。ほつとして窓際の席に落ち着くことができた。でも、他にだれもゐないといふのは何となく心細いものである。それでもうな重を堪能することができたので大滿足であつた。

 

そこで、歸りがけに、このわきの道の先に、曽利さんといふ家があつたと思ふが、今はどうなつてゐるでせうかと聞いたらば、ご主人(あとで眞一君と幼いころ同級生だつたと知る)、お姉さんがひとりでゐるはづですよ。それでは弟の眞一君はと聞いたら、數年前に亡くなつたといふ。曽利眞一君は、葛飾野高校の同級生であつた。 

で、食後、數十年前には何度も通つた道をたどつてみたら、ありました。またちやうど家の人(ではなくてヘルパーさんだつた)が顔を出したので聞いたらまさしく曽利君の家。入りなさいと言ふお言葉にしたがつて居間に足を踏み入れたら、なんとお姉さんの和代さんがをられて、しばし無言で見つめあつてしまつた。 

何十年ぶりだらう。ぼくが心臟の手術をする前だから、四十年以上になる。でもまつたくおかはりないご樣子にまたびつくり。眞一君の亡くなつた事情などしばらくお聞きして、歸路についた。

 


 

下の右の寫眞は今日のお姉さん。下の二枚は、四十數年前に妻や弟とともに曽利君を訪ねたときの記念寫眞。お二人とも障害者であるにもかかわらずとても明るい方たちで、ぼくなど訪ねるたびに慰められたりはげまされたものだつた。 

 



 

歸りは歩くつもりが、高砂あたりで疲れだし、青砥驛までどうにか到着して、妻に迎へにきてもらつた。それでも、柴又から青砥驛までは四七五〇歩。今日一日では、六九四〇歩であつた。 

 

『源氏物語〈螢〉』 を先日から讀みはじめてゐるが、たしか、この中に光源氏の「物語論」が展開されてゐたのではなかつたか。どのあたりで出てくるのか樂しみである。 

 

新型コロナ、東京で一二七人感染、各地で八人死亡 

 

 

四月一日~十五日 「讀書の旅」 ・・・』は和本及び變體假名・漢文)

 

三日 佐々木 譲著 『警官の血(上)』 (新潮文庫) 

五日 佐々木 譲著 『警官の血(下)』 (新潮文庫) 

八日 佐々木 譲著 『警官の条件』 (新潮文庫) 

十日 佐々木 譲著 『仮借なき明日』 (集英社文庫) 

十二日 五木寛之著 『隠された日本 大阪・京都 宗教都市と前衛都市』 (ちくま文庫) 

十三日 『宇治拾遺物語 卷第四』 (第一話~第十七話)