十月廿六日(土)舊九月廿八日(丙申 晴のちくもり 

昨日とはうつてかはつて晴れわたつたので、神保町へ繰り出し、まづは、古書會館の古書展を探書。すると、掘出し物と言へるかどうか、以下の書が目にとまつたが、大きい本なので送つてもらふ。

 

『一休骸骨』 (江戸時代後期寫) 和本 

『漢土語園 一~二』 (大文字屋) 和本

井上久太郎著 『和漢修身道の教へ』 (北村孝二郎出版) 和本 

『大東急記念文庫善本叢書 別巻 十二段草子』 (汲古書院) 影印 

『近世文学資料類従 西鶴編5 好色一代女』 (勉誠社) 影印 

井川定慶著 『法然上人繪傳の研究』 (法然上人伝全集刊行会) 

 

古書會館入口のロビーで、「源氏物語」受講OBのTさんと待ち合はせてゐたので、一緒に例の放心亭で會食。その後わかれてぼくは東京驛から新幹線で靜岡へ向かふ。マリちやんにお箸を屆け、お父さんのモツをいただくためである。 

出迎へてくれた日又君とマリちやんとともに、まづ、お願ひしてゐた、蓮永寺とその墓地に行つてもらつた。半藤一利さんが、「勝海舟が建てた父小吉と母信子、それに妹のお順(佐久間象山の妻)の墓は、お万の方の大きな供養塔の背後やや奥に入ったところにあった」と書かれてゐる、そのお墓を訪ねることができた。 

母信子は、「小吉の女房」では沢口靖子さんが演じてゐて、それがまたすてきで、だからといふわけではなかつたが、たずねることができてよかつた。またお順もここに眠つてゐるのだと思ふと、象山をはじめとする幕末の多くの人物たちの顔がちらついてしまつた。 

さて、夕食は待ちに待つたお父さんのモツ。おすしまで用意してくれて感激である。おかわりして滿腹し、早めに寢させてもらつた。

 


 

十月廿七日(日)舊九月廿九日(丁酉 くもり 

目覺めれば朝食もモツ! その夢のやうなモツを堪能したところ、帽子がないことに氣づいた。昨日どこかへわすれたか落したか、さう言へば、蓮永寺の墓地でぬいだので、そこに落ちてゐるかも知れないと、食後次の訪問場所に先だつて再度蓮永寺を訪ねた。やはり海舟が建てたお墓の前に落ちてをり、しかも吹き飛び防止用のゴムひもが何ものかに食ひ千切られてゐた。ケモノのやうだ。 

そこで庫裡を訪ね、半藤さんが書いてゐる、「古びた立派な本堂には、海舟と山岡鉄舟と高橋泥舟の書いた 『南無妙法蓮華経』 の書軸が、ならんで掲げられている」といふ、その書を見せていただいた。昨日は訪ねそこねたので、帽子を落したおかげだと思つた。

 

さて、そこから、今日の豫定である、安倍川に沿つてさかのぼつた門屋といふところにある、寶壽院を訪ねた。勝海舟が、お母さんの信子の保養のために建てた建物で、説明版には、「勝海舟屋敷跡」と書かれてゐたが、移築したその建物を背後の墓地から見ただけだが、屋敷といふには味氣ない建物で、また中を見せてもらへず、ながめもいいとは言へず、ちよいと殘念な氣がした。 

「勝海舟が静岡に移住したのは、明治元年(九月に改元)十月のこと。その前の九月三日には、母信子や妻民子ら家族一同を、勝は送り出している(十四日無事に着く)。そして勝たち旧幕臣のほぼ半分の一万四千人近くの駿河移住は、・・・十月十一日から十一月九日にかけて実施された。勝っつぁんはその第一陣で十月十一日に江戸を後にしている。」 

母信子は、しかし、明治三年三月十五日、享年六十七歳で没。わづか一年と七カ月の安住の地だつたことになる。

 

餘談になるが、「全国的になった静岡のお茶が、維新後に失意のドン底に蹴落とされた幕臣たちの感嘆すべき努力と忍耐により、新たに開墾された原野に栽培されたもの、という事実を知る人はほとんどいない」といふ指摘に、ぼくも、濵岡といふお茶の産地の眞つただ中(のちよいとはずれ)に五年も住んでゐながら知らなかつた。

 


 

靜岡驛まで送つてもらひ、歸りは品川驛で新幹線から京急、三田線へと乘りついで神保町に直行。神田古本まつりは日曜日とあつてすごい人出。 

積み重ねられたぼろぼろの和本の山から、表紙に 『寄附 赤松サキ 選擇本願念佛集』 と墨書された手製の和本(寫本) をそれこそ掘り出したのをはじめとして、新井栄蔵著 『セミナー「原典を読む」 「書」の秘伝―入木道の古典を読む』 (国文学研究資料館) などを求む。 

また、歸路立ち寄つた江戸ッ子神田店が、上野店からは想像できない粋な店で、高級壽司店と言つても通るすばらしさ。むろん食べた貝類も絶品。いっぺんで氣に入つてしまつた。 

 

十月廿八日(月)舊十月朔日(戊戌・朔 晴 

今日も古本まつりでにぎわふ神保町で、源氏受講OBのTさん、それにNさんと待ち合はせ、ランチョンといふはじめてのビアホールに入り、飲んで、食べて、お喋りしてたいへん有意義な時間を持てた。

 

その後、東京堂を探書してからお二人とはお別れし、八木書店に行くと、店員の方が仕入れてくれたといふ影印本が何册も待つてゐて、それも廉價(各一〇〇圓)のうへにおまけもしてくれて、今日はもうこれだけで滿足であつた。まあ、みな、いはゆる「大学の講読・演習用教科書」ではあるものの、《變體假名で讀む日本古典文學》 をめざすぼくには充分。

 

『影印本 絵入新版 伊勢物語』 

『中山法華經寺藏本 三敎指歸注』 (武藏野書院) 

阿仏尼著 『四條局口傳(よるのつる)』 (新典社) 

鴨長明著 『無刊記本 無明抄』 (和泉書院影印叢刊) 

『爲兼鄕鄕鄕和歌抄・爲兼鄕記』 (同右) 

それと、淨土宗出版・編の 『念仏者 あの人この人』 といふ、「時を超え、法然のみ教えを受け継いだ歴史上の人物にスポットを当て、その生きざまに迫る」といふ文庫本を求めた。 

 

神保町で探しても、吉村昭著 『海も暮れきる』 がなかつたので、久しぶりにアマゾンを通して注文した。まあ、送料込みで新本と同じ値段だからいいだらう。 

 

十月廿九日(火)舊十月二日(己亥 雨 

今日は通院日。あひにくの雨だつたそのためか、大勢の人で混んでゐて、血液檢査のはうは八十人待ちだつた! その結果、診察もおそくなつたけれども、體重が平生より一キロも増えたにもかかはらず、檢査結果がよくて大安心。この調子で行くやうにとみか先生にもはげまされた。 

病院地下のそば屋でたぬきそばをいただき、雨の神保町はとりやめにして、三田驛乘り換へ、都營淺草線經由で歸宅したのが一二時半だつたのには驚いた。

 

午後は、三匹の猫をひざと胸元に、『罪の声』 を讀み進むが、なかなかはかどらない。 

そろそろ、『さらしな日記』 が讀み終はる。次は同じ著者の作品とされてゐる、『夜半の寢覺』 か 『濵松中納言物語』、あるいは 『狭衣物語』 を讀みはじめようと思ひ、中村眞一郎さんの 『王朝文学論』 のそのあたりのところを開いてみたら、「『源氏物語』以後の物語は、どれもこれもこの偉大な物語の模倣である」と書かれてあるのを再讀して、それでは、まづその 『源氏物語』 を讀み通してしまはうと考へをかへた。 

昨年十二月五日に、第十四帖の〈澪標〉を讀み終へたままなので、そのつづき、つまり第十五帖〈蓬生〉から再出發しようと思ふ。 

それでも、《變體假名で讀む日本古典文學》 をめざすぼくには、他の書も魅力的なので、並行して讀み進むことも努力したい。 

 

なんと、昨日注文した、吉村昭著 『海も暮れきる』(講談社文庫) が今日屆いた。理由は分からんが、こんなに早く屆くこともできるのだ。 

 

十月卅日(水)舊十月三日(庚子 くもりのち晴 

このところ毎日出歩いてゐたので、今日はのんびりと讀書。そしてやつと、塩田武士著 『罪の声』 を讀み終へる。内容を理解しながら讀み進むのに努力がいつたが、エピローグでは、主人公らとともにぼくも涙が流れ出てしまつた。著者のコメントを寫しておく。 

「本作品はフィクションですが、モデルにした 『グリコ・森永事件』 の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。この戰後最大の未解決事件は 『子どもを巻き込んだ事件なんだ』 という強い想いから、本当にこのような人生があったかもしれない、と思える物語を書きたかったからです」。

 

また、今日は、『源氏物語〈蓬生〉』 を讀みはじめるに先立つて、〈末摘花〉 を復習した。〈蓬生〉 は、玉鬘系によると、「末摘花卷をうけて、その後日譚」である、とあつたからで、物語の筋もそれほど入り組んでゐないやうである。 

 

十月卅一日(木)舊十月四日(辛丑 晴 

今日は、服部さんと藤巻さんと會食。前回が三月二十八日だつたからまる七カ月ぶりである。八十歳を越えてもまだ現役の服部さんの都合にあはせ、午後一時、上野は西郷さんの銅像の前で待ち合はせた。顔をあはせるなり、何を食べようかといふことになり、ハッさんがとんかつが食べたいと提案、マキさんはなんでもいいよの人なので、すぐにとんかつ武藏野に向かつた。 

とんかつ武藏野は、ぼくも久しぶりであつたが、ランチメニューのひれかつ定食がじつに美味しかつた。食後は、中央通りと不忍通りの角にできた星乃珈琲店に入り、話し出したらとまらなくなり、それでも時間切れ、三時には店の前で解散した。 

ハッさんは、ぼくがまだ高校生のときからのおつきあひだから、最も古い友人の一人であり、年齢的に言へばお二人とも人生の先輩である。とくに、ハッさんからは學生時代から、あれ讀め、これ讀めと言はれつづけ、ぼくも言はれるままに讀みつづけて、それがぼくの人生の基礎となつてゐることを考へると、とんかつをごちそうしたくらゐではすまないのだけれど、それでも、「いや、割り勘にしよう」といふところが苦勞人のハッさんである。 

 

その後、ぼくは神田古本まつりに行き、靖国通り沿ひの“古本の回廊”で、和本と影印書をふくめた次の書を求めた。

 

有賀長伯著 『和歌八重垣』 全七巻揃 元禄十三年(一七〇〇年)刊 和本 

宮尾與男編 『たむらのさうし』 (台湾大学国書資料集〈一〉) 影印 

菊藤明道著 『妙好人の詩』 (法藏館) 

上田都史著 『人間尾崎放哉』 (潮文社) 

 

それと、今日は外出用に、『海も暮れきる』 を讀みはじめた。 

 


 

 

十月一日~卅一日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

十月二日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第四十五・四十六』 

十月二日 『法然上人絵伝 第四十七~四十八』 (岩波文庫) 

十月六日 阿満利麿著 『法然の衝撃』 (ちくま学芸文庫) 

十月九日 岩下俊作著 『無法松の一生』 (角川文庫) 

十月十七日 志村有弘著 『のたれ死にでもよいではないか』 (新典社新書) 

十月十八日 飯嶋和一著 『狗賓童子の島』 (小学館) 

十月廿二日 高嶋哲夫著 『熱砂』 (文春文庫) 

十月廿四日 玄侑宗久著 『御開帳綺譚』 (文春文庫) 

十月卅日 菅原考標の女 『さらしな日記』 (群書類從特別重要典籍集) 

十月卅日 塩田武士著 『罪の声』 (講談社文庫)