十月廿一日(月)舊九月廿三日(辛卯・下弦 終日曇天 

今日は、待ちに待つた東山會の見沼散策。見沼田圃とか見沼通船堀と言つても、ぼくも知らなかつた、それこそ知る人ぞ知る、現在なほ生きてその御用をはたしつづけてゐるきはめて重要な史跡である。まづは今日歩いたコースを記す(明日の寫眞參照)。 

JR武藏野線・東浦和驛集合─見沼代用水西縁(にしべり)用水路─見沼通船堀公園─通船堀西縁─鈴木家住宅─芝川八丁橋─水神社─通船堀東縁(ひがしべり)─木曽呂の富士塚─見沼代用水東縁用水路─川口自然公園(お晝ごはん)─みちくさ通路─念佛橋─バスで浦和驛─サイゼリアで會食─浦和驛解散 

で、今日の日記として、歸宅後記した東山會のメンバーへのメールをそのまま記載したい。 

 

今日のメール・・・東山會、第12回例會の報告と次回の豫定について! 

東山會のみなさま、こんばんは 本日、曇天の空模樣でしたが、雨にたたられることなく、森さんの案内で、見沼代用水と見沼通船堀の見學と散策を樂しんでまゐりました。參加者は、森、永田、御代川、川野、それにぼくの五人でした。まあ、それぞれ支障が出るのはしかたありませんが、お互ひ、希望をもつてこれからも樂しい散策をつづけていきたいと思ひます。 

それで、散策した場所については、すでに記した「コース」を忠實にたどつたわけですが、ちよいとつけ加へるならば、鈴木家住宅を訪ねる途中で、その名も麗しい「女體神社」にお參りしたことと、川口自然公園で釣りをしてゐる同年輩の方々と、同じ東屋でお辨當をいただいてゐたとき、その中のお一人の釣り竿を見せていただいたのですが、そのみごとなこと! これぞ、大名のお遊び、でしたつけ? 四〇、五〇センチばかりのひ弱さうな竿が、なんと數十萬圓! クジラのひげを用ゐた竿先端のその繊細なしなり具合には、素人のぼくたちでさへ目の色が變るほどでした! こんなぜいたくな趣味もあるのかと目の前の世界が色あせる思ひがしました。と、まあそれはそれとして、多少は先日の水害の影響も見られましたが、實に有意義で刺激的な散策でした。 

それで、次回の豫定ですが、浦和のサイゼリアでワインをいただきながら頭をめぐらした結果、高尾山で藥王院の精進料理をいただき、さらに温泉にも入らうといふ、實に快樂本位の計畫をたてることができました。日程は、2020年4月22日(水) か 23日(木)のどちらかにしようとなりました。どちらかにしますが、都合がわるい日について、早くお申し出ください。案内は、もう高尾山の主(ぬし)とも言はれてゐる永田さんです。 

OさんもH田さんも、くれぐれもおからだにはご留意を。 

Sさんは、あまり忙し過ぎないやうに、 

Wさんは今回は殘念でしたが、次回の計畫についてご助言があればお願ひいたします。以上よろしくお願ひいたします。 

尚、添付寫眞は、いつものやうにすべてをお送りしますので、各自取捨選擇をお願ひいたします。本日の歩數は、一五一八〇歩でした。ひげ淳 

 

今日の寫眞・・・通船堀東縁(ひがしべり)の關(閘門)にて、左後方の關が一の關、手前が二の關。川口自然公園にて、うん十萬圓といつても自作のやうですが、それでもすばらしい釣竿を見せていただいてゐるところと、いはゆる長い釣竿を振り回すのではない、地味のやうだけれども熱く燃えるやうな闘志がうかがへる靜かな釣りの樣子。最後は、浦和のサイゼリアにて乾杯!

 



 

 

十月廿二日(火)舊九月廿四日(壬辰 雨 

今日は休息日にしたが、肌寒い雨。そこで、昨日訪ねた見沼代用水と通船堀について、ぼく自身が納得いくやうにまとめてみた。 

 

そもそも、見沼田圃(さいたま市緑區・東浦和付近)とは、徳川八代將軍徳川吉宗が幕府財政再建の爲に米の増産を圖り、その爲に、太古は江戸湾が入り込んでをり、のち沼澤地(溜池)となつてゐたところを干拓して新田開發を行つた場所である。 

ところが、もともとその沼澤地の水を使つてゐた下流域の村々と新田のためにも、新たに水を供給する必要が生じ、そのために利根川から水路が開削されたのが、見沼に代はる用水としての代用水路であり、あはせて掘られた芝川とともに、新たに生まれた水田の灌漑に用ゐられた。 

また、この用水路は、利根川と荒川の中間あたりを流れてをり、年貢米などを江戸に運ぶ水路としても有用であつた。工事は一七二七年八月から翌年二月にかけて、六ヶ月という短期間で完成、利根川からのその長さは六〇キロにも及ぶ。 

問題は、北から南に流れる三本の用水路(西から、見沼代用水西縁〈にしべり〉用水路・芝川・見沼代用水東縁〈ひがしべり〉用水路)のうち、西縁・東縁用水路と芝川には三メートルの高低差があり、相互に行き來ができなかつたことである。 

そこで、代用水路が完成した三年後、西縁用水路・芝川・東縁用水路の間に、八丁堤(もともとの溜池のダム)にそつて通船堀(つうせんぼり)を掘つた際、西縁・東縁用水路と芝川の間の高低差を克服するために作られたのが、木造閘門式(こうもんしき)運河であつた。西縁通船堀と東縁通船堀にそれぞれ二つの水門を作り、水の高さを調節して舟を通す仕組みになつてゐる、パナマ運河でおなじみの仕組みで、パナマ運河より一八〇年も前に作られたといふのだから驚きである(下圖參照)。

 

 

さらに、利根川から見沼に用水路を通すにあたつて、驚くべき土木工事が行はれてゐたことを知つた。柴山伏越(しばやまふせこし)と瓦葺掛渡井(かわらぶきかけとい)といふ工法である。 

伏越とは、川の下に水路を作り横断させる施設のこと。見沼代用水と元荒川が交差する白岡市と蓮田市の境の柴山にあり、元荒川の下を見沼代用水路がくぐつてゐる。 

掛渡井とは、川の上に水路を作り横斷させる施設のこと。見沼代用水と綾瀬川が交差する蓮田市と上尾市の境の瓦葺にあり、綾瀨川の上を見沼代用水路が通つてゐた(ただ、現在は伏越に變へられてゐるさうである)。 

この二か所も訪ねたいと思ふが、とくに瓦葺といふ綾瀨川との交差場所は、この見沼代用水が東縁と西縁に分かれる分流地點なので、ことさら自分の目で確かめたい。

とすれば、利根川からの取水口と、見沼代用水西縁と芝川と見沼代用水東縁のそれぞれの下流域も確かめてみたいものだ。 

さうしたら、このやうな土木技術の積み重ねがあつてこそ、明治大正年間に荒川放水路が掘削されたのだなあと思ひがおよんだ。 

ちなみに、見沼田圃は、現在は場所によつて再び溜池(調節池)にもどされ、みちくさ通路沿ひにも廣がつてをり、野鳥が飛び交ふのが見られた。 

 

今日はまた、先日から讀みはじめた、高嶋哲夫著 『熱砂』(文春文庫) 讀了。まるで映畫を見てゐるやうだつたけれども、世界の現實はこんなものなのだらうなあと思はせられた。世界は、といふか地球には未來はないやうな氣がした。 

 

十月廿三日(水)舊九月廿五日(癸巳 晴 

今日は久しぶりに晴れたので、午前中は木工。お箸二膳を仕上げる。 

午後は、柏に行き、晝食は例の担担麺。いやあ、しばらくぶりだつたので、ことさら美味しく食べることができた。それから太平書林を訪ねて、山田風太郎賞受賞作といふ 『罪の声』 と 『御開帳綺譚』。さらに、南柏駅前で開催中の古本市では、『地図を探検する』 といふすべて文庫本の三册を求めた。まあたいした掘出し物ではなかつた。 

歸りは、金町驛で下車し、中央圖書館を訪ねた。だが、讀みたいと思つてゐた 『海も暮れきる』 はなかつた。けれども、七〇〇〇歩歩いたので、いい散歩になつた。

 

*柏にある古書店と、金町中央圖書館入口

 


 

 

十月廿四日(木)舊九月廿六日(甲午・霜降 曇天 

今日も外出。散歩がてら、前々から氣になつてゐた、吉村昭記念文学館を訪ねた。町屋驛から歩いて一〇分ほどだらうか、「ゆいの森あらかわ」なんていふわけのわからん圖書館のなかに併設されてゐて、實にみごたへがあつた。規模としては、淺草の池波正太郎記念館より二倍、いや三倍もあるかも知れない。 

展示も凝つてゐて、吉村昭の人生の歩みのなかから作品が生み出されてきたその必然的な經緯がよくわかるやうになつてゐる。それだけでぼくなどを圧倒されてしまつた。とくに、「孤高の俳人・尾崎放哉の悲劇の生涯を描いた」 『海も暮れきる』 は是非讀みたいと思つた 

歸りは、都電ゆいの森あらかわ驛から三ノ輪橋驛まで乘り、日比谷線に乘り換へて上野に出、東博を訪ねた。本館を通り抜けたところにある、座り心地のいい椅子で讀書と晝寢をしてきた。今日は、七五〇〇歩だつた。

 

玄侑宗久著 『御開帳綺譚』 讀了。むずかしいといふより、ひねり過ぎてゐて、面白くは讀めなかつた。ただ、人間の記憶について、「永いこと放置してあった膨大なメモリーが適正化されていくような清々しさを感じていた」なんていふところはわかるやうな氣がする。 

 

*吉村昭記念文学館入口と、吉村昭の書齋。椅子に座つてみたが、創作意欲がわきあがるまでには時間がかかりさうだつた。

 


 

 

十月廿五日(金)舊九月廿七日(乙未 雨、日中風雨強し 

大雨の豫報なので、今日から始まる、「神田古本まつり」にいくことは斷念し、終日讀書。 

まづ、『さらしな日記』 「四章 物詣での記」 は、願つたおかげで錯簡もなく、「五章 晩年の記」 にたどりついた。 

それで、先日求めた、山田風太郎賞受賞作といふ、塩田武士著 『罪の声』 を讀みはじめる。 

また、「毛倉野日記(16)」(1995年7月)分を寫し終へ、お送りした。 

 

 

十月一日~廿五日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

十月二日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第四十五・四十六』 

十月二日 『法然上人絵伝 第四十七~四十八』 (岩波文庫) 

十月六日 阿満利麿著 『法然の衝撃』 (ちくま学芸文庫) 

十月九日 岩下俊作著 『無法松の一生』 (角川文庫) 

十月十七日 志村有弘著 『のたれ死にでもよいではないか』 (新典社新書) 

十月十八日 飯嶋和一著 『狗賓童子の島』 (小学館) 

十月廿二日 高嶋哲夫著 『熱砂』 (文春文庫) 

十月廿四日 玄侑宗久著 『御開帳綺譚』 (文春文庫)