十月十六日(水)舊九月十八日(丙戌 曇天、寒くなる 

やる氣が出たので書齋の本をかたづけはじめた。思ひ切り、もう讀まないであらう、そして讀めないだらう本を峻別しつつ、かごに入れて書庫に運べるやうにした。それと、寢室のベッドを取り圍む和本を、これも分別しながらかごに入れ、書齋のとなりの部屋に移した。だが、まだまだ濟んだわけではない! こつちのものをあつちに移動しただけで、整理がつくにはまだ時間がかかりさうだ。

 

その作業中、オリンピックからベルトが屆いたといふ連絡があつたので、買物に行く妻に取つてきてもらつた。だが、天氣がぐづつてゐて、箸作りには難がある。 

 

旅友の森さんから電話があり、日野さんが十五日に亡くなられたといふ。死因は胃ガンで享年八十一歳であつた。

 

*今日の切り抜き ─ ぼくの言ひたいことをずばりと書いてゐてゐたので注目。「防衛省を防災省に」はいいな! それと「災害支援に特化させた国際貢献」もいい考へだ。 

 

十月十七日(木)舊九月十九日(丁亥 曇天のち雨 

曇天だつたが、午前中に木工、ベルトグラインダーに新しいベルトを装着して起動。先日作りかけた一膳の他に二膳仕上げることができた。

 

それから外出、近ごろ歩いてゐなかつたので、晝昼食を食べがてら神保町に行く。すると途中で雨が降りだし、ゆつくり古本探訪といふわけにはいかず、三省堂書店の古書館でつぎの二册を見出したのみ。 

山田風太郎著 『昭和前期の青春』(ちくま文庫) と梅原猛著 『親鸞の告白』(小学館文庫) である。 

まあ、いい散歩になつたのであるが、今日は、携帶用に、志村有弘著 『のたれ死にでもよいではないか』 [新典社新書] を持つて出歩き、ついに讀み通してしまつた。とりあげられてゐる六人のうち、知つてゐるのは山頭火だけだつたが、みなそれぞれ他人ごととは思へず、ついつい引き込まれた。たしかに、「人間の一生は、いかに死ぬかということとの戦いともいえる」なんて、まあ、今のぼくの状態だからだらうが、身につまされた。

 

*『のたれ死にでもよいではないか』 の内容紹介・・・知られざる作家たちの生と死――大泉黒石・森清秋・永見徳太郎・種田山頭火・藤澤清造・松原敏夫――評価されないまま、世間に埋もれ死んでいった六人の作家たちがのこしたことば、ドラマチックな人生をその強烈な人間性・作品に魅せられた著者が鮮やかに描き出す。 

 

十月十八日(金)舊九月廿日(戊子 曇天のち雨 

午前中に箸作り續行と思つたら、工房の電氣が停まつてゐて、電力會社に連絡して通してもらふのに時間がかかつた。かうして、なかなか作業がはかどらない。 

 

飯嶋和一著 『狗賓童子の島』 讀了。もうどうしようもなく胸がどきどきはらはらの連續だつた。「執筆四年、推敲二年、磨き上げられた千二百枚! 本物の歴史小説の凄味と醍醐味を、ぜひとも味わってください!!」、といふ宣傳文句に僞りなし。 

本書で敎へられたことは、「世間は 『御一新』 などともてはやしていたが、やはり何ひとつ変わっていなかった」、といふそのことことである。「『おかみ』のやることは、政権が変わっても結局のところ何も変わらない。新政府も、旧幕府も、民から搾り取るだけで同じことだった」。新政府が、かの有名無實でしかもすぐに取り消された 「年貢半減令」 を出してゐたことにもより、期待してゐただけに、遊蕩にふける松江藩の陣屋を占拠してみたものの、「新政府の最高官庁である太政官は、旧態のまま松江藩に(隠岐・島後)の支配を任せ、陣屋を占拠した 『土民ども』 の取り調べと処罰を命じた。あくまでもその太政官令を根拠として、松江藩士藩兵は無抵抗の者たちを銃撃し、砲撃し、一方的に殺傷して陣屋の奪還を果たした。これが新政府の素顔だつた」。 

これだけだと、陣屋を占拠した島民が問題のやうにみえるが、それまで耐へに耐へ、我慢に我慢を積み重ね、餓死寸前にまで追ひやられた島民の苦しみを理解しなくてはならない。しかも、陣屋の占拠は役人たちを船に乗せて追ひ出しただけで、けがを負はせたわけではなかつた。それが裏切られた失望と怒りはどれほどであつたらう。さいごに、隠岐島後の醫師・長谷川貫一郎が陣屋に攻め入るにあたつた眞情をを記しておきたい。 

「彼は、これまでも、病人があれば山間の奥地まで往診を厭わず、困窮する者の治療のために駆けずり回ってきた。病の根源は、松江藩の苛政による民の窮乏にあり、骨をきしませて働く者が飢えて病み、ただ貢税を徴収する陣屋役人が豪奢な暮らしを享受していることに我慢がならなかった。『こんな世は間違っている』 という義憤が彼を突き動かしていた」。 

 

十月十九日(土)舊九月廿一日(己丑 曇天 

『さらしな日記』 繼讀。中ほどはとくに錯簡が多く、前後行つたりきたりで手こずつた。やつと 「四章 物詣での記」 にたどりついたので、これ以上錯簡がないことを願ふ。 

 

十月廿日(日)舊九月廿二日(庚寅 曇天一時日差し 

午前中に箸作り、二膳仕上げる。

 

朝刊によると、高木護さんが十六日に亡くなられたといふ。九十二歳。濵岡にゐる頃からぼくの愛讀書であつた。『木賃宿に雨が降る』、『あきらめ考―楽に生きる』、『野垂れ死考』、『人間は何を残せるか』 とか。さうだもういちど讀んでみようと、探してみたが、『人間は何を残せるか』(恒文社) と 『辻潤 「個」に生きる』(たいまつ社) しか見當らなかつた。 

 

さんちやんからのメールをまた記録しておきたい。ぼくが、「憲法を變へて外敵に備へる軍備が必要といふのなら、自然の驚異にたいしても防衛策をこうじろと言ひたい!」 とメールした返信である。 

「いや、その通りです。最近この南伊豆の空をあのオスプレイが我が物顔で飛んでいます。かなりの低空飛行ですよ。軍事費からドンと防災にあてれば、確かな対策ができますね。まったく。。。では。」 

 

*ふところでねるグレイ 

 


 

 

十月一日~廿日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

十月二日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第四十五・四十六』 

十月二日 『法然上人絵伝 第四十七~四十八』 (岩波文庫) 

十月六日 阿満利麿著 『法然の衝撃』 (ちくま学芸文庫) 

十月九日 岩下俊作著 『無法松の一生』 (角川文庫) 

十月十七日 志村有弘著 『のたれ死にでもよいではないか』 (新典社新書) 

十月十八日 飯嶋和一著 『狗賓童子の島』 (小学館)