七月廿六日(金)舊六月廿四日(甲子 晴 

朝、窓をあけたら眞つ靑な空! いきなり夏空の登場、にしては遅すぎやしませんか、と思ひましたが、とにかくなんだか感謝したい氣持ちになりました。

 

昨日は、副作用をもたらすと思ふ藥をやめたら、だいぶ氣分もよくなり、外出もできました。けれど、今日はその藥を飲んで、はたしてさうなのか實驗してみましたら、一昨日のやうな苦しさはなく、どうにか讀書と子ネコのお相手ができました。やはり氣壓のせいだつたのでせう。ちなみに、今朝は一〇一五ミリバール、ではないへストパスカル。高くもなく低くもない氣壓のやうです。せめてこのまま推移してほしいです。 

 

『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第廿七・廿八』 讀了。「法然には三十一通の手紙が残っているが、その内の十五通までは東国の弟子や帰依者に宛てて書いたものである。その内訳は、二位の禅尼つまり北条政子宛が二通、津戸三郎為守宛が九通、大胡太郎実秀宛が一通、大胡太郎の妻宛が一通、熊谷次郎直実宛が二通である」(梅原猛著『法然 十五歳の闇(下)』による)とある、その中の、二人、熊谷次郎直實と津戸三郎爲守の求道とその往生について、この第廿七卷と廿八卷は記してゐます。二人とも、武士であることを拭ひ去ることはできずに、まるで戰場にゐるかのやうな壮絶な往生をとげるのでありますが、すさまじいものがありますです。はい。 

 

また、小田垣雅也先生の 『友あり―二重性の神学をめぐって』 を讀みつづける。讀んでゐると、なんだか心がとろけてくるのはどうしたことだらうか。さうですねえと先生の前で頭を縱にふりふり耳をかたむけてゐる、そんな親しみといふか、ゆつくりとのんびりと先輩に諭されてゐるやうな氣分になる。久しぶりです。 

 

七月廿七日(土)舊六月廿五日(乙丑 晴 

今朝のへストパスカルは一〇一六・五でした。臺風が近づいてゐるといふのに高くなるとはどういふことなのだらう? だからといふわけではありませんが、空も靑く、出かけるにはいい日かと思ひ、古書展カレンダーを見たら、なんと、神保町と高圓寺と五反田の三か所の古書會館がすべて古書展開催中。で、いつもながらのコースをたどつてすべて回つてきました。 

けれども、やはり氣力が衰へてきてゐるのでせう、何となくどの本も色あせて見えてしまひ、手に取るまでいたりません。これから新しい分野に入る氣にもなりませんので、今讀みたいものだけにしぼることにしました。それも文庫本と新書本。まあ、自分でも笑つてしまひますが、次の面々です。 

赤岩榮著『神を探ねて』(アテネ文庫)。佐藤春夫『都會の憂鬱』と吉田絃二郎著『生命の河』はぼくお氣に入りの舊版の角川文庫。嵐山光三郎著『「下り坂」繁盛記』と渡辺利夫著『放哉と山頭火 死を生きる』はちくま文庫。そして、つい手に取つてしまつたのが、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川oneテーマ21)といふ、なんともぶつさうな題名の新書本です。それも書いてゐるのは右左(みぎひだり)の八人。最初の、保坂正康さんの、「軍事衝突が実現化すればどうなるか」を讀み齧つたら實に明快なので求めてしまひました。 

赤岩榮は、『友あり』によると、小田垣先生は赤岩榮から直に敎へを受けてをられるのですね。はじめて知りました。それで求めてみました。 

 

七月廿八日(日)舊六月廿六日(丙寅 朝雨、日中晴、暑い 

昨夜、小田垣雅也著 『友あり―二重性の神学をめぐって』 讀了。けつこう難しい議論もあり、ちよいとでない、だいぶ頭腦の體操になりました。が、先生が猫を飼つてゐたといふことを本書によつてはじめて知りました。その一八年間飼つてゐた猫が死ぬ樣子を記してゐるところなんか、人ごととは思へず。それで、笑つてはいけませんが、先生、その猫を佛敎のお寺で火葬をし、お經をあげていただいたさうで、その言ひ分けといふか、屁理屈と言つては先生に失禮ですが、「これは佛敎とキリスト教の問題になるが」、とおつしやつて、あれこれ汗をかいてをられる樣子が目の前にちらついて、より親近感がわきました。

 

それと、本書でとくに多くページをさいてゐるのが、「老い」のことです。「老いとは、一人ひとりの人間にとつて、まったく新しい、初めての経験である」、と言ひ、「新しい生活ということは、本来は、好奇心を満足させる、楽しいものであるべきはずのもの」が、「その先には死がある。死はまったく未知の世界なので、それは不安で、不気味だ」。つまり、日々新たなる生活でありながら不氣味で不安なのが老いを生きるといふことなのだと先生はおつしやる。つまり、かつてはやつた實存主義の用語を用ゐれば、まさにそれは「単独者」とか「例外者」といつた意味の生き方を問はれてゐるのが老いなのだといふあたり、ぼくは深く納得してしまひました。むろん、「青春時代の孤独といったものではない。老いには隣接して、死がある。それが人間といふものだろう」と、その寂寥感を受け入れていくしかないのかも知れませんが、ぼくは、にもかかはらず、逝くそのときまで、「好奇心を満足させる、楽し」く、美味しいものが食べられる日々を送りたいと思ひました。 

しかし、自分のことを振り返れば、七十二歳といふのは、周圍を見渡すとまだ老いる段階ではない氣もします。いくら足腰が丈夫でも、ぼくの場合は持病がありますから、自分の體調を絶えず意識しての生活は、ときには息苦しくなります。そこをどのやうに切り抜けていけるのかが課題でせう。 

 

保坂正康他七人著 『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』 讀了。ふ~む、そうかそうかと、いはゆる「左」ばかりではなく、「右」からの意見にもうなづくことが多い一册でした。現政權によつて、日本はだいぶ危ふいところにすでに來てゐるやうです! 

つづいて、小田垣先生の著書のなかに何度も登場された井上洋治神父が書かれた、『法然 イエスの面影をしのばせる人』(筑摩書房) を讀みはじめる。 

 

現在、甲府市塩山にゐるマキさんから、採りたての桃が送られてきました。ありがたいことです。今年は雹が降つたとかで不作だつたやうです。それでも忘れないで屆けてくださつた舊友に感謝! 

 

七月廿九日(月)舊六月廿七日(丁卯 晴のちくもり 

今日は外出。散歩といふほど歩いたわけではありません。それでも三〇〇〇歩。上野公園といふか、上野の山をめぐり歩いたていどです。月曜日だと言ふのに人が大勢出てゐました。ぼくはお晝をいただいた後、木蔭でしばらく讀書。森を抜けてくる風がなんともさわやかでした。京成上野驛をスタート、また上野驛から始發電車に乘れるので快適です。

 

井上洋治著 『法然 イエスの面影をしのばせる人』 讀了。讀みはじめてしばらくしたら、井上神父が法然にほれ込んだ理由がわかりました。うかつにも、ぼくがプロテスタントなるがゆゑに見過ごしてゐた視點でした。それは、カトリックにおいては、現在ではだいぶ緩和されたのではないかと推察しますが、プロテスタントと比較できないほど戒律が嚴しいといふことです。 

神父自身が、敎會にきた人に、「あなたは今の状態では神の祭壇には近づくことはできません」と、門を閉ざし、そのたびに「私は真の福音のよろこびを自分のものとすることができなかつたのである」といふ、苦惱を味はつてきたからなのです。ぼくには、このやうな經驗はありません。直接イエスの敎へに從つて、どのやうな人々にも接することができたし、敎會に招くことができたからです。プロテスタントの敎會に戒律があるとは聞いたことがありません。 

ぼくの恩師、中山牧師からして、上野の地下道や山谷で、「キリストはきみたちのために來られたのだ」と宣言することができた人でした。たしかに、勉強もでき、聖書もよく理解し、神を信じて正しい生活ができる人でなくては救はれないとなつたら、それは何のための福音なのでせうか。しかし、カトリックでは、敎會の掟を守らない人、産児制限をした人、さまざまな理由で離婚しなければならなかつた人、そのやうな人たちにカトリック敎會は門戸を閉ざし、それゆえに井上神父は、法然と同じやうに、みずからが苦惱を負はざるを得なかつたのでありました。

 

法然さんのどこが偉いか。それはひとことで、當時の國家佛敎・朝廷佛敎において、「救いの道をとざされていた人たちにただ一筋の南無阿弥陀仏によって救いの道を開き、国家権力、朝廷権力にこびることもなく、ついに最後まで無位無冠、墨染の衣一枚で生きぬいた生涯であった」といふことです。 

つまり、「法然にとって一番重要な課題は、新しい宗派をたてるということなどよりも、闇の中で苦悩している凡夫をいかにしてその苦悩から解き放ち、浄土往生へと導くかということだけだったにちがいないのである。・・・同じことはイエスについてもいえる。いわばイエスにとってもっとも大切なことは、この重い人生を、苦しみと哀しみを背負ってとぼとぼと歩んでいる人たちをその闇の世界から解放し、神の国へ、光の国へと救いあげることだつたのである」。 

イエスの宣言が、「モーセの律法、ひいては『旧約聖書』の権威そのものの否定につながり、ユダヤ敎指導者層たちからの迫害、ひいては十字架上の死を覚悟しても、イエスはこの姿勢を変えることはなかった」。 

法然もまた、南都北嶺の迫害に抗して、といふよりも黙々と、みずから發見した「専修念佛による弥陀の救い」の敎へを捨てることなく廣め、それ故に流罪に處せられ、かつ死後その墓地まで荒らされさうになつたことは、ここ數か月にわたる法然さんの傳記その他によつて學んできたところでした。 

井上洋治神父がカトリックであるがゆえに説かれた法然さんの生涯、ぼくの胸にも染み入るものがありました。 

 

「毛倉野日記(八)」(一九九四年十一月) を寫し終へ、ご希望の方々にお送りする。今回は「おまけ付き」です。以下はその文面。木工の材料を大事に保管してゐましたが、もはやこれまで、と言つた感じです。形見分けではありませんが・・・。求められれば手ほどきしてあげてもいいと思つてゐますが、まあ、ご無理でございませう。

 

おまけ・・・寫眞は、木工具とともに仕舞ひ込まれてゐた、未完成の作品および、切り抜いたままの材です。そらまめ、なまず、イルカ等、および箸の材料の燻竹(二一、二二,二三、二四㎝)です。尚、寫眞はほんの一部です。 

もはや仕上げることができさうにもありませんので、これらを、お望みの方にはさしあげたいと思ひます。よろしければ、金ヤスリやペーパー(紙ヤスリ)なども少々ですが提供します。ただ、小刀は自分でそろへたはうがいいかも知れません。「けがとべんとうは自分持ち」ですので、その點をよくお考へくださいませ。 

 


 

 

七月卅日(火)舊六月廿八日(戊辰 晴、暑い 

今日は暑かつた。散歩と晝食をかねてちよいと外出しましたけれど、汗がふき出してきました。でも、短時間でしたけれどいい汗をかくことがたし、氣持ちはよかつた。 

このところ、氣壓は一〇一六から一〇一七へストパスカルを推移。高くもなく低くもなくといつたところなのでせう、體調のはうはどうにか順調です。 

 

「毛倉野日記(八)」をお送りしたところ、何人かの方から反應がありました。「一九九四年一一月といえば僕が意を決してインドへはじめての一人旅へ出発した時です」とか、「随分と結婚式が多かった様ですね。この頃は、まだバブル経済だったのでしょう」とか、「おまけのことですが、私は手仕事の才能がまるでないので、残念です。じい様は大工を家業としており、親父もそこそこ器用なのですが、私には伝わりませんでした」とか、ご自分を振り返つて下さる方がをられました。 

ぼくの「毛倉野日記」には、その時代の出來事や事件をほとんど記してをりませんので、ご自分の行状を振り返るよすがにならないかと思ふのですが、それでもかうして自分自身の人生を回顧される方がをられて、これ以上の喜びはありません。 

また、父母が社交ダンスをしてゐたことに注目されたり、なかには、「ガウンのハンガー談が特に楽しかった」なんて書いてこられると、それでなくてもひやひやしてしまひます。 

このやうに無斷で引用させていただいた方々には、失禮のお詫びに、優先して作品をさしあげることにしませう。もちろん、仕上げた作品をですからご安心を。 

 

七月卅一日(水)舊六月廿九日(己巳 晴、暑い 

卵かけごはん、今朝もいただきました。あのとき以來タラコは出ませんが、みか先生に知られたら、「いけませんよ!」 と叱られたかも知れません。卵をかけると言つただけで、お醤油は少なめに、海苔や佃煮は鹽分が強いからほどほどにと釘を刺されたくらゐですからね。でも、朝のご飯のおかげか、底力が出てきた感じです。 

それで、昨日から、讀みかけだつた山岡荘八さんの 『水戸光圀』 を讀みはじめ、冷房をつけた書齋で一日中讀書。時々三匹の寢顔をながめては悦に入つてます。 

さう言へば、グレイが來たのは七月一日でしたから、ちやうどひと月になります。どうにか三匹なかよく過ごせるやうになつてホッとしてゐます。萬々歳です。 

 

*拾はれてきた日と、現在のグレイ 

 


 

 

 七月一日~卅一日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

七月二日 寺内大吉著 『念佛ひじり三国志(五) 法然をめぐる人々』 (毎日新聞社) 

七月五日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第廿五・廿六』 

七月六日 〈このついで〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

七月七日 寺島恒世著 『百人一首に絵はあったか 定家が目指した秀歌撰 (ブックレット“書物をひらく”⑯) 』 (平凡社)  

七月十一日 瀬戸内寂聴著 『「源氏物語」を旅しよう―古典を歩く』 (講談社文庫

七月十四日 諸田玲子著 『王朝小遊記』 (文春文庫

七月十四日 森詠著 『風の剣士 剣客相談人16』 (二見時代小説文庫) 

七月十六日 森詠著 『刺客見習い 剣客相談人17』 (二見時代小説文庫) 

七月十七日 森詠著 『秘剣 虎の尾 剣客相談人18』 (二見時代小説文庫) 

七月十九日 〈蟲めづる姫君〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

七月十九日 森詠著 『暗闇剣 白鷺 剣客相談人19』 (二見時代小説文庫) 

七月廿日 〈ほとほとのけさう〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

七月廿一日 森詠著 『恩讐街道 剣客相談人20』 (二見時代小説文庫) 

七月廿一日 森詠著 『陽炎剣秘録 剣客相談人22』 (二見時代小説文庫) 

七月廿四日 森詠著 『月影に消ゆ 剣客相談人21』 (二見時代小説文庫) 

七月廿五日 森詠著 『雪の別れ 剣客相談人23』 (二見時代小説文庫) 

七月廿六日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第廿七・廿八』 

七月廿七日 小田垣雅也著 『友あり―二重性の神学をめぐって』 (日本出版制作センター) 

七月廿八日 保坂正康他七人著 『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』 (角川oneテーマ21) 

七月廿九日 井上洋治著 『法然 イエスの面影をしのばせる人』 (筑摩書房) 

七月卅一日 山岡荘八著 『水戸光圀』 (山岡荘八歴史文庫 講談社)