七月廿一日(日)舊六月十九日(己未 曇天 

森詠著 『恩讐街道 剣客相談人20』 を讀了。そして次に進んだところ、しばらくしてからそれが22であることに氣づきました。が、まあつづきものではなささうなので、引き續いて讀むことにしました。 

 

モモタとココとグレイがいつしよに暮らせるやうになつてきました。ぼくも食事のやりかたがわかつてきました。ですが、夕方のこと、珍しくココがぼくの左胸にしがみついたまま、なかなか離れないのです。今までも一日に一、二回やつてくればいいはうですが、今日はなにか切迫さを感じたので、いつもより念入り愛撫してあげました。なでなでしたり指壓したり、頭と首筋とのどもとをやさしくさすつてあげたりして、ココの氣持ちにこたへてあげました。きつと、のけ者にされないまでも愛されてはゐないのではないかと不安を感じたのではないでせうか。普段の二倍三倍の時間と手間をかけてやさしく受け入れてあげました。 

もとノラだつたココ、人に飼はれてゐたモモタと違ひ、ずつと繊細といふか敏感なのだらうと思ひます。ネコですらかうですから、人間なら一層でせう。愛されてゐる安心なくして人もネコもイヌも生きられないのであります。 

 

七月廿二日(月)舊六月廿日(庚申 曇天夕方小雨 

昨夜は讀書で夜更ししたのに、今朝も早起き。グレイを書齋に迎へてからといふもの、どういふわけか朝はやく目が覺めてしまふ。 

讀み終つたのは、森詠著 『陽炎剣秘録 剣客相談人22』。つづけて、21を讀みはじめる。

 

「毛倉野日記(六)」 を寫してゐたら、小田垣先生と宮島先生と三人で澁谷で飲んだなんてあつたものだから、ちよいとネットで、以前はなかつた小田垣先生の遺書ともいふべき本を檢索したら、一册出てゐたので、即座に注文してしまひました。『友あり―二重性の神学をめぐって』 といふ、先生を介護する奥様がまとめたといつてもいい本のやうなのですが、なにしろ手に取つてみなければわかりません。樂しみに待ちたいと思ひます。 

それで、「毛倉野日記(六)」(一九九四年九月)が寫し終へたので、夜中になつてしまつたけれど、お送りする。 

 

七月廿三日(火)舊六月廿一日(辛酉・大暑 朝出がけに雨、のちやむ。 

今日は慈惠大病院に定例の通院。みか先生に、まづ、體調の惡さは氣壓のせいかといふこと、BNPのこと、朝の卵かけご飯のこと、水分攝取量のこと、そして胸の痛みのことをお聞きし、一應の納得を得ました。が、それで解決したわけではないからめんどうです。ですから、いざ苦しくなつたりした場合、病院に連絡すればすぐに對處していただけることをお聞きして少し安心しました。まあ、いざといふ時がくることを覺悟しつつ、だましだまし生きていくしかありません。くやしいので、ての字のうな重の上を食べて歸つてきました。美味しく食べられてよかつた。

 

グレイが來てから、考へたら、今までになくモモタとココに愛情をそそいでゐます。グレイは好奇心いつぱい。かつてのココがさうだつたやうに、部屋中を飛び回つてゐます。迷惑さうなのがお兄さんお姉さんのモモタとココです。少しは報いてあげなければ。 

 

今朝の東京新聞の切り抜きです。あまりの理不盡さに思はず腰をぬかしてしまひました。制度だから仕方ないのか、こんな制度がどうして作られたのか。陰でほくそ笑んでゐるのは誰なのかをつきとめてほしい! そもそも他の新聞ではこのことをどのやうに報じてゐるのでせうか。テレビのニュースやワイドショーで取り上げてゐるところを見た記憶がありません。どう考へても、「吉本騒動をどう考へる?」よりより考へるべきでせうにね。どなたか調べていただきたい。ぼくはすでにあとは野となれ山となれの氣分ですが、悔いを殘したまま逝くのも心苦しい。これから長く生きる方には關心を向けてほしいです。 

 

*東京新聞切り抜きと、ココが我が家に來た日。モモタは、その顔に似合はず、やさしくココを迎へてあげました。

 


 

七月廿四日(水)舊六月廿二日(壬戌 晴時々雨 

藥の副作用なのか、それとも氣壓のためなのか? どちらのせいにせよ、胸苦しさとだるさで、終日不快にすごす。 

それでも、「毛倉野日記(七)」(一九九四年十月) を寫しつづける。 

森詠著 『月影に消ゆ 剣客相談人21』 讀了。あと23を殘すのみ。 

アマゾンに注文した、小田垣雅也著 『友あり―二重性の神学をめぐって』 が屆きました。やはり、先生の奥様の多大なる努力によつて出版にいたつたことがわかりました。 

 

七月廿五日(木)舊六月廿三日(癸亥・下弦 晴、といつてもうす曇り 

朝、また早めに目が覺めてしまつたので、昨日おそくまで書き寫した 「毛倉野日記(七)」(一九九四年十月) を仕上げ、今回は十二人の友人にお送りする。

 

それから、妻が探して選び、伊東屋に直に問ひ合はせたら在庫があることを確認したので、ぼくが妻に代はつて銀座伊東屋に受け取りに行きました。ドイツのバリゴ社製の氣壓計をです。氣壓によつて體調がどのやうに變化するのか、やはりいい計器で確認したいからですが、それにしても高價でした! 

銀座に行くついでに、その前に久しぶりに、いや七月になつてはじめて神保町に足を運び、まづ、はちまきで天丼をいただいてから、古書店街を歩き、以下の二册を買ひ求めました。 

小川剛生編 『百人一首宗祇抄:姉小路基綱筆』 (三弥井書店)、人間文化研究機構国文学研究資料館編 『古典籍研究ガイダンス―王朝文学をよむために』 (笠間書院)

 

本の整理について妻と相談したら、學生のアルバイトを賴むより、専門の運送業の方にお願ひしたらいいといふことになりました。部屋から部屋へ移動するだけだけれども、かご一杯の本を相當數、外階段もあることだし、ケガをされてもこまるし、ただどこに賴むかが問題です。それと、處分する場合も取りに來てくれる本屋に賴まうといふことになりました。

 

森詠著 『雪の別れ 剣客相談人23』 讀了。これで劍客相談人シリーズ完結。まあ、感じのいい終り方でした。 

つづいて、小田垣雅也先生の 『友あり―二重性の神学をめぐって』 を讀みはじめる。久しぶりに小田垣先生の肉聲を聞くやうな話しぶりといふか書き方に、安らぎを覺える。目次からして、「人間について」、「宗敎について」、「芸術について」、「老いについて」と題された章が示すやうに、「説教をもとにした随筆集」とはいへ、決して生きてゐる人間の現實や關心からはなれないのも特徴です。 

難しいことをやさしく、先生の知性と肉體で濾過されたとしか言へないやうな調子の話のはこび方には、うまいなあと感心するやら、あらためて、信仰とはどういふことか、どう生きることかをすんなりと敎へてくれる。まさにこれは先生の遺書なのだらう、さう思ひながら語られる言葉をかみしめてゐます。 

 

 

 

七月一日~卅一日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

七月二日 寺内大吉著 『念佛ひじり三国志(五) 法然をめぐる人々』 (毎日新聞社) 

七月五日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第廿五・廿六』 

七月六日 〈このついで〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

七月七日 寺島恒世著 『百人一首に絵はあったか 定家が目指した秀歌撰 (ブックレット“書物をひらく”⑯) 』 (平凡社)  

七月十一日 瀬戸内寂聴著 『「源氏物語」を旅しよう―古典を歩く』 (講談社文庫

七月十四日 諸田玲子著 『王朝小遊記』 (文春文庫

七月十四日 森詠著 『風の剣士 剣客相談人16』 (二見時代小説文庫) 

七月十六日 森詠著 『刺客見習い 剣客相談人17』 (二見時代小説文庫) 

七月十七日 森詠著 『秘剣 虎の尾 剣客相談人18』 (二見時代小説文庫) 

七月十九日 〈蟲めづる姫君〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

七月十九日 森詠著 『暗闇剣 白鷺 剣客相談人19』 (二見時代小説文庫) 

七月廿日 〈ほとほとのけさう〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

七月廿一日 森詠著 『恩讐街道 剣客相談人20』 (二見時代小説文庫) 

七月廿一日 森詠著 『陽炎剣秘録 剣客相談人22』 (二見時代小説文庫) 

七月廿四日 森詠著 『月影に消ゆ 剣客相談人21』 (二見時代小説文庫) 

七月廿五日 森詠著 『雪の別れ 剣客相談人23』 (二見時代小説文庫)