七月十一日(木)舊六月九日(己酉 曇天のち小雨 

今朝も生卵かけごはんをいただきました。たらこはつきませんでしたが、やはり朝のご飯は力を與へてくれます。亡き父と妻がパン好きで、東京にきてからは朝はパン食となつてきました。が、ぼくはのどに通らなくて、いつもコーヒーとクッキーひとかけらでした。たまにはご飯もでましたが、ぼく自身で準備するしかないと思ひいたつたのであります。 

でなければ、一日中子ネコの相手などできません。三日坊主にならないやうにしたいと思ひます。

 

今日も、グレイとモモタ、ココとのお見合ひ、午前中二時間、午後三時間ほど。もう心配ないだらうと思ふのですが、ぼくがゐなくても大丈夫なのかどうか。それと食事は別のフードをあげなければならないとか、まだクリヤしなければならないことが殘つてゐます。 

今日とくに嬉しかつたのは、ひざにモモタ、左手にココが抱きつき、グレイがぼくの胸にいだかれてみな安心しきつたやうな顔をした寫眞が撮れたことです。グレイをネコ部屋に返したあとは、モモタとココをいつもよりも優しく抱きしめて、滿足させてあげたことは言ふまでもありません。お二人さん、グレイに引き掻き回されてだいぶお疲れのやうであります。 

 

昨夜、妻が圖書館から借りてきたといふ 『「手をもむ」だけで病気が治る! 脳が若返る! 』 といふ本を見せられ、ためしに心臟にいいとされる中指の腹の部分をつまんでみたら、針を刺したやうな痛みがはしり、これは効くかなと思ひました。もむといふのは、指先でつまむことで、指壓とはまつたく違ひます。いつでもどこでもできますから、つづけてみたいと思ひます。 

 

瀬戸内寂聴著 『「源氏物語」を旅しよう―古典を歩く〈4〉』 讀了。ぼく自身がまだ訪ねたことのない土地や場所もありましたが、京都についてはその場所を思ひ出しながらなつかしく讀むことができました。また、その場所ごとに、もちろん 『源氏物語』 は史實ではなく、架空の物語ではありますが、紫式部の生涯や、物語の場面と關連づけながら、ここはどこどこの舞臺だつたなどと解説してくださつてゐるのがとても勉強になりました。『源氏物語』 はまだ途中ですから、復習になつたところもあれば、例へば、宇治上神社などは、「こここそは八の宮の山荘のモデルだったろうとうなずける」と言つたところは、これからのお樂しみであるとともに、いつかは訪ねてみようといふ氣持ちにさせてくれました。 

ちなみに、この本を書いたころに、寂聴さん、「見事な現代語訳を完成させた」のださうです。なまなましく感じたのはそのためかも知れません。 

二〇一七年四月廿七日に讀んだ、『寂聴と磨く「源氏力」 全五十四帖一気読み!』 も勉強になりましたが、こちらのはうが、地圖好きのぼくには魅力が感じられました。 

 

七月十二日(金)舊六月十日(庚戌 小雨のち曇天 

明日は 《源氏物語をよむ》 の講義です。今期の講座の最終回ですから休むわけにはいきませんが、子ネコをみてゐなければならないのではかどりません。でもどうにか、靑表紙本で、〈若紫〉の、「僧都らと惜別」、「源氏、公達らと帰還」、それに「源氏、葵の上と不和」の途中まで讀むことができました。

 

ネコたちを見てゐると、すでにグレイはモモタを自分より上位だとわかつたやうですけれども、ココがグレイにまだ挑んでゐます。ココも自分がグレイより上位だといふことを納得させたいのでせうが、グレイがなかなか降參しないのですね。それだけ氣が強いのだらうけれど、はやく上下關係をはつきりさせて、平穏な日々を築いてほしいと思ひます。それまでは、グレイを、夜にはネコ部屋に戻すしかありません。

 

ネコに注意を向けてゐると讀書に集中できず、ついBSを見てしまひましたが、おかげで、午前中はワイルド・ライフ、午後は、「二時間でまわる厳島」をたいへん興味深く觀ることができました。嚴島神社と宮島をゆつくり見て回りたく思ひました。彌山に登れるだらうか? 

さうだ、先日は、「ETV特集『反骨の考古学者 ROKUJI』」といふ、考古學者の森本六爾(もりもとろくじ)を描いたドキュメンタリー番組を見たのだつた。

 

註・・・「ETV特集」の豫告─弥生研究に生涯をかけた、伝説の考古学者の物語。男の名は森本六爾(1903-36)。アカデミズムに反抗する強烈な人格。真実を求めるせい絶な執念。埋もれていた六爾の野帳ノートが調査され、新事実が続々と浮かび上がっている。大胆で創造的な弥生研究を成し遂げた原動力とは何だったのか? 共に闘った妻・ミツギの存在にも注目。32歳で亡くなった波乱の生涯にドキュメンタリーとドラマで迫る。 

 

*我が家の一男二女と、グレイと『源氏物語』

 


 

七月十三日(木)舊六月二日(壬寅・お盆迎え火 曇天のち小雨 

今日は、今期最後の 《源氏物語をよむ》 の講義でした。體調がいまいちでしたが、どうにか脱落することなくついていくことができました。進み具合は、〈若紫〉の、「僧都らと惜別」、「源氏、公達らと帰還」まででした。次回、九月から始まる秋期講座は、「源氏、葵の上と不和」からといふことになります。

 

子ネコをみてゐなければならないこともありますが、古本市を訪ねる氣持ちになれなくなつてしまひました。まあ、我が書齋とベッドの周り、それに書庫の本の山を見るにつけ、もうぼくの處理能力の限界を感じざるを得なくなりました。在庫のなかから讀みつぶしていきたいと思ひます。で、まづ、どんな本があつたか探索です! 

 

七月十四日(日)舊六月十二日(壬子 小雨のち曇天、肌寒い 

子ネコの世話もあるし、『源氏物語』の講義も一段落、『堤中納言物語』 と、法然さんの 『圓光大師傳』 はぼちぼちと讀み進めることにして、しばらくは氣晴し讀書といきたい。 

さつそく、昨日の外出時に持つて出た、諸田玲子著 『王朝小遊記』 を讀了。「平安京の闇に棲む鬼共の悪行を暴く!」とある通り、はじめのうちは緊張感もあつてとても面白く、期待もしたのだけれど、後半は手を抜いたとしか思はざるを得ない。だいぶがつかりしたそこに、圖書館に注文してゐた、森詠さんの 「剣客相談人シリーズ」 が届いたので、その 『風の剣士 剣客相談人16』 を讀みはじめる。 

また、今朝の東京新聞の讀書欄に、おせいさんの追悼のコーナーがあつて、そこに、『姥ざかり花の旅笠─小田宅子の「東路日記」』 が出てゐました。臺所わきの納戸の文庫本専用の本棚にあるのを取り出して見たら、これも面白さうです。近々に讀んでみたい。 

 

お詫びして訂正いたします。モモタのことです。新參者のグレイを迎へて、直接に合はせてからといふもの、まるで母親のやうに相手をしてゐるのであります。目に餘るやうだと組み据へて、グレイが鳴いてやめてくれといふまで締め付けてこらしめますが、そのほかは、耳をなめられかじられやうとも、尻尾の先をいくらじやれてゐやうとも、動じやうともしません。偉いとほめてあげました。かうして、グレイもどの程度ふざけていいものか、その手加減を學んでいくのでせう。だからぼくもグレイが悲鳴をあげても手出ししないでゐます。 

 

七月十五日(月)舊六月十三日(癸丑 曇天ときどき小雨 

昨夜、森詠著 『風の剣士 剣客相談人16』 讀了。森詠さんのものは、現代ものも時代ものも破綻がなくて安心して讀める。とくに子ども心を描くのがうまい。これも、お仕舞ひのところでは泣けてしまつた。舞臺となつたのが、著者のふるさとだからより力がはいつたのかも知れない。 

また今日は、妻が借りてきてくれたレンタルDVD、クリント・イーストウッド監督・主演の 『運び屋』 を觀た。實話に基づいてゐるといふが、さもありなんとも思ふ。エンヂングで流れた曲の、「まだ 老いを迎へ入れるな」 にはしびれた。

 

グレイを見てゐるとあきない。七月一日に拾はれてきてからまる半月、こころなしか大きくなり、また動作も靜かになつてきました。今日も三匹がそろつてお晝寢。可愛いといつたらありません。

 

 

*疲れるとぼくのふところで休むグレイ、それと、三匹のお昼寢。 グレイの目やにが氣になるので、明日は病院へ行く豫定です