六月十六日(日)舊五月十四日(甲申 晴 

秦恒平著、短編集 『清経入水』 の中の 「清経入水」 一編をどうにか讀みました。しかし、後半はわけがわからなくて、正直のところ面白くありませんでした。少なくとも、淸經が自殺した動機がそれなりに説き明かされるのであれば許せますけれど、さう、著者によれば、淸經は逃亡して、母の故郷、丹波の山奥に隠れ住んだといふのです。その山には、「きつね塚」があり、ほんとうは「きよつね塚」だつたのではないかといふのですから、どこまで信じていいかわかりません。 

解説のなかで、本書が「昭和四十四年、第五回太宰治賞」を受賞したさいの、選考委員の選評を載せてゐるので讀んでみると、河上徹太郎は、「『清経入水』 は丹波の山奥における『鬼女めいた美少女との出会ひ』を本舞台とする 『現代怪奇小説』 だと呼んだ」さうですし、唐木順三の評は、「『清経入水』 の清経は平重盛の三男で、寿永二年何月、豊前柳ケ浦の沖で身を投げたが、そのときまだ二十にもなつてゐなかつたといふ風な、さもと思はれる考証と、清経の母は白拍子丹波といはれてゐるが、恐らくその呼名は丹波生れに由來するのであらうといふ風な推理が、しばらくからみあつた後、推理といふ合理の埒をいつの間にか飛びこえて、夢幻の境がくりひろげられる。夢幻がまた自分が小学校のとき疎開した丹波の何村の現実につながり、考証と夢幻と現実が、あやしく織りなされて、しばしば読む者の頭を混乱させはするが、ともかく一篇をなしてゐる」といふのでありますから、愚鈍なぼくの頭で理解できる範疇を超えた小説でありました。せめて、説得力のある展開でもなされるのかと期待したぼくが愚かでした。 

で、『朗詠假名抄』 と 『一言芳談』 と 『念佛ひじり三国志』 に立ち返つて、さらに讀み進みたいと思ひます。 

 

六月十七日(月)舊五月十五日(乙酉・望 晴、風爽やか 

『一言芳談』、和泉書院影印叢刊の變體假名本で讀み進む。文庫本で讀んでしまへば早いのはわかつてゐますが、變體假名だからこその樂しみなのであります。

 

「毛倉野日記」を寫しはじめたら、しだいにその當時の情景がよみがへつてきました。まだ引越しして何日もしないうちに、伊豆移住のために力を貸してくださつた方々が、お土産をたずさへて訪ねてくれました。そのなかには、漁業關係の方もをられ、大きなアンコウを、まるのまま持つてきてくださり、またそれを解體といふか、腑分けと言つてもいいやうな手さばきで料理してくださつて、まあ食べるにも苦勞したことなどが思ひだされました。 

といふわけで、當時の寫眞を探しました。デジタル以前ですから、寫眞一枚一枚をデジカメで撮影して整理しておいたものです。別のパソコンにしまはれてゐたのをどうにか探しだし、十六年間のすべてを整理し直しました。もちろん、アンコウも出てきました。ひと月ごとにまとめる計畫の「毛倉野日記」に、思ひ出にみちた寫眞もたくさん載せたいと思ひます。 

とくに、移住する前年の秋、はじめて毛倉野の家をおとづれたときの印象は強烈です。下田から、妻をともなつて、ぼくの山暮らしを常に支援してくださつた(下田に單身赴任の)伊藤さんの車で、(毛倉野の家を探してくださつた)大工の萩原さんの案内で、山の中をくねくねと、すれちがふことなどできさうもない薄暗い山道を上りにのぼつてやつと着いたところは、空が開けた別天地でした。 

しかし、借用するつもりのその家は、大きな木々にかこまれて、薄暗く、しかも廢屋としか思へないたたずまひでした。大工さんが、柱と屋根はしつかりしてゐるから、改装すれば大丈夫といふ言葉を信じるしかありませんでした。 

ちやうど家主の渡邊さんが、みかんの樹の手入れをされてゐたのであいさつをかはし、それと肝心の家賃のはなしになりました。萩原さんが間にたつてくださつて、中村さん、五萬だけどいい? と聞くので、思はず妻の顔をのぞきました。すると、大工さん、あの、年に五萬圓なんだけどいいかね、と念押ししますので、ぼくは思はず、いいです、それでよろしくお願ひしますと、丁寧に家主の渡邊さんにもこたへ、了解を得たときには、思はずほつとしました。ぼくは、月々五萬圓だと早とちりしてしまつたからでした。 

まあ、こんなことがあつてから、家の中と外をさらに詳しく見せてもらひ、設計圖を描き、大工さんに改装してもらふはこびになつた、といふ次第でした。 

 

*寫眞は、はじめて訪ねた日の毛倉野の家、それと、巨大なアンコウ!

 


 

六月十八日(火)舊五月十六日(丙戌 晴 

今日は心待ちにしてゐた通院日。いつもより空いてゐる千代田線に乘り、大手町驛乘り換へ、三田線の御成門驛からは歩いて慈惠大學病院に到着。すぐに血液檢査とレントゲン撮影と心電圖檢査。血液檢査の結果が出るには約一時間ほどかかるので、早めに着くやうにしてゐるのですが、今日は、一一時豫約の診察が一一時五分にはじまつたので、檢査結果を聞き、先日の氣管支炎の報告をして、新たな藥を一つ追加されて病院を出たのはまだ一一時半にもなつてゐませんでした。 

次回は、體調のことを考へてひと月後にしていただきました。みか先生もお元氣な樣子で光り輝いて見えました! 

次いで、病院の中のそば屋でたぬきそばをいただき、その足で、神保町に直行。多少不調をおぼえるからだなので、古書店街をぶらぶら、文字通りの散歩。久しぶりに八木書店の二階にもあがり、また和本専門の大屋書房に入つてみました。こはごはです。すると怖いだけあつて、例へば、『宇治拾遺物語』 全册揃ひが、目の玉が宇宙に飛び出してしまふやうなお値段でした! 

で、三省堂のなかの喫茶店で休憩し、夕方少し早めでしたけれど、例のぼくの體調のバロメーターでもある、アルカサールの和風ステーキをいただきました。こちらもこはごはでしたが、半分にしていただいたご飯も含めて完食できまして、なんだか力もわいてきました。 

今日の収穫は、ですからたいしてことはありません。六二〇〇歩でした。 

 

『日本隨筆大成 第六卷』 (吉川弘文館 昭和貮年刊) 二〇〇圓 影印の隨筆あり 

速水侑著 『地獄と極楽 「往生要集」と貴族社会』 (吉川弘文館) 三〇〇圓 

ケン・ブルーウン著 『酔いどれに悪人なし』 (ハヤカワ文庫) 二〇〇圓 面白さう 

それと、東京堂へ行つたときのことです。定點觀測なみに訪れる國文學のコーナーの前に立つたら、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』と並んで、 

伊藤鉄也・淺川槙子編 『国文学研究資料館蔵 橋本本 『源氏物語』「若紫」』(新典社) が目に飛び込んできました。〈若紫〉を讀んでゐるところですから、目についたわけですけれど、頁をめくつてみてびつくりしました。

 

『源氏物語』 の寫本のひとつに、鎌倉時代中期頃に書寫された、橋本本の 『源氏物語』「若紫」 があるといふことがわかるとともに、問題は、本書が、「影印と翻字本文を、容易に確認できるようにしたものである」といふ點です。凡例によりますと、「これは、変体仮名を現行の平仮名に置き換える翻字方式ではなく、書写された仮名の再現性を高めるために、変体仮名の字母を用いるものである。明治三三年に定められた現行の平仮名書体一種に拘束・統制されたままでは、矛盾を抱えた強引な翻字となる。その弊害を避けるために、本書では字母を忠実に再現する 『変体仮名翻字版』 で翻字し、表記・印字することにした。」 

ぼくはこのところを讀んで衝撃を受けました。なぜなら、ぼく自身が、日ごろもやもやと抱いてゐた疑問に正確に答へてくれてゐたからです。むろん、讀みにくい。しかしはじめから讀みなれた「現行の平仮名書体」に從つて讀んでゐたら、變體假名で書かれてゐることすら分からずに讀んでしまつてゐるんです。はたして、正確な讀みができるでせうか。小松英雄先生ではありませんが、「現行の平仮名書体」で無理やり表記しようとして、語句のむすびかたや句讀點・濁點の打ち方によつては違ふ意味合ひを引き出してしまつてゐるかも知れないのです。恐ろしいことです。 

しかしまた、かう言ふのは矛盾してゐるかも知れませんが、今のぼくには、むしろ原文のくづし字のはうが讀みやすいです。「変体仮名の字母」を活字で示めされると、いろいろな讀みができるので、かへつて語られてゐる世界にすんなりと入つていけないからでせうか。つまり、本書の試みは、當然必要なことですけれど、讀者に高度な要求をしてゐると思ひます。 

以下參考に、〈若紫〉の冒頭部分。一は、本書の 『変体仮名翻字』 で翻字したもの。二は、『尾州家河内本源氏物語』 を翻刻した、秋山虔・池田利夫編 『尾州家河内本源氏物語』(武蔵野書院) より。三は、「現行の平仮名書体」で書かれてゐる翻刻本(小學館 新編日本古典文學全集より)。

 

一 「わら八や三尓・王つらひ・堂まひて・よろ徒尓・ま新な井・可ちなと・滿いら勢・堂まへと」 

二 「わらはやみにわつらひたまひて・よろつにましなひ・かち(加持)なとまいらせたまへと」 

三 「瘧病(わらはやみ)にわづらひたまひて、よろづにまじなひ、加持などまゐらせたまへど」

 

寫眞は、右にあげた、一と三です。考へたら、一は、變體假名のお勉強には役立ちさうですね。だから、新本でしたが買つておきました。一四〇〇圓+税ですよ!

 


 

六月十九日(水)舊五月十七日(丁亥 晴 

簗瀬一雄編 『一言芳談』 讀了。内容を深く理解するまでにはいたりませんでしたが、命に不安を覺えるものにとつて、こころに沁み入る言葉の數々に出會ふことができました。 

『徒然草』(第九十八段) で取り上げてゐるので寫しておきませう。

 

〈原文〉 (岩波文庫による) 

たふとき聖(ひじり)のいひおきけることを書きつけて、一言芳談とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心にあひて覺えしことども、 

一 しやせまし、せずやあらましとおもふ事は、おほやうはせぬはよきなり。 

一 後世を思はん者は、糂汰瓶(じんたがめ)一も持もつまじきことなり。持經、本尊にいたるまで、よきものをもつ、よしなきことなり。 

一 遁世者は、なきにことかけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。 

一 上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。 

一 佛道をねがふといふは別のことなし。いとまある身になりて、世のことを心にかけぬを第一の道とす。 

この外もありし事ども覺えず。 

 

〈現代語譯〉 (ちくま学芸文庫、島内裕子譯) 

尊い高僧の言葉を書き付けて、『一言芳談』 とか名付けた本を一瞥したことがあった。その時、私の心にぴたりと合って、記憶した条項のいくつか。 

一 しょうか、しないでおこうか、と迷うことは大体において、しない方がよい。 

一 死後の極楽往生を願う者は、糠味噌壺の一つも持ってはならない。ふだん手元に置いて読む経本や本尊にいたるまで、立派なものを持つのは、意味のないことだ。 

一 出家した者は、何も持たないのを不足に思わないようにして毎日を生活するのが、最高の生き方である。 

一 僧位の高いものは低い者の立場に立ち返り、智者は愚者になり、金持ちは貧者になり、才能のある人は無能になるべきである。 

一 仏道を願うというのは、特別なことをするのではない。時間的に余裕がある身になって、世俗的なことに心を煩わせないのを、第一の道にすべきである。 

この他にもいろいろと書いてあったが、覺えていない。

 

この五つ目などは、今のぼくの心境にぴつたりかも知れません。 

そこで、ふたたび、『念佛ひじり三国志(四)』 に立ち返へりました。 

 

「毛倉野日記」をワード文書に寫しはじめてから何日もなりますが、思つたより文字數もあり、情報も多彩で、なかなか進みません。なかには失敗談もあり、ひと月ごとに、解説といふか註釋といふか、言ひ譯がましいことでもつけ加へたい氣分です。 

でもなによりも、このやうに毛倉野の生活を振り返ることが出來るのも、もはや未練がなくなつたからであらうと思ひます。いままでは、思ひ出すたびに、悔しいといふか、できれば戻りたい氣持ちで地團太踏む思ひでしたから、冷靜に思ひ出を懐かしむにはまる九年の歳月が必要だつたといふことなんでせう。ちよいと寂しいですけれど。 

 

六月廿日(木)舊五月十八日(戊子 晴たり曇つたり 

寺内大吉著 『念佛ひじり三国志(四) 法然をめぐる人々』 讀了。期待といふか、想像してゐた物語のはこびと異なつて、歴史の真相に分け入つていくやうな、スリルにあふれた内容です。「法然をめぐる人々」と副題にあるやうに、法然その人についてほりさげるよりも、法然の弟子である専修念佛者たちを慕ふ、或いは敵視する公家や南都北嶺の動向、それに新たに加はつた鎌倉の動きなどを描寫していきます。宣傳文句に、「私僧〈念佛ひじり〉の足跡を通して描く法然弾圧の真相」とありますやうに、「従来の史書が法然“建永の法難”を叙述する場合、必ず冒頭に書かれる文章は、『後鳥羽上皇が熊野参詣の留守に・・・』であった。果たしてほんとうに留守だったのかどうか」と疑ひつつ、それを覆す説を述べていくところなどぞくぞくしてしまひました。 

 

もう木曜日です。學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の講義の豫習として、まづは靑表紙本を、それから、せつかく大枚をはたいて購入したのですから、『国文学研究資料館蔵 橋本本 『源氏物語』「若紫」』 にも目を通してみました。でも、なれるまでたいへん! 

 

 

六月一日~卅日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

六月二日 寺内大吉著 『念佛ひじり三国志(二) 法然をめぐる人々』 (毎日新聞社) 

六月五日 森詠著 『風の伝説』 (徳間文庫) 

六月八日 加藤昌嘉著 「紫上系と玉鬘系」 (『物語の生成と受容 ③』 国文学研究資料館 所収) 

六月九日 玉上琢弥著 「『谷崎源氏』をめぐる思い出」 (『玉上琢弥先生退職記念特輯』 大谷女子大国文学会編 所収) 

六月九日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第廿一・廿二』 

六月十日 寺内大吉著 『念佛ひじり三国志(三) 法然をめぐる人々』 (毎日新聞社) 

六月十三日 『法然上人絵伝 第廿三~廿四』 (岩波文庫) 

六月十三日 森詠著 『陽炎の国』 (徳間文庫) 

六月十五日 『淸經』 (觀世流稽古用謠本・袖珍本 檜書店) 

六月十六日 秦恒平著 「清経入水」 (『清経入水』 角川文庫 所収)  

六月十九日 簗瀬一雄編 『一言芳談』 (和泉書院影印叢刊

六月廿日 寺内大吉著 『念佛ひじり三国志(四) 法然をめぐる人々』 (毎日新聞社)