「五月上旬 讀書日記抄」 (一日~十日)

 

あまり長い命とは思へないけふこのころてあります。名殘り惜しいとは思ひませんか、やり殘したといふか、やりたいことかまたまたあるのには困つたものてす。かと言つて早々に果たせることてもなし、はたして、《變體假名て讀む日本古典文學》 はとこまて實現てきるてありませうか。 

一日(水)  

『圓光大師傳(法然上人行状畫圖)』(四十八卷伝) を讀みつづける。購入したのは全二十四册(二卷ごとに一册)の端本ですから、缺けた卷は岩波文庫で讀むことにして、つづく巻第五からは「大本」の和本を前にして讀み出しました。 

變體假名と草書體漢字からなるくづし字本ですが、漢字には假名が振つてあるし、内容もむずかしいとは言へ、岩波文庫版の活字で讀んだつて理解は變りません。むしろ文字が大きいし、くづし字も連綿體ではないので、一字一字かみしめながら讀めて、活字よりぐつと讀んだ氣にしてくれます。 

ちなみに、『法然上人行状絵図』 とは・・・『四十八巻伝』ともいう。一四世紀前半に成立した法然の絵伝で、詞書は比叡山功徳院の舜昌法印が編纂。内容は法然の誕生から嘉禄の法難まで「始終の行状を勒する」のみならず、主要門弟の事績にも及ぶ。「知恩院」の名が初出し、「浄土宗」の語が頻出するので、法然・浄土宗・知恩院の三位一体の関係を説く絵伝と評価されている。原本(国宝)は総本山知恩院に蔵し、全長五四八メートル、二三五段の詞書と二三二の絵図で構成された最大級の絵巻物。 

それとともに、石丸晶子著 『式子内親王伝―面影びとは法然』 も少しづつ讀み進みました。 

二日(木)  

今日は、『源氏物語』 を讀んでゐる同窓の方々三人を案内して、神保町を歩いてきました。午前一〇時、東京堂書店の前で待ち合せ、その喫茶室でちよいとウオーミングアップのお喋りをしてから歩きはじめました。まづ、東京古書會館を案内。ついでぼくがよくいただく、マジカレーと小諸そばのお店を紹介。ところが、連休中であり、みなさんをともなつて訪ねたかつた八木書店と西秋書店がお休みでした。でも、一誠堂の二階に上がつて貴重な和本に觸れることができましたし、とりわけ日本書房ではみなさんそれぞれ何册も求めてをられました。 

會食は、水道橋の「かつ吉」を豫約してゐましたので、行列を作つてならんでゐる人たちを尻目に、いい席を陣取ることができました。ビールで乾杯し、とんかつを食べながら、源氏物語談義の花を咲かせることができました。 

みなさんとお別れしてから、八王子まで足を延ばし、今日から開催の「八王子古本まつり」を訪ねてきました。みなさんを誘ふほどのこともないかなと思つて一人でやつてきましたが、けつこうおほがかりな古本まつりで、最初から掘出し物に出會ふ ことができて、來た甲斐がありました。 

歸路、御茶ノ水驛で千代田線に乘り換へるにさいして、例の立ち食ひの「お茶の水こえど」といふ半間壽司屋でまぐろやら靑柳やら赤貝などをいくつかつまんでから歸つてきました。大滿足の一日でした。 

今日の掘出し物・・・一誠堂書店店頭のワゴンのなかから長いあひだ探してゐた、二条良基・救済他著 『菟玖波集〈上・下〉』(日本古典全書) を發見! 八王子では、織田百合子著 『源氏物語と鎌倉―「河内本源氏物語」に生きた人々─』(銀の鈴社) を發見、といふより思ひもよらぬ掘出し物でした。これは、昨年暮れに讀んだ、池田利夫著 『河内本源氏物語成立年譜攷─源光行一統年譜を中心に─』 をベースにしたといふか、姉妹作のやうな内容で、歸りの電車の中で讀み出したらとまらないやめられない状態でした。 

三日(金)  

今日は休息日にしようと思つてゐましたが、『源氏物語と鎌倉―「河内本源氏物語」に生きた人々─』 があまりにも面白いので、ついに主要な諸章を讀みあげてしまひました。あらためて、「『靑表紙本源氏物語』 校訂者の定家と 『河内本源氏物語』 校訂者の光行は、(一歳違ひの年齢で)、同じ(平家文化全盛期の)土壌で兄弟のようにして「源氏物語」の感性を育まれていた」こと、しかも、「『靑表紙本源氏物語』 と 『河内本源氏物語』 には二人の平家一門の人々に対する深い鎮魂の思いが込められていた」ことを敎へられました。 

また、『河内本源氏物語』 が鎌倉で成立したことと關連して、鎌倉には 「賴朝による武士の都と、北条時頼以降の武士の都の間には、摂家将軍・親王将軍による、公家文化との共存の時代が」あつたと言ひ、「実朝の万葉調は、光行(が京都より携えてきた『万葉集』)の教えによる」といふくだりには目からうろこが落ちました。それで、鎌倉、とくに妙本寺と称名寺(金沢文庫)に行つてみたくなりました。 

四日(土)  

今日の古本探訪散歩は高圓寺の古書會館。『日本の美術95 法然上人絵伝』(至文堂)、二〇〇圓を求めただけで、次いで澁谷驛、二子玉川驛經由で上野毛驛下車、五島美術館を訪ねてまゐりました。期待した《和と漢へのまなざし》展ですが、開期は六日まで。どうにかやつてきましたが、期待に違はず見應へのある展示内容でした。 

『和漢朗詠集』 の重要文化財級の色紙がたくさんと、國寶の 『源氏物語絵巻』 が目玉でしたが、ぼくには、それらとともに、源信著、重要文化財の 『一乘要決 中卷』 の寫本には目を奪はれました。「一〇一七年、著者在世中の写本」といふのですから驚きです。またその隣の展示、『金峯山埋経 藤原道長筆』 も重要文化財で、九九八年から一〇〇七年のもの、時空を超えての出會ひには心が震へずにはをれませんでした。 

『國寶 源氏物語絵巻』(註) は、當館所藏の四面の繪(鈴虫一・二、夕霧、御法)と詞書。後で知つたところによると、展示は年に一度、この期間に一週間ばかりといふので、實にラッキーなのでした。さう言へば、以前來たのもこの連休中でした。繰り返し繰り返し鑑賞するに堪へる繪卷物であります。 

註・・・『源氏物語絵巻』 本来は源氏物語の54帖全体について作成されたと考えられている。各帖より1ないし3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式である。全部で10巻程度の絵巻であったと推定される。本絵巻で現存するのは絵巻全体の一部分のみである。 

名古屋市の徳川美術館に絵15面・詞28面(蓬生、関屋、絵合(詞のみ)、柏木、横笛、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋の各帖)、東京都世田谷区の五島美術館に絵4面・詞9面(鈴虫、夕霧、御法の各帖)が所蔵され、それぞれ国宝に指定されている。 

目と心を養つたあとは腹を養はねばならず、締めくくりは、町田の馬刺と決めました。田園都市線で長津田驛經由、JR横浜線に乘り換へて町田驛下車です。連休中で少し混んでゐましたが、柿島屋の馬刺をたらふく美味しくいただいてきました。 

昨夜、『圓光大師傳 第五・六』 を讀了。内容は、「上人の学問に対する態度と開宗」といふことで、けつこう敎へられました。つづいて、『圓光大師傳 第七・八』 を取り出したら、綴じ糸が切れてゐたので、綴じ直してから讀み出しました。 

また、『大齋院前の御集』 と、石丸晶子著 『式子内親王伝―面影びとは法然』 も繼讀中。これは急いで讀むにはもつたいない内容の濃い本です。 

五日(日)  

終日、休息と稱して讀書。 

『圓光大師傳 第七・八』 讀了。ついで、『圓光大師傳 第九・十』 に入りましたが、これも綴じ糸がほぐれてゐたので綴じ直してから讀みはじめました。糸を綴じるといふのは製本することですから、讀むのに一層愛着がわきます。糸は和本用綴じ糸といふ絹糸で、東急ハンズで求めたものです。

 



 

六日(月)  

朝食後、東武鐵道牛田驛に行つて、明後日の「りょうもう五号」の特急券を買ひ求めました。そして、外出のついでもあるし、散歩をしないとますます血壓が下がつてしまふので、今日からはじまつた〈早稻田靑空古本祭〉に行くことにしました。 

北千住驛で日比谷線に乘り換へ、茅場町驛で東西線、早稻田驛下車といふ、初めてのコースで訪ねました。ところが、驛構内からはじまつて、地上にあがるとすごい人です。よく見ると學生たちなので、思はず通りすがりの男子學生に、今日は休日なのにみなさんどうしたのと聞くと、講義があるのです、學校は休みぢやあないのですといふ返事です。まあ、さうでせう。連休に服してゐたらおバカがふえるだけですから、早稻田大學は偉いと思ひました。 

ところで、まづは腹ごしらへ、例の尾張屋さんで、今日はミニかつ丼をやめてたぬきそばをいただきました。 

今日は風が強くて、古本祭のテントが飛ばされさうになつてゐましたが、いつになく學生たちで混雑してをりまして、人をかきわけての古書探しなんて久しぶりです。そのおかげで思はぬ掘出し物がありました。最終日は十一日ですから、再び來ようと思ひます。 

今日の掘出し物は、まづ文庫本大の和本、平賀源内著 『風來六部集』(前後篇・上下全四册)。各三〇〇圓で、計一二〇〇圓。 

それと、なんといつてもこれも三〇〇圓で入手した、古びた和本の 『往生要集 卷上(本末)』 であります。先日讀んだ 『和字繪入 往生要集』 は和文でしたから、讀みやすい反面、肝心の部分を省いた、『往生要集 卷上』 の前半(大文第一〈厭離穢土〉と大文第二〈欣求淨土〉)のみの内容でした。が、この 『往生要集 卷上(本末)』 は表題のごとく、『往生要集 卷上』のすべて、「大文第三〈極樂の證據〉」と「大文第四〈正修念佛〉」までが記されてゐるのです。 

ただし漢文です。しかし、訓點がほどこされてゐますし、いざとなれば訓讀文の岩波文庫があります。なにしろ、「大文第四〈正修念佛〉」は、「念仏を実践する方法を述べた本書の中心部分」であり、法然が最も重視したところですから、漢文は實に久しぶりですが、〈正修念佛〉だけでも讀まないわけにはいきません。 

註・・・『風來六部集』 江戸時代後期の狂文集。風来山人(平賀源内)著。22冊。安永9 (1780) 年成立。『放屁論』『放屁論後編』『痿陰(なえまら)隠逸伝』『飛だ噂の評』『天狗髑髏鑒定縁起』『里のをだ巻評』の6部の単行本を集め直したもの。 

註・・・『往生要集 卷上』 の内容 

大文第一 厭離穢土--地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説く。 

大文第二 欣求浄土--極楽浄土に生れる十楽を説く。 

大文第三 極楽証拠--極楽往生の証拠を書く。 

大文第四 正修念仏--浄土往生の道を明らかにする。 

七日(火)  

昨夜、『圓光大師傳 第九・十』 を讀みあげたので、一呼吸をおき、石丸晶子著 『式子内親王伝―面影びとは法然』 を讀みつづけました。やつと半ばを過ぎたところですが、さらりとは讀み流せない濃い内容です。齋宮の生活については、『源氏物語』 にも出てきますし、現在並行して 『大齋院前の御集』 などを讀んでゐますけれど、單純には考へられない過酷な生活であつたこと、式子内親王を取り巻く社会や宮廷人の思惑が如何に錯綜してゐたか、そしてその和歌の深刻なこと、『古今和歌集』 の言葉遊びなど吹き飛んでしまひます。とくに、法然への思ひが込められた歌など、もちろん説明を讀んでの理解ですが、胸が押しつぶされさうな氣さへします。また、その思ひにこたへた法然の返信。著者は全文を引用してゐるのですが、文庫本でなんと一〇頁にもおよんでゐます。たいへんな力作だと思ひます。 

引用の和歌については、和泉書院影印叢刊の 『式子内親王集』 で確認しながら讀めたので、こちらも一應讀んだことにしておきます。 

八日(水)  

今日は、《東山會》第十一回例會〈春の上州路散策〉に出かけてまゐりました。これは、ぼくが言ひ出した計畫で、新年早々のまだとても寒い時期に決まつてゐたのですけれど、暖かくなり快晴の好天のもと、氣持ちよく歩くことができてまことに幸ひでした。 

集合は、東武鐵道世良田驛。淺草驛始發の赤城行「りょうもう5號」に各自の都合に合はせて乘車して、太田驛で合流。同じホームから出る伊勢崎行きに乘り換へ、三つめの世良田驛には一〇時三三分着といふ豫定でしたけれど、途中特急に乘りそびれた方が二人をられまして、ちよつと心配しましたが、一人は伊勢崎行に間に合ひ、もう一方は太田驛からタクシーでかけつけてくれました。 

世良田驛からは四方が見渡せる田圃道。と言つては失禮な伊勢崎深谷線ですが、三方が山々に圍まれて、風光明媚とはこのことを言ふのでありませうか。振り返へれば、右手から、日光の連山と男體山、赤城山、まだ白く輝く谷川岳、榛名山、それに雪をかぶつた淺間山、さらに妙義山に秩父連山、富士山こそ見えませんでしたが、心が解き放たれるやうな解放感にひたりながら歩きはじめました。 

まづは、「新田荘歴史資料館」見學。今回とくに目についたのが馬の埴輪です。大きくて形もいい。考へたら群馬縣はその名のごとく「馬形埴輪の出土数が三〇〇超で全国一」なんださうです。その他の新田氏・新田義貞關連資料は復習がてらながめ、そのあと、資料館前の廣い木立のなかのあづまやで各自持參のお辨當をいただきました。同行者が言ふに、「あづまや」とは貧しい東國の建物のことなんださうです。 

つづいて、東照宮。「德川氏発祥地の寺とされる長楽寺境内に三代将軍家光によつて造営された」もので、日光の「奥社」にあった「拝殿」と「宝塔」が、天海大僧正によつて移築されたのださうです。 

つづいて、利根川の支流の早川の土手に沿つてくだり、縁切寺滿德寺を訪ねました。日本に二つしかない縁切寺のひとつで、鎌倉東慶寺は有名ですが、ぼくにはこちらのはうが身近に感じます。 

さて、すでに歸路にさしかかりました。明王院を經て木崎驛まで、それこそ文句なしの田んぼ道といふか、畦道をたどつてみなさんと汗をかきかき歩きました。途中で、野良仕事のおばあさんに道を尋ねても要領がえません。おおまかな方向をめざして歩きつづけてやつと明王院。新田義貞の弟脇屋義助の供養塔婆である「源義助」と刻まれた板碑があり、また石造千體不動塔がみごとでした。伊豆小松石を使用、底辺7・2m四方、高さ6mのピラミッドの形をしてゐました。 

まもなく木崎驛。案ずるほど待たされることなく電車に乘り、終點の太田驛へ。そして、案じてゐた會食でしたが、南口を出るとすぐにいい店が見つかりました。先日の下見ではわからず、いかにぼくが飲んべえでないかがあらためて證明されたやうな次第でした。乾杯。 

五人の合議で、次回は十月、さいたまの「見沼たんぼ」を散策することになりました。 

歸宅したら、一八七六六歩、心臟がよく持ちこたへてくれたものです。 

九日(木)  

今日は休息日。昨日は炎天下の田舎道を歩たのでやはり疲れました。讀書もできず、ただ横になつて、ベッドわきにかけてある 『大齋院前の御集』 をちらちらながめやりながら氣持ちのいい居眠りに身をまかせてゐたら、このまま天國だか極樂だかに往生できたらなんて、不遜な思ひがよぎりました。ああ、あぶない。 

きつと、昨日持つて出て、今朝讀み終へた、『おなつ蘇甦物語』 の影響かも知れません。 

十日(金)  

『大齋院前の御集』、寝起きに讀了。大齋院選子内親王の作はほんのわずか。およそ二十名の女房らがおもで、式子内親王にくらべて、心に殘るといつた歌はありませんでした。といふより、すぐれた解説でもあればもつとよく理解できたとは思ひます。 

今日も古本散歩、無理なはしごはやめて、神田の古書會館だけを訪ねてきました。開店の一〇時をちよつとしか過ぎてゐないのに、すでに滿員状態で、空いてゐるところ空いてゐるところを縫うやうにして見て回りました。むろん和本が目當て。目に入つたのは、『安心決定集・閑居詠草』 と 『徒然草文段抄 卷之四』 と 『都鄙問答 一・二』 の三册でした。 

『安心決定集・閑居詠草』 は法然とその弟子たちの起請文集と宗教的隨想。『徒然草文段抄』 は北村季吟の註釋書の端本。『都鄙問答』 はご存じ石田梅岩の著作です。ただし前半だけなのと、文章が漢字片假名文でちよいと讀みにくさうなのが難點。 

また、小宮山書店の一册一〇〇圓のワゴンの中から、寺内大吉著 『はぐれ念仏』(学研M文庫) を見つけました。これは、「念仏宗の内部にてくりひろげられる俗臭ふんぷんたる選挙戦の人間模様をコミカルかつ軽快な筆致で描き、第44回直木賞を受賞した表題作ほか、仏教テーマの哀感を誘う3編を収録。刊行後40年以上を経て、待望の初文庫化!」 といふものです。その表題作を讀んでみました。たしかにこれぞ佛敎小説!