「四月 讀書日記抄」 (十一日~廿日) 

 

十一日(木) 朝起きたら氣分が良くて、つい外出したくなり、はじめは柏に行かうかと思ひましたが、北千住驛から東武電車で太田と足利を訪ねてきました。ひとつには、東山會の歸りの會食場所をさがすため、それと、景氣がよい足利のはうを新田義貞がうらやましさうに眺めてゐたといふ金山の山上の砦跡にのぼつてみたかつたからでした(註)。 

りようもう號の車窓からは、進行方向左手後方に眞白い雪におほはれた富士山と、その前面には秩父連山、右手には黒々とした筑波山と日光連山が見られ、また正面やや左手に赤城山、榛名山がながめられて、實に氣分も晴々するやうな景色に、出かけてきてよかつたなと思ひました。 

太田驛には一二時前に到着し、驛前からタクシーで金山に向かひました。タクシーには駐車場で待つてゐてもらつて、見學したらすぐ戻る考へでゐたのですが、とんでもありませんでした。金山城跡と新田神社へは、そこも城跡の一部である駐車場から、さらに二〇分以上も土塁や石垣を通り、堀を渡つたりして歩かなくてはなりませんでした。しかしその甲斐あつて、すばらしい城郭の跡を見ることができ、さらにその南曲輪からの展望はさながらパノラマでありまして、右には富士山、左には筑波山をはじめ、關東平野が一望のもとに見渡せたのであります。霞ヶ浦からは右手に筑波山、左手に富士山が見えたのとは裏表であります。北西の風が吹き荒れましたが、空は晴れ渡り、最高の展望日和でした。 

また山頂付近といふのに、月ノ池と日ノ池といふ大きな二つの池があつて、豐かに水を湛へてゐたのには心底びつくりしました。さらに奥、樹齢八〇〇年といはれるの大ケヤキの向こうの本丸跡に新田神社が建ち、その崖際からは義貞がながめては悔しがつてゐたといふ足利の町がはつきりと見渡せました。 

またタクシーを呼んで、太田驛までもどり、次に足利を訪ねました。ここもタクシーで、足利學校の前まで行き、角のそば屋で遅い晝食の天ざるをいただいてから、學校を見學し、また鑁阿寺にも行つてみました。が、ぼくには、金山城跡があまりにも強烈で、まあお勉強と思つてひととおり見て回りましたが、變體假名の文書があるわけでもなく、漢文ばかりで、印象に殘るものはほとんどありませんでした。ただ、足利學校の近くに尚古堂といふ古本屋を偶然みつけ、むろん入つてみましたが、ご當所がら和本もけつこうありました。 

肝心の會食處ですが、太田驛も足利驛も驛の近くには見當らず、繁華街にまで足をのばせる餘裕があるかどうか。みなさんに聞いてみるしかありません。といふわけで、下見に行つたつもりですが、城跡を堪能しただけで歸路についたのでした。 

註・・・邦光史郎著 『中世を推理する』(集英社文庫、八七頁) 

十二日(金) 今日は、横になつて終日梅原猛さんの 『法然 十五歳の闇(上)』 を讀み進んでどうにか讀了。「下」に入るけれど、内容は佛敎の専門用語が滿ちてゐて超難解! 

十三日(土) 出がけに洗髪し、さつぱりしてから神田と高圓寺の古本市に向かふ。東京古書會館では、小型の和本等が數册。高圓寺では、すべてが二〇〇圓といふ催しで、それなりのものしかなくて、ちよいと殘念。 

十四日(日) 今日は、變體假名本は 『大齋院前の御集』 を休んで、梅原猛さんの 『法然 十五歳の闇(下)』 に出てくる、法然の愛弟子のひとり、勢觀房源智は平家の武將の子どもではないかと梅原さんが推察してゐるので、その原文である、市古貞次編の影印本、『御伽草子』(三弥井書店) の中の 「小敦盛」(註) を讀んでみた。たしかに、熊谷次郎直實に討たれた平敦盛の子は源智と同じ境遇で、確たる證拠がないにしても、同一人物であるとみてもおかしくないと思ふ。 

註・・・『小敦盛(こあつもり)』 御伽草子。作者未詳。一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた平敦盛の遺児を主人公にした作品。敦盛の死後に都で生まれた若君は法然上人に養われていたが、見ぬ父恋しさに賀茂明神に祈願すると、夢想を被り、古戦場の生田の森で父の亡霊に会うことができた。その場に残された白骨を抱いて都へ帰った若君は、母とともに出家して菩提を弔った。『平家物語』で有名な敦盛の哀話の後日談ともいうべき物語である。室町時代に絵巻につくられ、江戸時代にはやや改作した版本が出て世に流布した。 

十五日(月) 梅原猛著 『法然 十五歳の闇(下)』 (角川文庫) 讀了。つづいて、梯實圓・平松令三・霊山勝海三人の講演集 『念仏と流罪―承元の法難と親鸞聖人』(本願寺出版社) を讀みはじめる。梅原さんのがとても詳しい内容だつたので、語られることがよく理解できて氣持ちいい。 

夕食後、讀書にひきつづき、BSで 『チェンジリング』(註) といふ映畫を觀てしまつた。アンジェリーナ・ジョリーが出るし、活劇映畫だらうと思つたら、實に地味な内容で、けれど消すには惜しくてついつい最後まで觀てしまひました。はらはらどきどき、これをサスペンスといふのだらうけれど、冒頭でこれは事實にもとづいた内容であるとあつたので、たうとう終りまで觀たら、監督がクリント・イーストウッドであることがわかつて、さもありなんと思ひました。 

註・・・『チェンジリング』(Changeling)は、2008年のアメリカ映画。クリント・イーストウッドがアンジェリーナ・ジョリーを主演に迎え、1920年代のロサンゼルスで実際に発生したゴードン・ノースコット事件の被害者家族の実話を元に映画化された。 

 

十六日(火) 今日は、靑學神學科時代の恩師、佐竹明先生・久守和子先生ご夫妻に招待されたので、舊友らとともに藤澤のお宅を訪ねました。ぼくはお土産に、柴又に立ち寄つて、吉野家さんの ”名物 草團子” を求めてから、金町、北千住、上野經由で藤澤へ向かひました。待ち合せた八人、タクシー二臺に分乘して、丘の上の家にたどりつき、先生ご夫妻に熱く迎へられて、まことに恐縮のいたり。お料理を美味しくいただきながら、舊友らとの忌憚のないおしやべりとともに、佐竹先生の留學時代の思ひ出と今日までの研究の足跡をお聞することができて感激しました。 

梯實圓・平松令三・霊山勝海三人の講演集、『念仏と流罪―承元の法難と親鸞聖人』 讀了。つづいて、梅原猛著 『法然の哀しみ(上)』 を讀みはじめる。 

十七日(水) 學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の春期講座が、今週土曜日からはじまるので、復習と豫習とをかねて、今日は、『尾州家河内本 源氏物語』(日本古典文学会) の〈夕顔〉の 「源氏、病癒え、右近に夕顔の素性を聞く」 の部分を讀む。源氏がどうにか立ち直り、右近からあらためて夕顔のことについて聞くといふ場面で、冒頭からのいきさつが解かれる思ひのする内容の話です。 

さういへば、昨夜、佐竹明先生から、テキスト解釋の心得といふことで、「テキストを讀む、おかしなところはないか、よく讀む。ただ、常識的な疑問によつて判斷することなくよく讀んでテキストに聞くことが大事です」といふことをお聞きしました。これはやさしさうでたいへん難しい。『ヨハネの黙示録』 をはじめとする多くの注解書を書いてをられる先生ならではの重いお言葉であり、肝に銘じました。 

十八日(木) 昨日につづいて、『河内本』〈夕顔〉 の、「源氏、空蝉や軒端の萩と歌を贈答する」  と、「源氏、夕顔の四十九日の法要を行なう」 の部分を讀み、さらに、靑拍子本で、同じ部分を讀みはじめる。 

それと、頭腦活性化のために、久しぶりに森詠さんの 「剣客相談人シリーズ」、『残月殺法剣 剣客相談人15』 (二見時代小説文庫) を讀みはじめる。 

十九日(金) 神田の古書會館へ行つてきました。定例の古本市で、和本のみ數册を求めて疲れもなく、早めに歸宅し、明日からはじまる、《源氏物語をよむ》 の春期講座に備へる。 

佐竹先生・久守先生ご夫妻に招かれた感謝とともに寫眞をお送りしたところ、そのご返事のなかで、ぼくのことを、「ヒゲ淳」 さんと呼びかけてくれてゐるので、これからは、これで行かうかと思ひます。 

森詠著、『残月殺法剣 剣客相談人15』 讀了。 

廿日(土) 學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の春期講座がはじまり、その第一回を受講する。〈夕顔〉の途中までですが、その 「源氏、病癒え、右近に夕顔の素性を聞く」 の部分をやつと讀み終へました。あと二回で〈夕顔〉の卷も終るでせう。途中からですのに、新しく受講された方もあり、さらに盛り上げていきたいと思ひます。 

歸り、五反田の南部古書會館を訪ねたら、目を疑ひましたが、貝原益軒の 『養生訓』 全四册が一册二〇〇圓で賣つてゐたのです。初版は一七一三年ですが、天保五年(一八三四年)刊行の和本です。わくわくして、ついでに、『狂歌たびまくら』 と 菱川師宣の 『和國諸職繪つくし』 も求めてしまひました。 

電車の中では、梅原猛さんの 『法然の哀しみ(上)』 を讀みつづけ。寝床では、『大齋院前の御集』 を繼讀中。

 

 

四月一日~卅日 「讀書の旅」    『赤』は變體假名本) 

四月二日 源信 『和字繪入 往生要集 下(極樂物語)』 

四月三日 冲方丁著 『光圀伝』 (角川書店) 

四月七日 倉田百三著 『法然と親鸞の信仰(上)』 (講談社学術文庫) 

四月十二日 梅原猛著 『法然 十五歳の闇(上)』 (角川文庫) 

四月十四日 「小敦盛」 (市古貞次編 『御伽草子』所収 三弥井書店) 

四月十五日 梅原猛著 『法然 十五歳の闇(下)』 (角川文庫) 

四月十六日 梯實圓・平松令三・霊山勝海講演集 『念仏と流罪―承元の法難と親鸞聖人』 (本願寺出版社) 

四月十九日 森詠著 『残月殺法剣 剣客相談人15』 (二見時代小説文庫)

 

 

写真は、金山城跡新田神社からながめた足利方面。右手に遠く筑波山も見える。月の池から大手虎口を見る。三枚目は、足利學校。