「四月 讀書日記抄」 (一日~十日)

 

四月に入つて、また少し調子がくずれてしまつた。外出はひかへるやうにしたけれども、散歩をかねた古本探索はやめられない。 

 

一日(月) 源信の 『和字繪入 往生要集 下(極樂物語)』 を讀みつづける。

また、三月の「ひげ日記」を編集し、「三月 讀書日記抄」をブログに掲載。 

二日(火) 『光圀伝』 には脱帽。たしかにすごい。光圀が、自分は三男なのになぜ「世子」とされたのかを解決していくところや、妻を迎へたところなど思はず涙が出てしまつた。そして、大火によつて江戸の町と膨大な書物が焼失したことにより、『大日本史』 編纂に取り組む決意をあたへられたところなど、いやあよく調べて書かれたと感心するしかありません。 

それと、源信の 『和字繪入 往生要集 下(極樂物語)』 をどうにか讀了。内容の正確な理解まではおよびませんでしたが、和本三册を讀み通せて大滿足。 

ただし、本文は、石田瑞麿訳注の岩波文庫(上下)版とくらべると、その上巻の半分もありません。つまり、目次でいへば、上中下で大文第十まであるうちの、大文第一「厭離穢土」と第二「欣求浄土」の二つの章だけの内容なのであります。以下、どのやうな展開になるのか興味はありますが、ついていけるのはここまでだとあきらめます。 

三日(水) 冲方丁著 『光圀伝』 (角川書店) 讀了。讀んでみて、今まで水戸光圀について何も知らなかつたことに氣がついた。先日は水戸市内を訪ねたが、こんどはその隠棲地、西山荘を訪ねてみたく思つた。 

四日(木) 今日の古本市は高圓寺の古書會館のみ。けれども、法然に關する本が六册もまとまつて手に入る。その他に、水戸のガイドブックが二册。それと、寫本が二册。これは、『告志篇』 と 『異学問答』 といふやはり水戸關係。しかも、『告志篇』(註一) は徳川斎昭が天保四年(一八三三年)に書いた著書の寫本(一八六三年寫)であることがわかつてびつくり! これでは、先日につづいて水戸を再訪せねばならぬと、川野さんと計畫を開始。 

ところで、歸りに、神保町の日本書房と西秋書店を訪ね、《變體假名で讀む日本古典文學》 のつぎの候補、大齋院選子内親王の 『大齋院前の御集』 と 『大齋院御集』 (の活字本)をさがしたけれど、高價な註釋書が一册あつただけで、あとは皆無。西秋書店のご主人に聞いてもわからないと首をふるばかり。まあ、影印本がそれぞれ手もとにあるので、どうにか解讀してみませう。 

紫式部が女房として出仕した當時、皇后定子さんの女房集団と中宮彰子さんの女房集団の陰に隠然と輝いてゐたのが、大齋院選子内親王さんの女房集団であつたのです。大野晋先生が言ふには、紫式部はこの大齋院にたいしてさうたうな意識を持つてゐたやうなのです(註二)。 淸少納言と紫式部を讀んだのですから、選子内親王さんも讀まないと、鼎(かなへ)が倒れてしまひます。 

註一・・・『告志篇』 「天保4年(1833)徳川斉昭が、自らの熱望と改革派の大きな期待の中で,初めて水戸へ帰国した際に家臣に示したもので,頼房・光圀以来の志を継ぎ,領民のために尽力する決意を述べたものです。また,泰平の幣を打破し,朝廷・幕府の恩沢に報いるため,日夜の努力を強調して,家臣たちの奮起を促しています。文久3年(1862)に弘道館から出版され、諸国の有志に盛んに読まれて,彼らの士気を高めました」 

註二・・・「大斎院といわれた選子内親王こそが最も気がかりな相手だったのだと私は思う。和歌に精進して實際にすぐれた多くの作品を残している皇女選子内親王の存在が紫式部の心に重くのしかかっていた。しかし内親王を批評の対象とすることはできない。そこで女房集団の問題として、その周辺をめぐって書いたのではなかろうかと思う」(大野晋著 『源氏物語』 岩波現代文庫二二二頁) 

五日(金) 明日の新幹線の指定券を買ひに出かける。日暮里驛でと思つたら、みどりの窓口に入りきれない人の行列を見て、以前も求めたことのある御茶ノ水驛に行つたところ、こちらも行列。考へてみたら春休み中なのでありました。 

そこで、駿河臺下まで歩き、古書會館に寄り、古書店街をのぞき、たうとう水道橋驛まで歩いて、そこでやつと割引乘車券と指定券を買ふことができました。 

古書會館では、次の四册の和本。『圓光大師 和語燈録 四』、『心王銘鑚燧』、『般若心経和解』(天明二年・一七八二年 盤珪禅師述)、『閑聖漫録』 (文久三年・一八六三年刊 會澤正志齋)、それと、梅原猛さんの 『法然 十五歳の闇』 を求めることができました。 

 

六日(土) 淸水嶋のお父さんの料理を食べに、淸水に出かける。マリちやんと日又君が靜岡驛に出迎へてくれたので、まづはお母さんのお墓まゐりをし、ついで、駒越にある以前住んでゐた縣營團地をのぞき、それから三保の海岸でしばらく遊びました。ぶどう石もいくつか見つかり、なにしろ海と空が美しかつた。 

夕食は、お父さんが作つてくれたモツ料理。おかはりして美味しくいただきました。 

七日(日) 午前中、マリちやんの運轉で藁科川上流へドライブ。水見色川をさかのぼり、山間部の雄大な景色を堪能。歸路、水見色川が國道とぶつかるカーブのあたりの櫻並木が實に美しい。それを見込んでなのか、〈佐藤園 お茶カフェ〉 が開設されてゐて、そこでソフトクリームをいただく。そのまま靜岡驛まで送つてもらつて家路に着く。品川驛で横須賀總武線に乘り換へ、新小岩驛からバスで歸る。 

倉田百三著 『法然と親鸞の信仰(上)』 讀了。現在は法然が關心の的なので、「上」だけにしておき、つづいて梅原猛さんの 『法然 十五歳の闇(上)』 を讀みはじめる。 

八日(月) それほど疲れてはゐないけれど、一日横になつて讀書。梅原猛さんの 『法然 十五歳の闇(上)』 を讀みつづける。 

また、五月八日開催の 《東山會》・『春の上州路散策』 のお知らせをまとめ、みなさんにメールする。 

九日(火) 今日も、梅原猛さんの 『法然 十五歳の闇(上)』 を讀みつづける。また、『女人和歌大系 第二巻 勅撰集期私家集・歌合』(風間書房) が届いたので、《變體假名で讀む日本古典文學》 のつぎの候補である、大齋院選子内親王の 『大齋院前の御集』 を讀みはじめる。讀みにくい變體假名がつづき、なれるまではだいぶ苦勞しさうである。 

十日(水) 今日は終日雨で氣温も低く、モモタとココをひざに抱いて、讀書ととともに晝のBS映畫、「弾丸を噛め」 を觀る。 

 

四月一日~十日 「讀書の旅」     『赤』は和本・變體假名本)

 

四月二日 源信 『和字繪入 往生要集 下(極樂物語)』 

四月三日 冲方丁著 『光圀伝』 (角川書店) 

四月七日 倉田百三著 『法然と親鸞の信仰(上)』 (講談社学術文庫)