十二月卅一日(月)舊十一月廿五日(丁酉) 

 

『一休骸骨』 に先立つて、書棚で見かけた、今西祐一郎著 『死を想え 「九相詩」と「一休骸骨」』 を開いたら、これがまた面白くて、大晦日だといふのに一氣に讀んでしまひました。『一休骸骨』 への足慣らしと思つたのですが、死を想ふ思想や表現の推移を敎へられるとともに、また多くの關連本を知ることもできました。

 

その出だしがまた興味深い。「『源氏物語』が出現するまで、平安時代の物語は人物の死をくわしく語ることはなかった」と言ひ、死者とその亡骸を美しく描寫することが當時の約束事だつたと述べられてゐます。たしかに、『源氏物語』 では、「貴族社会の美意識の範囲内にとどめて描」かれてゐます。 

それが、『今昔物語集』 の時代になると、發心の動機としての死といふとらえ方ではありますが、「美の領分からはみ出す、生々しい死、現世の暗部」ともいへる、醜惡な死の姿を描いてゐます。さういへば、かつて敎育實習の授業で、中学生に、卷第十九の第十話 「春宮の藏人宗正出家の語」 をとりあげて語つたことがありましたが、自分だけ興奮して生徒諸君はしらけてゐたのを思ひ出しました。

 

このやうに、死をどのやうに想ひ思ふか、その変遷のうちに、『一休骸骨』 もとりあげられてゐるわけですけれど、掲載されてゐる圖版が、江戸時代の版本で、それらがみな變體假名とくれば一石二鳥の面白さでした。 

本書は、「ブックレット〈書物をひらく〉」の一册で、同じシリーズの 『漢字・カタカナ・ひらがな 表記の思想』 を昨年六月に讀んでゐたのですが、この二册はたしかに新本で買つても惜しくありませんでした。

 

そもそも本シリーズは、先日訪ねた國文學研究資料館の活動の一環で、研究成果を發信するためのシリーズださうです。さもありなん、で、「発刊の辞」の冒頭をちよいと引用しておきます。 

「書物は、開かれるのを待っている。書物とは過去知の宝蔵である。古い書物は、現代に生きる読者が、その宝蔵を押し開いて、あらためてその宝を発見し、取り出し、活用するのを待っている。過去の知であるだけではなく、いまを生きるものの知恵として開かれるのを待っているのである」。 

 

それで、これも開かれるのを待つてゐたであらう、柳田聖山編 『一休骸骨』(禅文化研究所) を讀みはじめました。獨特の變體假名でつづられてゐますが、ちかごろはもう慣れるのを待つことにして、恐れないやうにしてゐます。

 

それにしても、今年は、《變體假名で讀む日本古典文學》 讀破の試みがだいぶはかどりました。はかどつたのはいいのですけれど、寫本や版本の和本と出會ふことが多くなり、讀書の範圍といふか領域が大されてしまつたのは、うれしい誤算でした。まさか、江戸時代の仮名草子、浮世草子、滑稽本、人情本や俳諧、はたまた随筆や國學、儒學者や蘭學者などの思想書の和本が手に入るなんて思ひもしなかつたからです。 

しかし、みな開かれるのを待ちに待つてゐたのだと思ふと、一册一册がいとほしい! 

春から秋にかけての半年は「メメント・モリ」の日々でしたけれど、讀書を妨げるほどではなかつたのが幸ひしました。かうして通り過ぎてみると、あれはなんだつたのだらうといぶかしいさがつのります。が、まあ、新年に向けて、振り返るよりも前進したいと思ひます。

 

 

十二月一日~卅一日までの讀書記録 (赤文字は變體假名本)

 

十二月二日 菅江眞澄著 『伊那の中路 眞澄遊覽記』 (眞澄遊覽記刊行會) 

十二月五日 紫式部著 『源氏物語〈澪標〉』 (宮内庁書陵部藏 靑表紙本 新典社) 

十二月六日 錦仁講演記録 「ほんとうの眞澄へ─藩主と歌枕と地誌─」 (『真澄研究 十三号』 平二十一年三月 秋田県立博物館 菅江真澄資料センター 所収) 

十二月六日 爲永春水著、渓斎英泉畫 『正史實傳いろは文庫 巻之一』  

十二月六日 『時秋物語』 元版群書類従特別重要典籍集 雑部卅八) 

十二月十三日 『大和物語永靑文庫本』 (一五六段「信濃の姨捨山の事」 勉誠社文庫) 

十二月十三日 中野三敏著 『和本のすすめ─江戸を読み解くために』 (岩波新書) 

十二月十九日 菅江眞澄著 『わかこゝろ 眞澄遊覽記』 (眞澄遊覽記刊行會) 

十二月二十一日 南條範夫著 『生きている義親』 (角川文庫) 

十二月二十四日 近藤芳樹校訂 『古今和歌集 上』 (明治廿三年補刻 七書堂藏版) 

十二月二十八日 『保元記 上』 (日本古典文学会) 

十二月卅日 池田利夫著 『河内本源氏物語成立年譜攷─源光行一統年譜を中心に─』 (日本古典文学会・貴重本刊行会) 

十二月卅一日 今西祐一郎著 『死を想え 「九相詩」と「一休骸骨」』 (平凡社)