十二月十四日(金)舊十一月八日(庚辰) 

 

今日は昨日の日記の補足とともに、讀書の感想です。 

まづ、昨日のことですが、菅江眞澄の 『わかこゝろ』 の引用を確認するために、往きの池袋驛發 “特急ちちぶ號” の車内で、『大和物語』 の一五六段、「信濃の姨捨山の事」を讀んでみました。テキストは、勉誠社文庫で出てゐる 『大和物語 永靑文庫本』 でして、たつた三頁でしたから、到着するまでに讀んでしまへました。 

『わかこゝろ』 の原文と見比べながら讀んだのですが、引用は完璧にその全文でした。むろん寫本による若干の相違や變體假名の用ゐ方の違ひがありましたけれど、まあ、全文を寫し取つたその努力たるや並大抵のものではありません。

 

そもそも、江戸時代の天明期に、平安時代の著作(寫本)を持つてゐたといふことが脅威です。若き日に國學や和歌を學んだときに手に入れたのでせう。しかし旅先です。故郷の三河を出て以來、以後一度も帰郷してゐませんから、眞澄の手もとには、他にも 『古今和歌集』 をはじめとする多くの歌集、さう、例の、烏丸光廣の 『あづまの道の記』 を書寫した 『二葉紀行 白井秀雄手寫』 も持ち歩いてゐたかも知れませんね。このやうに、菅江眞澄の本領といふか、何の旅をしてゐたのか、この一事をもつてしてもあきらかでありませう。 

ところが、今日讀んだところでは、眞澄が姨捨の月を愛でた後、大勢のかたがたと車座になつて詠じた歌が、四頁半にわたつて記されてゐるるのですが、東洋文庫の 『菅江眞澄遊覧記1』 では、そのすべてが、一首のこらず削除されてゐるのには唖然としてしまひました。 

 

また、中野三敏先生の 『和本のすすめ─江戸を読み解くために』 を讀了。いやあ、先生の力の入れやう、こちらにもびんびん響いてきました。五年を經て、ぼくの和本リテラシーも、和本を買ひ込むほどに、だいぶ向上してまゐりまして、それはひとへに先生の和本と變體假名にたいする情熱のしからしむところとであると感謝してをります。 

江戸時代を知るために、また變體假名やくづし字や古文書に關心のある方は是非讀み通していただきたいと思ひました。敎へられたり共感したところを、何か所も引用したいと思ひましたが、各自の努力に期待してやめておきます。でも、先生が、最後の章の最後に、「頑張れ、國文學研究資料館!」 と叫んだことだけは特記しておきます。 

 

今日の寫眞・・・訪ねてゲットした四枚のダムカード! ところが、全國のダムにあることがわかりました!!