十一月廿六日(月)壬戌(舊十月十九日) 

 

昨夜、秋元松代著 『菅江眞澄 日本の旅人9 常民の発見』 讀了。 

カバー裏に記された内容案内を寫しておきませう。 

 

「本書を読まれる方へ=真澄は道奥・蝦夷地への五十年にも及ぶ紀行に、辺土の風光と民俗生活を詳細に書きとどめている。しかし、すでに旅人として出立し、私たちの前に去来する真澄自身の前半生については全く不明の謎につつまれている。本書は真澄とともにたどる周到な取材行を終えた著者が、旅への鋭く深い洞察をもって、ほぼ生涯が旅人であった真澄の人間像に旅人であることの意味を掘り下げる。」 

 

ぼくは本書を讀みながら、著者とともに眞澄のたどつた道を歩いてゐるやうな氣持ちがしました。そして、中津文彦さんの 『天明の密偵』 ではありませんが、眞澄が密偵であつたとしても決しておかしくはないとも思ひました。 

ここで、せめて、眞澄ご本人の記録を讀んでみたいと思ひ、獨特な變體假名の 『伊那の中路 眞澄遊覽記』 を讀みはじめました。といつても、讀み解く自信がないので、内田武志・宮本常一編譯 『菅江眞澄遊覧記1』(平凡社 東洋文庫) をかたはらにおいて讀みました。ところが、現代語譯してしまつてゐますから、一字一句對照できないのがどうもはがゆいのであります。

 

それにしても、なんといふへんてこりんな變體假名なんでせう! 『源氏物語』の靑表紙本のはうがどれだけ讀みやすいことか。まあ、變體假名を學びつつ讀むのが第一の課題ですから、樣々な假名を讀むにこしたことはありませんので、時間をかけて讀み進んでいきませう。 

 

それと、今日もまた和本の整理を續けました。ぼろぼろなのでわきによけておいた本が、じつは大切な本であつたりして、とにかくすべての和本を「鑑定」してしまひたいと思ひます。