十一月十九日(月)乙卯(舊十月十二日) 晴のち雨

 

今日は、川野さんと秩父に行つてまゐりました。早朝に家を發ち、日が暮れるまで動き回つたのですが、それがまつたくついてゐなかつたので、少々疲れました。 

目的は、秩父のダムめぐりで、荒川水系の秩父にある四つのダムのうちの二つを訪ねることでした。もちろん目的は成し遂げることができましたので大滿足なのですが、アクセスとでもいふのでせうか、その便がわるくて、バスと電車を乘り換へ・乘り繼ぐのにたいへん待たされることになつたのであります。でも、思ひ出してみると、ぼくたち二人とも時間はたつぷり、まあ、いい思ひ出と運動になつたねですますことができます。はい。

 

明けやらぬ暗い町の中を綾瀨驛に向ふのは、中仙道を歩く旅以來です。綾瀨驛發六時一一分の電車で、西日暮里驛、池袋驛經由で行けば、西武秩父驛には九時前に到着し、待ちあはせ時間には十分間に合ふのですが、ちよいと餘裕をもつて家を出たので、秩父には一時間前に着いてしまひました。 

川野さんは、羽生驛發の秩父鐵道で御花畑驛まで來て、徒歩で西武秩父驛までこられました。吉田元氣村行のバスは、九時五分發です。これが始發で、平日は日に八本しかありません。小一時間かかるのでトイレをすまし、飲み物も準備、ぼくたち二人だけを乘せたバスはゆつくり發車。

 

紅葉が終はつたのか、これからなのか、それとも見頃(?)なのか判然としない田舎道をどこまでも進みました。途中何人かの乗降者がありましたが、十時過ぎに吉田元氣村、つまり合角ダムに到着しました。合角と書いて「かつかく」とよみます。ごうかくともよめるので、受驗生がよく訪れるといふはなしです。 

ところが、元氣村の施設はダムの下にあり、ダムまでは歩かなくてはならぬことがわかりました。目的をはたすためにはと、高低差のある道路を息を切らしてどうにか登りつめることができました。すると突然視野がひろがり、ダムにやつてきたといふ思ひが一氣に胸にひろがりました。といつても、川野さんがたてた計畫に、ぼくはただのつただけだつたのですが、ついてきてよかつたと思ひました。

 

ただ、ダムのへりに立つてゐるだけではつまらないので、水をたたへた湖(西秩父桃湖)をめぐつてみました。途中にかかる合角漣大橋を渡り、水辺に沿ひ、昭和トンネルを抜け、赤い橋を渡るともとのダムサイトに歸つて來ることができました。太陽と輝く水面と紅葉(?)があはさつて、川野さんと訪れた尾瀬以來の自然をたつぷり賞味することができました。 

日の光がさざなみにきらきらゆらぎ、遠~いところにつれていかれさうな氣分にさそはれました。それは、水の底に沈んだ家や田畑や人々が何百年といとなんできた地靈とでもいへるやうな思ひがまだ眠りにつけずにゐる、その身じろぎなのかも知れません。

 

花壇をお掃除してゐた管理事務所のお姉さまがとてもすてきな方だつたので、こえをかけたら、中で食事をしてもいいとの返事だつたので、展示室の控室でコンビニおにぎりを二人していただきました。 (つづく) 

 

中津文彦著 『天明の密偵 小説・菅江眞澄』 を持つて家を出ました。けれども、行きの特急のなかでも、歸りの電車でも、眠かつたので、ほとんど讀めませんでした。菅江眞澄については、ぼくにとつて懸案の人物だつたので、副題を見て二五〇圓で購入したのでした。 

 

今日の寫眞・・・元氣村バス停にてと、その入口の橋からみた合角ダム。以下、ダムにて