九月廿四日(月)己未(舊八月十五日・十五夜) 曇り

 

マイクル・Z・リューインの 『A型の女』 を讀んでゐて、一九七〇年代には、まだ携電話もパソコンもありませんと言ひましたが、第二作の 『死の演出者』 には、つぎのやうな場面もありました。 

「この商売を始めて以来、外出するたびに手帳はまるでネジで留めたように左手から離れない。しかし、カセットのようなポータブル・レコーダーを使ったらどうだろう。それなら声の調子も録音できるし、両手は自由になる。技術が進歩して、カセットがワイシャツのポケットに入るくらいの小型になり、体温でバッテリーに充電されるようになるまで待とう」 

これが七〇年代だつたのですね。

 

さういへば、カメラも銀鹽カメラでしたから、サムスン探偵みずからフィルムを多量に買ひ込み、撮影してはフィルムの現像、乾燥、そしてプリント。プリントした場合にはフェロタイプ版で乾かすことまで出てきて、子どものころ、父が押し入れで現像したプリントをフェロタイプ版にのせて乾かす仕事を手傳はせられたので、懐かしく讀むことができました。