九月十四日(金)己酉(舊八月五日) 雨のち曇天

 

原尞著 『それまでの明日』、もつたいなくて讀み流せません。一頁一頁味はひながら讀み進みました。 

 

鹿児島の女隊から、ぢやあない友人から、「鹿児嶋女隊力戰圖」についての情報が屆きました。そのひとつは、廣島縣廿日市にある海の見える杜美術館には、「薩摩軍兵士の妻子による女子隊の錦絵のコレクション」があるといふものでしたので、ぼくも検索してみました。すると、成田書道美術館で見た楊洲周延の錦繪の他にも、永島孟斎(歌川芳虎)といふ繪師などによる 「鹿児島の女軍隊力戦の図」 もあることを知りました。 

ですが、どうも史實ではなくて、「架空」のもののやうですね。でも友人が、「市内にある黎明館か南洲神社敷地内にある西郷南洲顕彰館、西郷隆盛生誕地近くの維新ふるさと記念館などで調べてみます」と言つてくれてゐるので、もう少し詳しいことがわかるかも知れません。 

 

註・・・海の見える杜美術館では、721()より1014()まで、企画展 「西南戦争浮世絵─さようなら、西郷どん─」 を開催いたします。 

『女軍隊の奮戦』 薩摩兵士の妻子などで構成された架空の軍隊「女軍隊」が主役の作品を紹介します。西南戦争の戦況を報道した作品の中には、架空の人物が活躍するものがしばしばありますが、そのほとんどは新聞記事が出た時のみに描かれ、それ以降はほとんど登場することがない一過性のものでした。しかし、戦場で奮戦する女性の図は、戦争終結まで繰り返し描き続けられ、特に美人画の名手といわれた楊洲周延は多くの作品を残しました。薩摩軍の一員として戦う女性たちの存在は、当時の新聞記事にも書かれましたが、その存在については懐疑的に扱われ、現在でも史実とはみなされていません。なぜこの題材が好評を得たのかは定かではありませんが、江戸のかわら版では女性の仇討ちは特に人気があったそうで、夫や子供のために政府軍を相手に戦う女軍隊もまた、人々の心を捉えたのかもしれません。色とりどりの着物を身にまとい、政府軍相手に派手に立ち回る女性たちの姿をご覧ください。